やる気を生む内的モチベーションと外的インセンティブ1:無償で行動する人・強制されて動く人

人間はなぜ大変なことがあっても努力するのか、どうすれば苦しみや負担の少ない努力ができるのかというテーマについて、前回の記事で考えてみましたが、人間が努力する根本的な動機づけには『低次の生存欲求・安全欲求・帰属欲求』だけではなくて、『高次の承認欲求・自己実現欲求』が関係しています。

アブラハム・マズローの欲求階層説では、低次の欲求では『自分自身だけの生存・安全・快楽』を高めるシンプルな幸福追求が目的になっていますが、高次の欲求では『自己と他者との関係性の深化・自分の能力向上と社会貢献(他者の喜び)の統合』といった社会性・向上心に根ざしたより複雑な幸福追求が目的となっています。

『労力・時間のコスト』を必要とする人間の行動(努力)は、従来の行動主義心理学ではI.P.パヴロフの『レスポンデント条件づけ(古典的条件づけ)』B.F.スキナー、C.L.ハルの『オペラント条件づけ(道具的条件づけ)』によって説明されてきました。

しかし、これらはいずれも外部的な刺激・報酬に依拠した『他律的・反応的な条件づけ』であり、人間の『内発的・自律的なやる気(モチベーション)』を十分に説明することができない限界を持っています。オペラントは自発的な行動という意味ですが、実際には『飴と鞭の原理(報酬と罰に対する反応)』を環境条件と人間の反応を観察して理論化したものですから、『外的な報酬・直接の利益』に頼らない自発性ややる気までは範疇に含まれていないのです。

近代社会では『自己利益を最大化しようとする』というホモ・エコノミクス(経済人)の行動原理が前提とされていたので、行動主義心理学もその影響を少なからず受けていますが、工業化社会から情報化社会に産業構造がシフトしてくるに従って、伝統的なホモ・エコノミクスの人間観からは説明困難な『自発的な行動・積極的な社会貢献(集団貢献)』が多く見られるようになってきました。

ウェブ上での人間の行動を見ても、Wikipediaの百科事典的な項目の作成編集を丁寧に行う人がいたり、LinuxやFirefoxのオープンソース活動に参加して優れたプログラムを書き改良する技術者がいたり、Yahoo!知恵袋・OKWave・発言小町などのQ&Aサイト(相談サイト)に寄せられた質問に詳しい回答やアドバイスを返してくれる人がいたりしますが、それらの行動には直接的な金銭報酬(経済的な利益)が関与していません。これらの無償の行動は、不特定多数の利益になっていたり相談者の悩みの緩和につながっていたりしますが、オープンソースで作成されたブラウザやソフトウェアの品質・性能が必ずしも有料のシェアウェアより劣っているわけではなく、無償だからといって『仕事・回答の明らかな手抜き』が行われることがないという点にも特徴があります。

ウェブ上で作成されている有益な情報や記事の多くも無償労働ですが、これらの行動の動機づけは『自分自身がやりたいと感じるから・参加して協力することが楽しいから・自分の能力や知識が誰かの役に立つのが嬉しいから・創造的な仕事の感覚や他者からの承認を得られるから』といった内発的・自律的なモチベーションになっています。仕事内容と仕事量、生活状況(経済状況)によって、何が一番強い動機づけになるのかは変わりますが、時に『高額報酬によるインセンティブ』より『内発的・自律的なモチベーション』のほうが上回るという体験は珍しいものではなく、自分がやりたいことや満足できることをリラックスした“フローな精神状態”で行っている時に、創造的・知的な仕事の効率性は高まるのです。

正の強化子である“報酬(快の刺激)”を与えるとその行動の生起頻度が高くなり、負の強化子である“罰”を与えるとその行動の生起頻度が低くなるというオペラント条件づけは、『工業社会(製造業)の労働現場』における動機づけを説明する理論としては説得力があります。定型的・義務的で体力や忍耐力を必要とするルーティンワークの多くは、家族・恋人・友人知人などへの協力行動を除けば、通常は無償労働で行われる確率が極めて低い仕事だからです。工場での加工運搬・梱包の作業や工事現場での肉体労働、事務所でのデータ入力や電話応対などを、1日8時間、無償でやってくれといってもその条件で納得する人はまずいないことは明白であり、自己抑制や忍耐力を要して自己表現・能力活用の余地が乏しいルーティンワークでは『オペラント条件づけ』の行動原理が相当に強く働きます。

