堀江貴文『人生論』の書評:自伝的要素を含む各ジャンルのエッセイやアイデア

堀江貴文氏の自伝的な述懐とエッセイを融合したような体裁の本で、『新・資本論』と合わせて読んだのだが、東京地検特捜部によるライブドア事件についての感想や批判についても多くのページが割かれている。証券取引法違反の容疑が掛けられたライブドア事件に対する解釈や論評は、賛否両論含めてウェブ上にも無数に存在するが、本人の言葉で事件摘発の概要に対する評価・反論が書かれているので、マスメディアとは異なる見方に触れられるのが良いところだろう。

本書は『死生論』『自己分析論』『本質論』『未来論』『教育論』『仕事論』の6章から構成されており、いろいろな分野のエッセイや時評、提言が為されている。自分が興味を持てる章だけを読んでも内容を理解できるようになっているので、気軽に読みやすい。

堀江氏は『人生は諸行無常だと思う』と語るが、仏教の四法印(普遍的な教義・原則)である諸行無常を洞察した時に、人間が取る態度・行動はおよそ二つに分かれる。諸行無常ですべてのものが移り変わり滅ぶのであれば、自分の人生・生命にも絶対の価値はないとする『虚無主義・諦観(自我の放棄)』か、すべてのものが消滅する中でも自分だけは特別な実存(自我意識)であり続けたいとする『人間原理・我執(自我へのこだわり)』へと行き着くことになる。

仏教本体は『色即是空(空の世界観)・中観』を採用する相対主義(認識のパースペクティブ)なので、基本的には『死の恐怖』を乗り越えるために自我と煩悩の滅却を説くが、堀江氏は6歳の時から抱いていた『死の恐怖』を徹底的なリアリズム・技術主義で乗り越えたいと決意している。一見すると、自我を放擲して普遍的に世界を観照する視座を獲得する『悟り・解脱』の境地というのは凡人には得がたいようにも思えるが、多くの人は良くも悪くも現実と必然の要請の前に、『自分の真の欲求を諦める諦観の地点』へと追い込まれるのが普通である。

『悟り』は苦行や学問なんてしなくても、様々な努力の限界を抱えた個人であれば、自然にそこに至るものだという発想もできる。『煩悩即解脱』とは良く言ったもので、人間の多くは自我意識(私)こそが普遍的なものであることを証明しようと努力しつつも、自分が生態系や社会構造、物理法則の一部に過ぎない『相対的な存在』であることをある種の限界の中で感じ取ってしまう。

『人間とはいずれ死ぬものなのだ』というのは現時点ではおよそ例外の無い前提であるが、堀江氏は『“私”が死ぬという前提』をとりあえず保留しつつ、自分の生活を忙殺して死を忘れたり、科学技術の進歩によって寿命を延長させたいとしている。

とはいえ、『人間一般が死ぬという命題』『“私”が死ぬという命題』は類似しているようで全く異なる命題でもあり、『“私”の死』にはそれを観察して評価するような視点が既にして欠落している。自分自身の死は『一回性の体験』はできても『他者への伝達(死の言語的解釈)』ができない、“私”の死が恐ろしいというのは苦痛が大きいからでも身体的な実在性が無くなるからでもなく、『世界・他者と共にある自我意識(認識の視座)』がその時点で永遠に失われてしまうからである。

古代ギリシアの快楽主義の哲学者エピクロスは、『死の恐怖』について『死は生きている者の側には存在せず、死んだ者は死について意識することさえもできないのだから、我々にとって死は恐れるようなものではない』という論理的な反駁を加えているが、自分自身の死の恐怖というのは『他者との関係性や世界を認識する視点の喪失』にあると見るのが妥当だろう。反対に言えば、他者との関係性へのこだわりや世界(社会)に対する興味関心が全く無いというのであれば、寿命による死の到来は恐怖よりも安らぎに近いものになると想定される。

堀江氏は死の運命性を忘れたり乗り越えたりしようとしつつ、『楽しく生きなければ損である』という人生観に行き着き、テクノロジーの進歩によって人間の生物学的限界を克服する未来のビジョンを描いている。現時点ではSF映画のようなアイデアに近いが、延命治療を超えた『自我意識(脳内の自意識・情報)の技術的な転送』『脳内インプラントによるコミュニケーションの進化』などのアイデアは、『身体の限界性の超越(純粋精神の体現)』という古代からの哲学者が夢想した桃源郷でもある。

現在の常識では『身体の有無(そこに知覚可能な身体の存在があるか否か)』によってリアルかバーチャルかが区別されることもあり、一時期はインターネットのコミュニケーションや人間関係さえも『バーチャル・リアリティ』と呼ばれていたことがあるが、精神性(脳)と身体性(身体感覚)のバランスというのはモーリス・メルロポンティをはじめとして、近代・現代の思想の文脈でも注目されている分野でもある。

『第2章 自己分析論』ではライブドア事件についての記述が多いが、著者が既存の社会システムや道徳観念を批判する言動をなぜ敢えてするのかの考えも書かれている。『第3章 本質論』では人間の自然な本能に基づいたライフハックや時間の使い方について書かれていて、仕事や著述で多忙であると思われる堀江氏が『最低でも8時間は寝たいと思っている』という意外な一面も伺うことができる。

結婚と家制度(家督相続)の歴史的経緯を振り返りながら、結婚しない生き方の承認や戸籍制度の廃止論なども展開しているが、この辺は著者の個人主義的な社会観が鋭く反映されているのではないだろうか。『乗客がもっとも必要とする情報が小さくしか載っていない』というJALの搭乗券についての批判はなるほどと思わせられるが、現在ではJALの経営再建(公的支援・企業年金削減)や新経営陣、業態縮小の話題が毎日のようにニュースになっていますね。

『第4章 未来論』では、グローバリゼーションの必然性を前提として、日本経済やIT技術の未来を展望していますが、日本における農業政策の提言やバブル経済のサイクルの短縮化などが興味深いです。『第5章 教育論』では著者自身の小中学生時代を振り返りながら、親・教師から理不尽な体罰や指導を受けた過去を書いていますが、『親・先生が言うことは信じるな』とまで断言できるだけの自力救済の能力やシステムに頼らない覚悟を持っている人がどれだけいるのかという問題もありそうには思います。

厳罰化や規制強化の風潮などから、世の中が異質性・逸脱性を容認しない『非寛容なピュアネス(純粋・潔癖)』に傾きすぎているのではないかという危機意識には共感できる部分もありますが、整理整頓されすぎた社会(システム・法規にがっちりと個人を組み込んでいく管理社会)では個人が自分として存在・競争する意味づけを見失いやすくなるという弊害がでてきやすいですね。

最後の『第6章 仕事論』では、世代間格差の問題やベーシックインカムのアイデアについて述べていますが、『仕事の喜びの発見(労働の社会的道徳)』ではなく『楽しめる仕事の追求(労働の主観的価値)』を優先するというのは著者らしい価値観であると感じました。










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■書籍紹介

堀江貴文 人生論
ロングセラーズ
堀江貴文

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