インターネットの『実名制』はなぜ大多数の個人に広まらないのか?:勝間和代のクロストークからの考察

毎日新聞の勝間和代のクロストークで『ネット上でも実名で表現を』というお題が出されていました。私自身は『ネットにおける実名制と匿名制の長所・短所』については過去の記事でさまざまな観点から考察してきたので、ここでは『ネットの実名制』がどうして記事・人物の信頼性やコミュニケーションの有効性になかなか結びつかないのか、なぜ誹謗中傷と無関係な人でも実名発言を回避するのかを簡単に考えてみたいと思います。

私は『実名』を用いてウェブで記事を書いたり、主張・意見を述べたりしたいという人に対して全く否定的ではありませんが、すべてのウェブのユーザーに実名表記を強制すれば『ウェブの言論の多様性・娯楽性』『ウェブを経由した気楽な人間関係・コミュニケーション』といったメリットの大半を喪失するだろうと予測します。端的に言えば、実名制を義務づけると、ウェブの用途が公共的な議論や内容のある自己主張に制限されていき、ウェブの利用者が大幅に減少してしまうだろうということです。

そして、圧倒的多数のウェブユーザーは『公共的な真面目な議論・価値ある情報発信(自己主張)・ビジネスでの活用』をするためにウェブにアクセスしているわけではなく、リアルの人間関係や仕事から離れた『気楽なコミュニケーション・娯楽的なコンテンツ消費・ウェブ限定の人間関係でのやり取り』をするためにアクセスしているのだという前提を無視することはできません。

公共的目的と私的ニーズが混合するインターネットは、ニュースの伝達という公共的目的がメインであるマスメディアと同列に並べて論じられるメディアではなく、インターネットは正確には『メディア(媒介)』というよりも、個別的なニーズに応える『ツール(道具)』という位置づけに近いものでしょう。その意味では、インターネットの情報空間全体を対象とした『メディアとしての信頼性』というものを想定すること自体が困難なのであり、『メディアとしての信頼性』が問われるべきはインターネット全体ではなく、個別のコミュニティであり特定のURLにならざるを得ません。

例えば、ゴシップやアダルト、新興宗教の布教、異性との出会い、マルチビジネスなどをメインにしているサイト(コミュニティ)で『メディアとしての信頼性』を議論しても原理的に無意味なのであり、メディアの信頼性や情報価値の高低を論ずるのであれば、『毎日新聞のドメイン・個人ブログのURL・SNSの特定のコミュニティ・企業サイトのURL』といった単位で評価していかなければならないのです。

膨大な数の人たちが行っている匿名・顕名のコミュニケーションの大部分は、『誹謗中傷・悪口・罵倒』などではなく、HN(ハンドルネーム)やブログ・SNSと紐づけられたコミュニケーションであり、それなりの交流の歴史を抱えています。長く続けている自分のブログやSNSのホームを持っていれば、『自分のIDを特定するURL』『ウェブ上のハンドルネーム』が結びついていますので、実名にこだわらなくてもそのHNを持つ人物の発言の連続性と履歴は十分に保たれます。

逆にウェブ上でまったく『固定のURL(ブログ・サイト・SNSのホーム)』を持たない人が、『戸籍上の実名』を用いて散発的に発言したとしても、活動履歴の長いHNよりも劣る自己同一性しか持たないということになるでしょう。ウェブ上では基本的に、実社会でよほどの知名度や実績がある人物でない限りは、『発言の履歴がない実名の人』よりも『発言の履歴がある顕名(HN)の人』のほうが発言内容の信頼度や有効性は高いと推測されます。

自分のブログやサイトを持たない実名の人物が、1回か2回、コメント欄や掲示板でコメントを書いたとしても、誰もその人物の名前を記憶しないでしょうし、どこの誰なのかということについて関心も持たれないと思われます。実名ではないHNであっても、一定以上のアクセス数のあるブログやサイトを運営していれば、ウェブ上ではほとんどの実名者よりも、高い知名度と人物の同一性を閲覧者から認識されることになるでしょう。

