平野啓一郎『ドーン』の書評:“分人主義・顔認証検索・宇宙開発”から予測される近未来

宇宙船ドーン(Dawn)による世界初の有人火星探査の成功、人々のイデオロギー(基本的価値観)の分断を鮮明化するアメリカ大統領選挙、自己アイデンティティが複数化する『分人主義(ディビジュアリズム)』の拡大、地球からは見えないドーン船内の人間関係のドラマ、アメリカの貧困層の兵士化と戦争ビジネス……ハリウッド映画でキャスティングされても違和感のないような壮大なスケールで、2030年代の近未来を舞台にした小説『ドーン』は書かれている。

平野啓一郎氏の題材とする小説のモチーフは多種多様で、ショパンとドラクロワの芸術的創造性とその波乱の生涯を描いた『葬送』では、その豊かな想像力と緻密な構想力は『過去へのベクトル』を志向して揺るぎなく伸びている。普通、『過去へのベクトル』の想像力を伸ばしたり細かな歴史資料を調査するのが得意な作家は、歴史小説・伝記小説の分野の作品ばかりを集中的に手がけることが多いが、『ドーン』では平野氏の『未来へのベクトル』を志向する想像力や構成力の卓越さを味わうことができる。

『分人主義(dividualism)』というのは、人間は一貫した連続性と統合性を持って生きる『個人(individual)』ではなく、相手や状況、場所、目的、欲求によってさまざまな『部分的な自分(無意識的に役割演技する自分)』を使い分ける『分人(dividual)』であるという人間観を肯定する思想である。

分人主義を肯定するか否かを問わず、現時点においても、『家庭・職場・学校・一般社会』の間で私たちは『違う顔や態度』を無意識的に使い分けざるを得ない。いつどこでも誰にとっても『同じ自分』としての自己アイデンティティの連続性というのは、ある意味では仮想的な概念・自意識に過ぎなかったりもする。

『個人』と『分人(ディヴ)』の断絶は日常生活の中でほとんど意識されることはないが、自分の知らない場所や時間に生きている『分人』が、自分がよく知っているその『相手』と全く違う言動をしていた時に、人間は強い不安感や不信感を覚えることになる。どんなに愛していてもどんなに信用している相手であっても、『自分の知らない相手の顔(=分人)』があるというのが、『ドーン』における重要な人間関係の複雑さの前提になっている。

共和党大統領候補の保守的なローレン・キッチンズは『旧き良き人間関係の素朴な生活・信頼・責任』を取り戻すために、複数の分人を自由に使い分けて生きるという『分人主義』を徹底的に批判する。一方、民主党大統領候補のグレイソン・ネイラーは誰もがTPOや人間関係の質に応じて『分人(ディヴ)』を使い分けなければ現実に適応できず、分人は『価値観の多様性・現実の複層性』を反映した現象に過ぎないとして分人主義に肯定的な姿勢を示す。

こういった議論は、少し前にネットで頻発していた『実名‐匿名論争』にもつながる要素があるが、インターネットにおける実名主義というのは『ドーン』でいえば『保守的な個人の統合』と親和性を持ち、匿名主義というのは『リベラルな分人(ディヴ)の多様性』との親和性を持っている。

いつ何処にいても誰と向かい合っている時でも、『個人として統合された唯一の“私”』でいることは、少しずつ困難な時代になっているのかもしれない。だが、『分人として多数化された複数の“私”』が当たり前になってくると、夫婦・恋人・親子・親友といった密接度の高い関係性における信頼の揺らぎが問題として立ち現れてくる。

エリート医師でNASAの宇宙飛行士になった佐野明日人(アストー・セイノ)と妻の今日子との夫婦関係の亀裂が、本書の主要なテーマの一つになっている。そこにも分人主義による相互不信が絡み合ってくるが、以下の今日子の発言が印象的である。


『人を好きになるって、……その人のわたし向けのディビジュアルを愛することなの?それを愛するわたし自身もその人向けのディブ?分人?インディビジュアル同士で愛し合うって、ひとりの人間の全体同士で愛し合うって、やっぱり無理なの?そこに拘るのって……子供じみた、無意味なことなの?』

彼女は両目に力を込めた。

『説得しようとしてるんじゃない。アストーの考えが知りたいの。宇宙に行ってた二年半の間に、何があったのか、本当のところはわたしは知らない。火星にいたアストーのディブがどんなだったか、それは分からない。全部言えるはずがないことも理解してる。でも、何かを隠していて、それで苦しんでるんなら、……それを無かったことにできなくて思い悩んでるんなら、……』
『今日ちゃん、……』

『わたし自身が、アストーのそのディヴを受け止められるのかどうかは分からない。わたしたち、それでダメになるかもしれない。……アストーだけじゃない。わたしにだって、その間に、この街で過ごしてたディヴがあるから。……』

