『国家と戦争・権力と自由・集団と個人』の歴史的推移とトマス・ホッブズのリヴァイアサンによる政治秩序

軍国主義や全体主義(ファシズム)という言葉があるように、戦争は『国家(支配階層)』の国民支配や領土・利権への欲求、思想教育の統制(集団主義的な同調圧力)、歴史的な怨恨感情、排他的な民族主義の煽動によって引き起こされると考えられることがある。確かに、個人個人がバラバラで『国家・民族・宗教』に生命を預けるような帰属心(忠誠心)を持たず、国家権力の統制・徴兵に服属しないとすれば、『国家間の戦争・民族集団間の紛争』は原理的に発生することが無いというのは論理的に“真”ではあるが、世界規模で見るとそういった経済社会体制や政治状況を実現することは容易ではない。

以下の記事を読んだのだが、『きっこのブログ』のラディカルな自民党批判の当否はともかくとして、一般的見地から国家権力と戦争との相関、国家権力の強度と個人の自由の歴史的推移について考えてみたいと思う。『404 Blog Not Found』の『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の書評は、戦争を国家が人民という資本を投下して行う事業と解釈しているが、この記事は国家と国民の相対的な力関係やパースペクティブ(距離感)を考察する上で興味深い内容である。『戦争』は国家や権力者が主導するものであって、動員される国民はすべて被害者であるという論法は必ずしも正しいとは言えないが、個人が戦争に参加するか否かを主体的に選択できない国・地域が多く残っているという意味では、伝統的な戦争共同体の犠牲者になる国民(個人)がいないわけではない。

伝統的な戦争共同体については後述するが、社会契約・人権思想や外国との相互不可侵の前提がない前近代社会では、人民は戦争共同体の主権者ではなく、政治権力に一方的に隷属する存在に過ぎない。そのため、『戦争(従軍)を拒否する選択』ができない人民は、多くの場合において権力の被害者としての側面を強く持っていたし、戦争に負ければ奴隷にされて更に敵国の軍隊に組み込まれることも多かった。更に、侵略戦争や仮想敵の殺害を『悪』とする価値認識も普及していないため、人民は戦争に参加していなくても、巻き添えになって被害を受ける可能性が高かった。


自民党という錆びた軍国主義

それを選んでしまわぬために - 書評 - それでも、日本人は「戦争」を選んだ


では、近代国家を『戦争の原因』と見なすような政治認識や国家権力を廃絶すれば戦争が無くなるという現実認識は正しいと言えるだろうか。これは現状では、完全に間違った認識と言わなければならず、国内の暴力装置(武力)を独占する近代国家は、基本的には『国内の紛争・内戦』を一掃して、安定的な平和秩序を確立する役割を果たしてきた。

個人が精神的・経済的に自立していて、国家・民族・宗教の同調圧力に完全服従せずに戦争を拒否できれば戦争を抑制できるというのはある種の理想論ではあるが、そういった個人の自由裁量(自由選択)が認められるほど幸運な条件が揃っている国や地域は希少であり、大半の国では国民(個人)が戦争・軍隊に参加するか否かの選択権を与えられていないことが多い。古代~中世の戦争では軍最高指揮官(皇帝・国王)が軍を最前線で率いて戦死することもあったが、近代以降の戦争では加害者になるのも被害者になるのも、権力者・指導層ではなく一般国民であることのほうが圧倒的に多い。

基本的には一般国民が戦争に参加して得られる利益や幸福というのは極めて小さいので、功利的・合理的に判断すれば誰も戦争には参加しないように思えるが、これはそれなりに豊かで平穏な日常生活が送れるという前提があっての判断である。現実には『貧困と教育の欠如・軍の雇用や軍需産業・イデオロギー・報復感情・宗教対立や民族紛争』など各種の要因によって、不利益を蒙るリスクが高い一般国民でも戦争に賛同することがあり、戦争をしたい人(戦争を命令する人)だけが戦争をすれば良いというようなロジックは通用しない。

中立的な情報や人道的な教育、最低限度の文化的生活が与えられた場合には、本当に戦争に参加したいという国民の比率は大幅に下がると予測されるが、戦争行為(軍事緊張)や軍国教育が直接的に支配階層(政権上層部)の利益に結びつくような独裁国(軍事政権)では、国民の生活水準や知識水準の向上に熱心であることのほうが少ない。しかし、国民の大多数が合理的・倫理的・科学的な判断ができる近代人に近づくほど、権力者(政治指導者)が国民に命令できる内容の制限が大きくなってくるということは確かであり、自国と仮想敵国の国民が個人主義的・自由主義的に振る舞うようになれば、宗教や民族の目標・思想教育・歴史認識などを用いて戦争を遂行することは困難になるだろう。