ペンネーム(芸名)を用いている作家・漫画家・俳優の知名度が、実名を用いている一般人よりも高いことが当たり前であるように、ウェブ上でも長い期間にわたってアクセス数の多いブログ・サイトを運営している顕名(HN)の人のほうが、ウェブ上で発言履歴の乏しい実名者よりも知名度と同一性の高さで勝っているということになります。

『実名で発言したいサイト・相手・議題』『匿名で発言したいサイト・相手・議題』を自由にセレクトできるということが、『ウェブの言論・表現の自由及びコンテンツの多様性』を支えています。『勝間和代のクロストーク』のようにきちんとした議論をするための主催者と場所を準備していれば、実名であっても顕名・匿名であっても、それなりに『情報価値・思考過程を認めることができる発言』が必然的に集積されると思います。

匿名・顕名であることが『情報価値・マナーの無いノイズ』を増やしているのではなく、『コミュニケーションをしているサイト(コミュニティ)の目的・空気・管理と編集の意図』が先にあって、『情報価値・マナーの無いノイズ』が増えやすい環境が作られているのだと私は考えます。

『勝間和代のクロストーク』の投稿にはなぜノイズが少ないのかという理由は、投稿者が実名を公開して書き込みをしているからということもあるでしょうが、『勝間和代・毎日新聞のドメイン・明確なお題(テーマ)の呈示・必要な編集権の行使』という、“公共的・建設的な議論進行の目的性”を象徴する要素が多く揃っているからです。

仮に、勝間和代さんが『これからはペンネームや匿名での投稿も許可します』と宣言して、次のお題(テーマ)を投げかけてみても、現状と大きく変わらない高いレベルで『S/N比(シグナルとノイズの比率)』が推移するのではないかと思います。『ネット上でも実名で表現を』という勝間さんのテーマに寄せられたユーザー投稿の多くで、興味深い考察が行われており有益な情報が提供されていますが、『平均的な文章・内容のレベルの高さ』と反比例するかのように『実名の個人のリアルな存在感』がほとんどといって良いほど感じられません。

実名制を議論しているこのトピックのすべての投稿にざっと目を通しましたが、『投稿内容』で印象に残っているものや参考になったものはあっても、『実名の投稿者のフルネーム』を記憶していた人は一人もいませんでした。フルネームを記憶する必要性を感じないままに読んでいたので当然といえば当然なのですが、自分がそのバックボーンを知らない実名者のケースでは、適当に考えられたHN(ハンドルネーム)よりも印象に残らないことが多いのです。

例えば『山田達也・高橋良子・田中健一』といった知らない人の実名よりも、『黄金の騎士・キューティーハニー・流浪のアウトロー』といった適当なHNのほうがまだ記憶に残りやすいのであり、それは実社会でありふれた実名(氏名)よりも、現実では見かけない変わったHNのほうが注意・記憶・想像力を喚起しやすいからだと推測されます。

インターネットでは実名を公開しているブログやサイトも数多くありますが、よほど知名度が高い人かよほど自分が強い興味を持った人でないと、そのブログを運営している人やコンテンツを作成した人の実名を継続して記憶していることは無いと思います。通販系のビジネスサイトや情報販売サイトでは実名と顔写真を公開しているような人もいますが、数回見た程度でその実名と顔写真を改めて照合できるほどに記憶している人はほとんどいないでしょう。

今まで無数のブログやサイトを閲覧してきましたが、私自身がウェブ上で人物の同一性や発言の連続性を認識している人の多くは、顕名(HN)やブログに紐づけられたIDであり、あるいは人物ではないブログ名(固定のURL)だったりします。ウェブ上の実名が本当の意味で有効(メリット)になるのは、実社会で一定以上の知名度や影響力、実績を既に持っているケースに限られるでしょう。

