ショーペンハウアー『幸福について』の書評1:人間の運勢の差を生み出す“3つの根本規定”

ドイツの哲学者アルトゥール・ショーペンハウアー(1788~1860)が、人間の精神的(内向的)な幸福追求の手段と可能性を論じたのが『幸福について ―人生論―』であるが、冒頭でまず古代ギリシアのアリストテレスの『人生の3つの財宝』に触れている。

アリストテレスは『外的な財宝・心の財宝・肉体の財宝』の3つを上げたが、ショーペンハウアーはその3つの数字だけを参照して、『人のあり方』『人の有するもの』『人の印象の与え方』という3つの根本規定から各人の運勢の差異を語ろうとするのである。

本書『幸福について』の全体の章の区分と構成も、『第二章・人のあり方について』『第三章・人の有するものについて』『第四章・人の与える印象について』というようになっていて、その3つの根本規定から人間の運勢と幸福の本質がどこにあるのかを哲学的に探求するような内容になっている。

真の幸福の原因が『自分の外部』にあるのか『自分の内部』にあるのかは、常識的には『外部にある人・モノ』だけでも『内部にある知性・解釈(理念)』だけでも本当の幸せを実感するためには足りないということになるのだが、徹底的に内向的かつ知性的な人間の幸福のあり方を説くショーペンハウアーは、『自分自身の内側にあるもの』だけが本当の幸せ(賢者の幸せ)をもたらすのだと強く主張する。

客観的な物事の意味や価値が、『主観的な自分自身の内側にある知性・解釈』によって決められていくという認知療法的な心理メカニズムと似ている主張なのだが、『人間は直接的には自分の意識の中だけで生きているに過ぎない(自分の外部にある人やモノはただ自分の内面に間接的に影響を与えるだけの仮象に過ぎない)』という独我論的な世界観がベースになっている。

外部にある他者・モノ・状況が変化しても、『自分自身の内側にある価値ある知性・解釈・世界観』が変わらなければ、それが最高の幸福につながるのだと語り、『世俗的・身体的な享楽』よりも『精神的・知的な享楽』のほうがより高尚で本質的なのだとしている。

『感能的享楽・家庭生活の団欒・低級な社交・卑属な遊楽』などを価値が低い動物的な愉楽だとして軽蔑するショーペンハウアーの幸福観は、フリードリヒ・ニーチェの実存主義の哲学からすれば現実世界(他者・社会・モノ)のすべてに価値がなくて虚しいとする『ニヒリズム(虚無主義)』ということになる。

更に、自らが俗世の生活を楽しめないニヒリズムによって常識的な快不快の価値判断を逆転させ、現実世界の中で感覚的・関係的に楽しんでいる人たちを否定する『ルサンチマン(弱者の強者に対する怨恨)』でもあり、ニーチェはキリスト教の聖職者階級の道徳規範(禁欲主義)を弱者ほど正しいとするルサンチマンの典型例として上げていた。

道徳規範・知性主義は『精神的ステージの高さ(高尚性・教養水準)』を根拠にして、『他者・モノ・社会における通俗的な快不快や自己顕示の価値』を否定しようとするが、現実的には『お金・地位・権力・家族・異性・財物・娯楽などから得られる快感や幸せ』が偽物だといっても大半の人はそれらの『自分の外部にあるもの』を求める人生の舞台からは降りられない。

『本当の幸せは自分自身の内部だけにある+自分の外部にある人やモノ、承認を求める欲求は低俗で無価値である』というショーペンハウアーのニヒリスティックな幸福論は一般的には現実味に乏しく受け容れがたいものである。

一方、外部にあるモノを気にしなくても自分は最高に幸せになれるという、ある種の『知性主義・主観主義の極地』にある思想としての認識転換の面白さがあり、『外部状況の変化(他人が自分をどう思っているか)に感情を乱されない脱俗の聖者・賢人の生き方』を志向しているといえるのだろう。


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