国民を戦争に賛同させやすくする要因としては、『仮想敵の危険・恐怖・憎悪』を実際よりも危機的な状況にあるように見せかけ、自分たちが先制攻撃しなければやられてしまう、相手には一切の理屈や情理は通用しないんだという誤った認識をお互いに煽り立てていく『相互不信の加速・醸成・挑発』がある。利権や国益がかかった国のトップ同士では確かに話し合っても合意に至らないケースは多くあるが、それでも自国民同士を殺し合わせなければ解決できないような問題というのは考えにくい。

究極的には、『相互不信の醸成』が無ければ軍事緊張や国民の好戦的態度を強化することはできないので、軍事緊張や国民の不安を煽り立てたい国の独裁者・権力者は、『仮想敵国との話し合い』に応じることを意図的に拒絶することが多い。国民の憎悪や怒りを集中させている仮想敵国の国家元首や国民が、自国に対して『友好的・協調的・宥和的な態度』を示したり、仮想敵国の国民の大多数が自国に対する特別な敵意や悪意を持っていないことが分かると都合が悪いからである。

そもそも市場経済や文化活動が発達して個人的な趣味・娯楽が氾濫している先進国の多くでは、特定の外国に対する攻撃心や民族的・歴史的な憎悪感情を持続的に持っているという人の割合は極めて低くなるので、自由主義的な国を仮想敵国とする場合には、その国の実情(国民感情・ライフスタイル・人権感覚)を余り詳しく国民に知らせたくないと思うだろう。

仮想敵国との軍事緊張・危機状況の演出によって抑圧的な政権を維持しているような国では、正確な仮想敵国の情報が入ってくると『仮想敵とは話し合いの余地がない・常識や情理が通用しない野蛮で残酷な人間の集団だ』というプロパガンダの説得力が無くなってしまう恐れがあり、直接対話や国家間交流の機会は極力減らしたいということになってくる。相手の政府や国民の大半が戦争をする気など全く無いとか、平和を望んでいて不可侵条約を結びたがっているとかいう事実が、自国の国民に伝わってしまうと、政治的緊張や経済的困窮を緩和するための『想像的な矛先としての外国』が無くなってしまう。そればかりでなく、自国の政権が偏向したメディア番組や教育カリキュラムを介した自作自演で国民を焚きつけているだけだったという仕組みが見透かされる恐れが出てくる。

政治哲学者のトマス・ホッブズは著書『リヴァイアサン』の中で、『万人の万人に対する闘争』を調停するためには各個人が自らの『自然権(攻撃・自衛のための実力行使の権利)』を、超越権力である王権(国家権力)に委譲しなければならないと説いている。統一的な近代国家が成立していない地域では、軍事力を保有する勢力が国内で分散するため、国内の利権と領土を巡る内戦・内紛のリスクは一般に高まるが、トマス・ホッブズが語るように『絶対的な統治権力』が出現することによって国内の平和秩序が形成されることになる(参考記事)。

仮に、国家権力を削減・廃止しても内戦(万人闘争)に陥らない地域があるとしたら、『人権・自由・平和・民主主義』を尊重する近代的教育が十分に普及している豊かな地域で、暴力による問題解決を自衛以外には放棄している集団しか有り得ないだろう。外国や異民族を侵略して財を奪い取る軍事行為が明確に『悪』として規定された歴史はまだ極めて短く、現代でも国民を養うだけの十分な経済力が無い途上国や自民族中心・戦争賛美の偏った思想教育をしている独裁国では、侵略的戦争や異民族(仮想的)の殺害・虐待が必ずしも『悪』として教えられているわけではない。

奴隷の生産力に支えられた『古代帝国』や非生産的だが機動的な軍事力に秀でた『遊牧民族(匈奴・フン・トルコ・モンゴルなど)』、国王権力に対峙する実力を備えた『中世の封建諸侯』、国家権力を一極集中させた『近世の絶対君主(専制君主)』、コロニアリズムで植民地を支配した『近代の西欧列強』、国民教育で国民アイデンティティを獲得して国家の軍事活動を支持した無数の大衆……第二次世界大戦が終結する20世紀後半までは、先進国でさえも植民地獲得(利権目的)や先制攻撃による戦争を『自国の利益』につながる限りにおいて、倫理的・法律的な悪とは認定してこなかった。