実名の人同士で個人情報を開示したコミュニケーション(人間関係の構築)をするケースやビジネスの宣伝・人脈の拡大に応用するケースでも実名は有効ですが、一般人が実名で情報発信をしても『誰が言っているか(あの人が書いているからということ)』に注目されてアクセスが伸びることは殆ど無いと思われます。

そのため、ウェブ上だけで仕事と無関係な発言や主張、コミュニケーションをしたいという人にとっては、実名を公開するメリットというのはほとんどなく、個人情報漏洩やストーキング、不適切発言に対する所属企業からの懲戒などのリスクのほうが大きいかもしれません。とはいえ、他の個人情報や身辺雑記を一切出さずに『実名』のみを公開して無難な更新をするのであれば、大多数の人には個人を特定することは不可能ですから、炎上・正義心を煽るような不適切発言をしない限りメリットもデメリットもないということになるでしょう。

社会的な知名度のない個人や『所属(仕事)・履歴・実績・容姿』に際立つ特徴がない個人が実名で議論をしても、実質的に『匿名制・顕名性の議論』を大きく超えるような言論の価値は生まれにくいと思いますが、それは閲覧者のほうが『実名である個人の属性』について何も有益な情報を持っていないからです。仮に、中小企業のサラリーマンであるとか、飲食店でバイトをしているフリーターであるとか、大学生や二児の母親であるとかいうような部分的な属性が分かったとしても、実名で発言して何らかのメリットがあるということは想定しにくいように思います。

医師や弁護士、会計士、大学教授など専門性の高い属性があるのであれば、専門分野についての発言の信憑性が高まる効果はあるでしょうが、一般的なサラリーマン(会社員・公務員)やフリーター、学生、主婦などでは属性と発言の信憑性に余り有意な相関は生まれないでしょう。また、内容を問われる公共的な議論ではなく、SNS・掲示板などで何気ない雑談やおしゃべりを楽しんでいる時には、どのような属性を開示していても余り意味がないということになってきますし、実名であるためにかえって参加しにくい俗的な雑談やプライベートな話題(性や恋愛・人生相談・馬鹿話など)もあろうかと思います。

実名を広く知られることでメリットのある芸能人・政治家・評論家・文筆業(言論人)・創作家などの仕事をしていない(+これからするつもりもない)のであれば、現実の生活や人間関係と一定の距離を置いてコミュニケーションできる『顕名(HN)+固定のURL』のほうが融通が効きやすくて良いようにも思います。

現実社会で仕事をしている人の多くも、『職場・顧客・知り合いなど限られた範囲で実名を公開している』に過ぎないのであって、『不特定多数(社会全体)に実名を常時公開している』わけではないので、いつでも不特定多数の人から閲覧されるウェブで、『実名・属性・発言内容』を公開することに抵抗があることは何ら不思議なことではないとも言えます。

『実名』でなければ受けられないネット上のメリットというのは、『自分の発言や表現に対するフィードバック(言論の評価・仕事の依頼・人脈の構築など)』を、現実の自分や仕事に対して直接的に受けられるということです。ですから、オフラインで仕事が完結していて、ウェブとリアルの人間関係をリンクしたいとも思わない人にとっては、実名で発言する意義というのは乏しくなりますし、オンラインで仕事の依頼や規模を拡張できるような種類の仕事をしている人にとっては、実名発言をするだけの十分なメリットがあるということになるわけです。

大半のユーザーにとっては、HN(顕名)と固定のURLで『人物の同一性・発言の連続性』が確保されていて、継続的なコミュニケーションが取れているのであれば、『リアルとは異なる位相の人間関係・コミュニケーション』が成立していると見なすことができるでしょうし、本当にリアルと接続したい人間関係にまで発展したのであれば、その時点でお互いの実名・属性などの個人情報を交換すれば良いのではないでしょうか。










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■書籍紹介

インターネット2―次世代への扉 (岩波新書)
岩波書店
村井 純

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