精神分析のエディプス・コンプレックスと西欧文明の罪悪感1:父性原理と超自我

ジークムント・フロイトの精神分析の中心理論の一つである“エディプス・コンプレックス(Oedipus complex)”は、家族ファンタジーに基づいて『思い通りにならない社会的現実』『超自我の罪悪感』を強調します。

男児のエディプス・コンプレックスや女児のエレクトラ・コンプレックス(Erectra complex)は、リビドー発達過程でエディプス期や男根期(3~5歳頃)と呼ばれる時期に起こる無意識的葛藤ですが、これらは性的なリビドーに関する問題であると同時に、親密な家族の外部にある『現実・社会・他者』を意識しはじめるきっかけとなる体験です。

エディプス・コンプレックスは、父母が揃っていて父親が強い権威を持っているという“家父長的(男権社会的)な家族モデル”をベースにしているので、『離婚増加・父権衰退(父性喪失)・女性原理(母子密着)・友達親子』の変化が強まった現在では通用しない個別ケースも多々あります。

男児(女児)が異性の親である母親(父親)の愛情や感心を独占しようとし、同性の親である父親(母親)に敵対心や反感を持つという一般的な説明も、実際には女の子でも母親にべったりの子は多いので当てはまらない事もあるのですが、エディプス・コンプレックスの挫折体験によって得られる有意義な心理的変化は『社会的現実の認識』『超自我による罪悪感の芽生え』にあります。

子どもが異性の親にいつまでも甘えて独占しきれない事を何となく予感することで、世の中には思い通りにならない事もあるという社会的現実が認識されやすくなり、『異性の親や閉じた家族ではない外部の世界(他者)』にリビドーや興味関心が向け変えられていきます。

自分にとって重要な他者を『自己対象』といいますが、エディプス・コンプレックスは自己対象である“家庭内の親”から少し離れて、“家庭外の他者”に意識や欲求を転換していくきっかけのような役割を果たします。その体験が、段階的な社会化(集団適応)の起点になったり、思春期以降の精神的自立の土台になったりするわけですが、エディプス・コンプレックスがもたらすもう一つの精神作用である『超自我による罪悪感の芽生え』というのは日本人というか非キリスト教圏のアジア人には実感として分かりにくいものだと思います。

異性の親を性的に独占しようとするエディプス・コンプレックスとその原動力のエス(本能)が、同性の親の存在感と影響力によって挫折することで、性的な倫理観を含む善悪の判断基準としての『超自我(superego)』が形成されます。超自我は自分が倫理規範(道徳律)に照らし合わせて悪いことや間違ったことをしてしまったのだという『罪悪感』を形成するのです。この罪悪感は精神分析の各理論で繰り返し出てくる概念であると同時に、西欧社会のキリスト教文明に約2000年にわたって蓄積された『原罪』を持つ人間性の規定です。

キリスト教の原罪は、エデンの園において人類の祖であるアダムとイブが、神の命令に逆らって『禁断の実(知恵の実)』を齧った創世記のエピソードに起源があるとされます。イブは蛇にそそのかされた事で、善悪の分別を知るようになる知恵の実を齧ってしまい、アダムはイブにその実が美味しいと勧められて口にしてしまうのですが、禁断の実を食べた二人は神の被造物でありながら、善悪や恥を自覚する『自我』を持つようになってしまうのです。

神の創造した世界の中でただその命令や言いつけに従って永遠に生きる定めにあった人間は、禁断の知恵の実を齧った事で『自我(自由意思らしきもの)』を備えるようになり、自分の判断によって『有限の寿命がある人生』を生きていかなければならなくなりました。






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