工場のベルトコンベヤーでの流れ作業や決められた作業の分業体制で、労働者を効率的に管理する仕組みとして考案されたのがフレデリック・テイラー(Frederick Winslow Taylor, 1856-1915)『テイラーシステム(科学的管理法)』であり、テイラーシステムは『課業管理(ノルマと報酬)・作業標準化(マニュアル化)・作業管理に最適な組織形態(管理と現場の部署の分離)』という3つの要素を基軸として成り立つ労働者管理・監視のシステムでした。これは第二次産業分野の『マニュアル的に指示される労働及びノルマ達成』に対しては、非常に効率的な管理手法として機能しましたが、第三次産業分野のバリエーションが豊かで個人の発想力・知識の応用が問われる知識労働には殆ど有効に機能しませんでした。

オペラント条件づけは、指示された内容をこなしていく義務的な仕事・作業に関しては有効ですが、自分自身で何をやるべきかを考えながら、発想力・構想力・専門知を活用するような仕事にはそれほど有効ではありません。仕事そのものに面白さや好奇心を感じられないような時には、インセンティブ(報酬)とペナルティ(罰則・減収)を与えることで、人間のモチベーションを高めることができますが、仕事の複雑性や知識の活用度が増すようなケースでは、外部の報酬やペナルティによって人間の仕事効率をコントロールすることは基本的にかなり困難なのです。

F.テイラーのテイラーシステムは『面白くない退屈な仕事・働きたがらない怠け者の人間』というかなり悲観的な前提の元に考案された労働管理システム(マネジメント論)ですが、MITの経営学教授だったダグラス・マクレガー(Douglas Murray McGregor, 1906-1964)『XY理論』でこれとは対極的な人間観を提示しています。

D.マクレガーが著書『企業の人間的側面』で分類した“X理論”と“Y理論”の典型的な特徴というのは以下のようなもので、A.マズローの欲求階層説(ヒューマニスティック心理学)を参照して構築された人間観でもあります。XとYそれぞれの理論に属する労働者に対しては、当然にマネージメント(人材管理)の方法も異なると考えました。X理論とY理論は完全に二元論的に分類されるものではなく、ある労働者がX-Yの軸のどちらに近いかを大まかに判断する相対的な指標として位置づけられています。

X理論(統制・指示による管理)……低次の欲求(生存・生理的欲求・衣食住)を満たそうとする動機づけを持つ人たち。『人間は本来怠け者で、責任感や自律性がなく、強制しないと仕事をしない』という性悪説的な人間観に根ざす理論。従業員(労働者)を積極的に働かせて生産性・効率性を高めるためには、オペラント条件付け(道具的条件付け)の報酬と罰の強化子(刺激)を用いなければならないとする。

Y理論(目的・自律性の尊重による管理)……高次の欲求(所属と貢献の欲求・承認欲求・自己実現欲求)を満たそうとする動機づけを持つ人たち。『人間は本来、価値を創造したがる働き者であり、積極的な知的好奇心と主体的な自己実現欲求を持っている』という性善説的な人間観に根ざす理論。やりがいのある創造的な仕事を与えて、良好な職場環境と人間関係を整理すれば、自分で目標を見つけて意欲的に仕事に取り組み始めるとする。

作家や漫画家、画家などにとって『報酬の大きさ』も魅力的ではありますが、報酬が大きければ大きいほどモチベーションが高まって良いアイデアが出たり、それまでよりも素晴らしい作品を完成させられるかといったらそうではないでしょう。

幾ら外部的な報酬が良くても、自分が書きたい作品のテーマやジャンル、世界観とは全く異なるものを書いて欲しいと指示されれば、自発的・内発的なモチベーションは低下して、『やらされているという感覚・対価のある業務としてこなすという意識』のほうが強まってしまいます。金銭報酬を受け取ることで責任感は強まるので、一定以上のクオリティで作品は完成させるでしょうが、クリエイターとしての作家本来のオリジナリティや発想力が生かされる程度は小さくなる可能性もあります(モチベーションや主体性の高低とは関係なく商業的には成功する例もありますが)。






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