村上春樹『1Q84 BOOK1<4月―6月>』の書評3:さきがけの宗教団体化と天吾の親子関係の記憶

自然と共に生きる有機農業を精力的に行う『さきがけ』の評判は高まり、深田保を慕って農業生活を送りたいという人々や家族が次第に増加して農業コミューンは大きくなっていったが、初めに深田保の共産主義的な政治思想に感化されて参加していたメンバー(学生)は『非革命的・非政治的になったさきがけ』に不満を覚えるようになる。

そこで武闘派の過激分子が集まって『あけぼの』という革命指向の分派を作り1976年に分裂することになる。穏健派で自然の中で農業を中核とする自給自足の共同生活を理想とする『さきがけ』と武闘派で資本主義社会を暴力革命によって転覆することを目的とする『あけぼの』が分裂して、段々と相互の交流が途絶えていったが、深田保は自らのかつての共産主義の理論や革命指向のプロパガンダが学生を過激派に仕立てていった事に責任を感じ続けていた。

世俗の現実社会と隔絶した山奥のコミューンで、『あけぼの』の過激派たちは本格的な武装訓練と思想教育を繰り返し、遂には本栖湖近くの山中で警官隊と激しい銃撃戦を引き起こす大きな事件を起こし多くの死傷者を出して自滅した。地域や現実社会に開かれた穏健で友好的な農業コミューンであったはずの『さきがけ』のほうは、武装革命を掲げて自滅していった『あけぼの』とは違う形の変質が起こり始め、外部との交流を遮断するようになる。その頃になると、戎野先生とさきがけのリーダーの深田保の文通も途絶えるようになり、娘の深田絵里子(ふかえり)が逃げるようにしてさきがけのコミューンから離脱して、戎野先生の自宅にやってきたのだ。

自給自足の共同生活を送る農業コミューンであったはずの『さきがけ』は、1979年にいつの間にか『宗教法人の認可』を受けて閉鎖的・排他的な宗教共同体へと変化していたのだが、リーダーの深田保を良く知る戎野先生は『深田は科学的論理的な人間で宗教を生理的に嫌悪しており、絶対に宗教法人の認可を求めるような人物ではない』という。ふかえりは10歳の時に戎野先生の家を訪ねてきて保護されたのだが、それ以降、深田夫妻からの連絡は一切なく7年間も音信不通の状態が続いている。もしかすると深田夫妻は『さきがけ』内部での地位をクーデターか何かで失って、そのまま本人の意志に逆らって長期監禁されているのかもしれないし、悪くすれば既に生存していないかもしれないと考えるのが妥当な状況である。

『1Q84 BOOK1』の天吾の章で提示される大きな謎は、深田絵里子(ふかえり)と『さきがけ』との関わりあいの中から紡ぎだされるものであり、現実社会から隔離された秘密主義の宗教教団となった『さきがけ』の内部で一体何が行われているのか、どうしてふかえりは『さきがけ』の中で心に深い傷を負って異常に寡黙になり教団から逃亡しなければならなかったのかということである。ふかえりの父親で『さきがけ』の理論的指導者であったはずの深田保は、なぜ外部に連絡さえ出来ないような状態になっているのか、7年間にも及ぶ音信不通の真相はどこにあるのかという好奇心も掻き立てられる絶妙な構成になっている。『さきがけ』という不気味で閉鎖的な教団の謎が、ふかえりが書いた『空気さなぎ』の小説に投影されているという見方が出され、『空気さなぎ・リトルピープル・盲目の山羊』などの意味深なキーワードが次々と提示されることになる。

作家志望の天吾もまた殺し屋である青豆と同じように、『平均的な幸福追求の生き方(就職・恋愛・結婚・出産育児などのライフイベント)』からかなり遠ざかった特異な人物であり、青豆が『証人会の信者の家庭で育った違和感・大切な親友を亡くしたトラウマ』を抱えているように、天吾は『NHKの集金人の父に毎週日曜日に集金を手伝わされた不自由な過去・母親が父親ではない男に乳首を吸わせている(覚えているはずがない)乳児期の記憶』に囚われている。青豆も天吾も子ども時代の明るく楽しい思い出が極端に少なく、両親との親子関係から受けた恩恵や希望というものが殆どない。そして、青豆も天吾も『特定の異性』と恋人のように親密で情緒的な関係を深めることはなく、その結果としてセックスをする相手はいても恋人としての異性がいない状態が続いている。

青豆は初めての暗殺をきっかけにして『不特定多数の中年男性』との性愛で鬱屈した感情やわだかまりを発散するようになり、天吾もまた(自分が母親に愛された記憶がないがゆえの)マザーコンプレックスを投影したような『10歳年上の人妻の女性』との不倫で自然に湧き上がる性欲を淡々と処理している。二人とも異性を通して蓄積した性欲を処理するという以上の人間関係を築こうとはしないし、特定の異性への情緒的な思い入れを意図的に回避しているようでもあるが、天吾の嫉妬深い年上の彼女(人妻)は天吾のことを『あんたにはこの世界のことがなんにもわかっていない』と評する。

そして、その彼女は『1Q84』で何度もでてくる共産主義(農業コミューン)や新興宗教のユートピアニズムの幻想を打ち砕くかのように『ここではない世界で、人々はここにいる私たちとだいたい同じようなことをしている。だとしたら、ここではない世界であることの意味はいったいどこにあるのかしら?』と天吾に問いかける。過去の両親との関係で幾つもの納得がいかない思いや傷つきを感じている天吾は『ここではない世界であることの意味は、ここにある世界の過去を書き換えられることなんだ』と、過去のやり直しの願望を彼女に吐露するのである。

青豆も天吾もどこか現実離れしたライフスタイルで、自己アイデンティティを拡散させつつ、『ここではない世界』での自分の可能性を見つめているような感覚を受けるが、カルト宗教の『さきがけ』もまた『ここではない世界』での楽園や解放、至悦を夢見ているのだろうか。青豆に暗殺を依頼している麻布の老婦人が、中年男性との遊戯的な性愛を楽しんだ後の青豆を見て、『もっと普通の幸福』を求めてみてもいいんじゃないかしらといった発言をするのだが、青豆と天吾は世間的に目標とされている『普通の幸福』からは遠い地点で必死にもがきながら生きている。

『1Q84 BOOK2』では、巨大なカルト宗教として成長している『さきがけ』の謎がふかえりの小説『空気さなぎ』の内容とどのように結びついてくるのか、『普通の幸福』から遠い地点で特定の異性との情緒的結びつき(愛着)を避けるようにして生きている青豆と天吾の運命がどのように重なってくるのかが非常に楽しみになっている。だが、『新興宗教・裏稼業の暗殺・母性剥奪の疎外感(マザーコンプレックスのねじれ)』といった現実社会や普通の幸福との距離を開かせる要素が、青豆と天吾に悲劇的な展開を準備しているような予感もまた強い。『1Q84』はかなり読むのが遅くなってしまったが、またBOOK2とBOOK3を読了した時にでも、追加的な感想を書き残しておきたいと思う。






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■書籍紹介

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