平野啓一郎『ドーン』のp134-p135


分人主義が常識化する時代背景の中で、『特定の相手との愛情・信頼』をどう築き上げていけば良いのかという問いが突きつけられるが、アストー(明日人)の内面で妻に打ち明けられないわだかまりになっているのは、火星に向かう宇宙船ドーンで起こったある出来事だった。アストーがドーンのクルーとして宇宙空間で過ごした二年半という歳月は、『閉鎖的な人間関係』の中でしかコミュニケショーンできないという強いストレスに晒された月日でもある。有人火星探査の途中で、女性クルーのリリアン・レインが妊娠したという噂が『ウィキ・ノベル(膨大なアクセスを集めるウィキペディアの同人小説版)』から急速に広まり、妊娠させた嫌疑がアストーとノノ・ワシントンに掛かることになる。

東京大震災によって明日人・今日子の子である太陽は亡くなったが、『AR(添加現実)』というその人間のリアルな成育過程をシミュレーションして3D映像で再現できる技術によって、太陽はバーチャルリアリティの映像として生き続けている。それ以外にも、民主党のグレイソン・ネイラーが普及を進める、敵を殺さずに意識を消失させる『代替銃』など、SF小説の雰囲気を感じさせる文明の利器・ITサービスが色々と登場してくる。本書のメインストーリーに絡んでくるのは、24時間以内に死亡する『致死性のマラリア』を感染させるハマダラ蚊を改良した生物兵器だが、アメリカの軍産複合体や戦争ビジネス(貧困ビジネス)の問題にも触れている。

著者はインターネットの出会い系をモチーフとした『顔のない裸体たち』を上梓しているが、この作品から既に、現代を生きる人間は一貫した連続性のある自分では有り得ないという『分人主義のアイデア』が兆していたのではないかと思う。ネット社会に生きる私たち自身も『個人としての自己アイデンティティの複数化』を実感する機会は少なくないし、『HN(ハンドルネーム)を使いたいという匿名性の欲求』こそがリアルの自分とは違う、もう一つの自分や世界(関係性)を手に入れたいとする分人主義の現れでもある。

小説『ドーン』では“分人主義の普及・進展”が未来社会のビジョンとして語られているが、これはネット社会や相対主義、科学技術の延長戦上に到来する可能性が低くない未来像であるようにも思う。分人主義の複雑性を高める容貌の整形手術の技術として『可塑整形(幾つかの顔に変えられる可塑性のある整形)』があり、分人主義の多数性を縮減して分人(ディヴ)を“単一の個人”へと統合しようとするウェブサービス(顔認証検索エンジン)として『散影(divisual)』が創作されている。

分人主義を徹底して貫こうとすれば、『ある分人とある分人とが同一人物(個人)であること』が分からない技術があったほうが良いということになり、そこで開発された技術が『可塑整形』である。可塑整形は整形をしても整形前の顔に戻したり、複数の整形後の顔を使い分けたりできる分人主義を徹底できる技術であり、『複数の顔』を物理的に使い分けることができるので、一人の人間が『複数化した人生と人間関係』を生きることができるという極めて特殊な創作上の仕掛けになっている。

『可塑整形』のニーズは、『散影(divisual)』という人間の顔を検索する顔認証検索サービスによって高まる傾向にある。散影という検索エンジンは、Googleと情報管理社会を結びつけるようなイメージともつながっているが、『防犯カメラ・監視カメラに映った顔の映像』を検索してつなぎ合わせることができる検索エンジンで、その人物が『いつどこにいたのか』をピンポイントで知ることができ、複数のカメラに映った映像が同一人物であるかどうかも判定してくれる。散影の新機能である『統合検索』では、精度はいまいちであるものの、『可塑整形』をしていてもその人が同一人物であるかどうかを判定できる機能が追加されている。

散影に協力している地域やカメラでしか散影の『顔認証検索』は有効ではないが、家の外を歩いている限りは、ほぼすべてのプライベートな行動が防犯カメラ+顔認証検索エンジンにトレースされている監視社会に近づいている。現在でも監視カメラネットワークの拡大については、『防犯上のメリット』と『プライバシーの侵害』とで対立が起こることがあるが、(権利上・法律上の問題はあるものの)監視システムに顔認証検索が加わると、私有地外における個人のプライバシーは実質的に殆どなくなるだろう。

『ドーン』は近未来におけるアメリカの政治経済や宇宙開発、戦争・外交、IT・科学技術の進歩といった大きな社会的テーマを取り扱いながら、アストー・セイノ夫妻やリリアン・レインらの『家族の物語』をそこに違和感なく感動的なかたちで埋め込んでいる点が魅力的である。科学技術が進歩した近未来社会での自己アイデンティティの拡散(ライフスタイルの分人化)を予期する内容でもあるが、“私”とは何なのかという『人間にとって普遍的な問い』が、“夫婦・家族・恋愛関係・友人”といったトラディショナルな関係性に押し戻されるかのようなエンディングであるようにも感じた。










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■書籍紹介

ドーン
講談社
平野 啓一郎

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