新田次郎『孤高の人 上・下』の書評2:社会人登山家の嚆矢となった加藤の友人関係と孤独感

漁師町の兵庫県美方郡浜坂町で産まれた加藤文太郎は、元々は海・泳ぎに親しみを持っていたが、18歳から独自に山登りを実践しはじめ、20歳の段階で和田岬の寮を朝早くでて、横尾山、高取山、菊水山、再度山、摩耶山、六甲山、石の宝殿、大平山、岩原山、岩倉山、宝塚までの片道50キロを縦走し、その日の夜までに17時間で和田岬に帰ってくるという『六甲全山縦走』を成し遂げて登山家の素質の片鱗を覗かせた。

加藤はプロの専業登山家ではなく、神港造船所(三菱重工業の前身の三菱内燃機製作所)に尋常小学校卒の研修生から勤め始めたサラリーマン登山家である。当時の登山は経済的・時間的に余裕のある『大学生・エリート層・富裕層』がするスポーツであったため、加藤のような一介のサラリーマンが休暇を取って単独で登山をするというだけで異色の存在であり、『社会階層』が違うための山での差別のような昭和初期の時代背景も描かれている。

しかし加藤は、製図工の研修生として懸命に勉強しながら働いて優秀な成績を修め、会社の費用で兵庫県立工業学校夜間部を卒業し、同期の中で異例の出世を遂げて『(船舶設計・内燃機関開発の)技師』になっている。大卒ではない加藤のキャリアでは大半の人が技師にまではなれなかったのであり、登山だけでなくサラリーマンとしての仕事でも、独力で自らの道を粘り強く切り開いていった人物なのである。

加藤は結果として、登山を特権階層から大衆化していく『社会人登山家』の起点となるような歴史的役割も果たしたが、本人からすればただ好きなこと、熱中できることを徹底して突き詰めてやり遂げただけであり、当時の企業社会に浸透してきていた『階級闘争史観・共産主義運動(赤化の労働組合活動)』には無関心でもあった。

『孤高の人』では、加藤が勤務している神港造船所内での同期生(主義者)による共産主義運動の勧誘と官憲による治安維持の取締まり(共産主義弾圧)も一つのテーマになっている。加藤は共産主義者の集まりであるとは知らずに、同期の金川義助(かながわぎすけ)が執拗に勧めてくる『勉強会』に出席してしまい、特高警察から目をつけられて不当に身柄を拘束され暴力を受けたりもするが、その経験を機に階級闘争や大衆運動を前提とする政治活動からは距離を置き『山』に専念するようになる。

一時は共産主義の革命思想にかぶれた金川義助も途中で変節してしまい、女好き・博打好きのゴロツキのような生活を送るようになっていくのだが、この金川という人物は園子という女と付き合うようになり、『宮村健の恋煩いの苦悩(死の冬山登山にいかざるを得ない衝動)』の原因にもなっていくのである。

神港造船所の会社で知り合う様々な人との出会いと別れ、苦悩、迷いなどの『人間ドラマ』の描写にも躍動的なリアリティがあり、『自力救済の単独行で登っていく山のシンプルな清々しさ』『思うに任せない人間関係や恋愛の葛藤』とのコントラスト(対照)が鮮やかで印象に残る。加藤文太郎が心を閉ざし気味になる契機(きっかけ)の一つは、寮生活で親しくしていた同期の友人が相次いで去ったことにもあった。友人の木村敏夫(きむらとしお)は上司の影村一夫(かげむらかずお)から陰湿で不当ないじめにあって会社を退職して実家に帰ることになった。

もう一人の友人の新納友明(にいのともあき)は加藤に『地図遊び』という地図の景色をイメージしながら長距離歩行をする楽しさを教えてくれたのだが、その新納は結核を発病して若くして亡くなってしまう。加藤の認識では友人だった木村も新納も共に自分と同等の仕事の才能や可能性を持っていた人物であり、加藤からすれば自分が技師になれたのだから木村が会社に残り(影村のいじめを受けず)、新納が病に倒れなければ、彼らのほうが先に技師になって前途が開けていたはずなのにという忸怩たる思いがあった。

人間の人生の予測不能な理不尽さと困難を思わずにはいられない加藤は、自然に独りだけで誰も伴わずに自己完結的に活動することが増え、新納が教えてくれた5万分の1の地図を持って何十キロも歩き回り、その歩いた道を赤く塗り潰していくという『地図遊び』が加藤の登山を支える脚力と地図の読図の基盤になるのである。

木村敏夫の不本意な辞職に悔しさを噛み締め、新納友明の病気による不慮の死に人生の不公正さと虚しさを感じた加藤の抑圧された“対人欲求・生の意味を求めるエネルギー”が、フィジカルな極限状態に自らを晒す過酷な冬山登山の原動力となり、加藤文太郎は自らの創意と発想、訓練法を駆使しながら“不世出の登山家”としての非公式のキャリアを次々と積み重ねて、登山界を激震させていく。

会社の中で協調性を見せずに同僚から孤立しがちな加藤の事を心配している温厚な上司の外山三郎(とやまさぶろう)も登山家であり、それとなく加藤を『本格的な山の世界』へとガイドしていき、関西山岳界の大物である藤沢久造(ふじさわきゅうぞう)にも引き合わせる。外山三郎は大正~昭和の家族主義的な企業における義父的な役割も果たしている人物であるが、加藤は自分の登山家としての潜在的な力量を高く評価してくれる外山にも藤沢にも完全に心を開くことはなく、オフィシャルな山岳会にも参加することはない。

藤沢が指導している仲間とザイル(ロープ)をつないでハーケンとカラビナで急崖を登っていくロッククライミングの練習風景を見せられた時にも、加藤はその風景に違和感を感じ、『自分が山登りをする理由は独りで汗を流すためであり、他人と一緒でないと登れないようなところには自分は登らない。私はこういった他人の助けを必要とするロッククライミングはやらないでしょう』と反射的に拒絶の返答を返すのである。こういった自尊心と他者不信に根ざして『他人の助力・同情』を拒絶する孤高のスタンスは、現代人の他者と折り合えない孤独感のメンタリティにも相通じるものを感じさせられる。






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