村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の感想:1

現代人の孤独と自由、特にセンシティブな中年男性の孤独を感じさせる作品だ。未読なのだが村上春樹の作品に『女のいない男たち』があるが、この『騎士団長殺し』もまた『女のいない男たちの物語』として読める。基本的に男性の目線から見た『社会にスムーズに適応できないこだわりのある人生の型』であり、『結婚・夫婦の枠組みに収まれない男の孤独・奔放な性・潜在するミソジニー』でもある。

この男性目線(男の孤独・自由・鬱屈)に偏った小説を一般的な男女が読んだらどう感じるのだろうという興味もあるが、ある意味では村上春樹の小説には、学生時代にリクルートスーツを着て就活をして、サラリーマンとして働きながら好きな人と結婚し子供を作って、明るい家族団らんを維持していくことを『生きる支え』とするような『一般的な男女のキャラクター』は殆ど登場しない。

主人公の男は概ね内向的で、ある種の同類の匂いがする知的な女を、次々とご都合主義で惹きつける。仲間とみんなで盛り上がったりグループ交際的な恋愛を楽しんだりするウェーイなノリのいわゆるリア充(社会集団への適応力が高くて内面に思索・葛藤を多く抱えない人)と対極にある人物で物語は構成され、日常生活や人間関係を通して『現代的な関係・心理・孤独のイデア的な表象』を読者の印象に刷り込んでくる。

村上春樹の小説は現代作家で最も人気があってその殆どがベストセラーになっている一方、暗くてナルシスティックでつまらないとか状況の展開・人物の言葉にリアリティーがないとかいう厳しめの評価もある。

しかし、読者のかなりの割合の人に対して、『あるタイプの現代人のリアルな存在形式』を魅惑的な幻想物語の寓意や比喩を通して訴えかけ心を揺さぶる作品が多いのは確かである。その意味で、『騎士団長殺し 第1部・顕れるイデア編』も『自分の経験・考え方・男女関係』と重なる部分がある人ほど、物語の流れに強く引き込まれる秀作として受け取ることができるだろう。

肖像画作成で何とか生計を立てている主人公の画家は、いつの間にか別の男ができたらしい妻のユズ(柚)と離婚することになったが、自分が部屋を出たので住む家がなくて困っていた。美大時代からの同級生で友人の雨田政彦(あまだまさひこ)の好意によって、小田原郊外にあるアトリエ付きの家を借りられることになる。

この家は政彦の父で有名な日本画家である雨田具彦(あまだともひこ)の持ち家なのだが、この家に住んでいた約8ヶ月の間に色々と奇妙な出来事や不思議な現象が次々に起こったのである。山中の家のみみずくが住み着いている屋根裏部屋に、誰にも見せたくないという雨田具彦の意志の現れのようにしっかり包装用和紙で梱包された未公開の絵画(日本画)が隠されていた。

この屋根裏に眠っていた雨田具彦の日本画につけられたタイトルが『騎士団長殺し』であり、描かれている人物の服装・装飾品から、飛鳥時代前後の古代の日本を舞台にしたような絵である。若い男が白髭を蓄えた年上の男(騎士団長と見られる男)の胸に古代の剣を深く突き立てて血が飛び散っている。

その果し合いの様子を、髪飾りをつけた一人の若い女と召使いのような一人の若い男が見守っていて、もう一人、『地面についた蓋』を持ち上げている曲がった茄子のように細長い顔をした不可思議な隠者・浮浪者のような男が描かれている。モーツァルトのオペラ『ドン・ジョバンニ』の冒頭にある騎士団長殺しのモチーフを下敷きにして、古代日本(恐らくは飛鳥時代)の人物と情景に翻案したのだろうという発想に私は行き着く。

雨田具彦の斬新な構図と日本画らしくない題名で描かれた『騎士団長殺し』と彼のオーストリア・ウィーン留学時代のナチス体験(ナチス高官暗殺事件に関連した疑惑)が本作の大きな歴史的背景になっている。

私は36歳の時に妻から見切りをつけられたのだが、その時の私には画家として『自分のための絵画』を描くことができなくなっており、企業の社長・重役などお金持ちの依頼主の希望に応えるためだけに具象的な肖像画の作品を淡々とこなしていた。

私は『自分のための絵画』が描けずに、生活・お金のためだけに依頼者の希望を応える絵を描き続けて、芸術的な絵画の世界から遠ざかり『自分の側の欲望』を失ってしまった。そういったプロセスの繰り返しによって、顧客のためだけに持てる魅力とテクニックを発揮して良心的にサービスする『絵画界における高級娼婦』のようだと私は自己定義するが、『自分の欲望』と無関係に『他者のニーズ』を満たすのはほとんどの仕事の本質で仕方のないことではある。

冒頭では、一時的な婚姻解消で離婚届に署名捺印までしたが、結局、関係を修復して元の鞘に収まったというようなことも記されているが、妻と別れていた期間は9ヶ月余りで、その間に妻以外の二人の女(絵画教室の教え子の20代・赤いミニクーパーに乗った40代の女性でいずれも既婚者)と関係を持ったのだという。

二人の女性との肉体関係と精神的交流は長くは続かず、一人は待ち合わせの場所に現れずに自然消滅し、作中で免色渉の謎・性的行為にまつわる多くの会話を交わしていた40代女性のほうも初冬に『もうこの先、私たちは会わないほうがいいと思う。会っていても先はないから』と別れを告げられている。

現実でも、ワンナイトラブや享楽的な関係・不倫の類は長続きしないことが殆どだが(そういった関係の多くの終わり方は女性側から音信不通になるか、先がないからもう会えないとの断りを入れられるかだろう)、不思議な磁気で女性を惹きつけたような私も、最終的には妻以外の女性との長期的関係の継続にはたどり着けなかった。


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■書籍紹介

騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編
新潮社
2017-02-24
村上 春樹

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