外国領土から土地・天然資源・労働力・産業基盤を奪い取ったり、帝国主義的な軍事ゲームに役立つ前線基地・防衛基地を建設するために、実質的な侵略戦争を正当化する様々なロジックやイデオロギーを創出して国民に教育してきた時代が過去にはあったし、現在でもそういう国は残っている。場合によっては、現在の先進国・大国でさえも、自衛以外の目的で複雑な利害関係の思惑を背景にした軍事行動を行うことがある。『自由主義・民主主義・人権擁護』を標榜する先進国であっても、倫理的・国際法的に正当化しがたい戦争をしないとは断言できないが、それでも過去の時代と比較すれば『先制攻撃・利権目的の戦争を容認しない』という国政世論の共通認識は高まっている。

近代初期までは異民族・異文化とのコミュニケーション機会が乏しく、侵略的戦争を絶対悪とする倫理観も弱かったため、国家・共同体は周辺国に対する相互不信に駆られて『侵略・防衛』を繰り返す戦争共同体としての性格を濃厚に持っていた。古代・中世・近世の大部分においては、『食料資源・天然資源・生活物資の生産量』が絶対的に不足している状況が多かったこともあり、いつ他の共同体から攻撃されるか分からないという差し迫った不信感・恐怖感に支配されていた。そのため、各共同体は専門の戦士階級を構成して軍事力を強化したり、やられる前に先制攻撃を仕掛けて相手を制圧したりすることで、自らの共同体(国家)の存続を図らざるを得なかったのである。

そして、『外部(異国)に対する相互不信』『内部(村社会)に対する同調圧力』が強い戦争共同体では、個人の人生と共同体における役割が密接に結びついており、個人が戦争に反対できる可能性は全く無い。前近代的な戦争共同体の社会では、『個人の自由・権利』というものは国王・諸侯・上級貴族のみに認められた特権であり、一般庶民は上位階層の命令を受け容れるという選択しか基本的に許されず、個人・小規模集団が命令を受け容れなければ『謀反・反乱』と見なされて処刑されることになった。

国家権力・支配階層に、自分の意志(希望)に反して『生命・身体・財産の自由(法的根拠があり国民を貧窮させない水準の課税を除く)』まで捧げなくても良いという個人の権利(人権)がはっきりと認められるようになったのは、第二次世界大戦が終結した後のことである。それでも、先進国・自由主義国家と見なされる国の中にも『徴兵制度(兵役)』が残っている国はあり、国家の『個人の生命・身体』に対する支配権が十分に抑制されているとは言えない状況もある。

『自由民主主義・人権思想・国民主権』という近代政治思想の原理に依拠すれば、社会インフラ整備や社会保障制度の運営、福祉行政の目的を実現するための『政府・自治体の徴税権(財産権の部分的制限)』までは生活できないほどの重税でない限りは正当化されるだろう。しかし、国民の生命・健康の自由や思想・行動の自由を直接に侵害する恐れがある『徴兵権・労働徴発権(生命・身体の自由権の制限)』は原則的には容認することが困難であり、現代社会では少なくとも先進国に限定すれば、国民の自由権に反した総力戦のような体制を強制的に整えることは、よほどの危機的事態でも起こらない限り不可能である。

近代国家の権力の正統性と社会の運営、経済活動の原理については、ジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソー、ジェレミー・ベンサム、ジョン・スチュアート・ミル、アダム・スミス、G.W.F.ヘーゲルなどの思想や理論も参照する必要性があります。カール・マルクスを起点として国家や資本主義・私有財産を否定しようとした共産主義思想は、結果として個人を抑圧して道具化する共産党の独裁政権(全体主義)を生み出しましたが、近代思想・市民革命の多くはマルクスも含めて『個人の自由・権利』をどのようなロジックと制度設計・法理念で保障するかがその基盤(動機づけ)にあったと言えます。

政治権力の支配や身分制度による隷属、物理的な拘束から大幅に解放された近代人は『消極的な自由(他者・政府に干渉されない自由)』を謳歌することになりますが、生活水準の向上や経済格差の問題などによって、更に『積極的な自由(政府に社会保障・福祉で保障してもらう自由)』の要請が生まれることになりました。自由主義の本来の意味は、他者に何かを強制(干渉)されることがないという『古典的自由(リバタリアニズム)』にありますが、社会民主主義や福祉国家の登場によって公的支援(社会福祉)によって貧困・欠乏から自由になるという意味の『積極的自由(リベラリズム)』の流れも強まりました。

古典的自由は『精神的自由(自由権)』を保障する性格を持ち、積極的自由は『物理的自由(生存権・社会権)』を保障する性格を持ちますが、同じ自由主義の流れにあっても両者が重視するものはかなり異なり、前者の実現には経済的コストは殆ど必要ないが、後者の実現にはかなりの財政コストが必要になってくるという違いもあります。










■関連URI
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■書籍紹介

それでも、日本人は「戦争」を選んだ
朝日出版社
加藤陽子

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