“Jimdo”の独自ドメインサービスの需要と検索エンジンのアクセス:無料ウェブサービスに求める条件

Jimdo(ジンドゥー)は、実際の完成画面と編集画面が同一のインターフェイスであり『編集したい箇所』をクリックして直感的に編集・更新することができるということで、基本的にはホームページビルダーなどのホームページ作成ソフトにも備わっている『WYSIWYG(ウィジウィグ)』のサービスですね。WYSIWYGは『画面で見えているデザイン・レイア…
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ウェブサイト作成サービス“Jimdo”と個人の情報発信(コミュニケーション)のプラットフォームの変遷

個人がインターネットで情報発信やコミュニケーションをする手段としてウェブサイト(ホームページ)やブログ、Wiki、SNS(ソーシャルネットワーキング・サイト)、掲示板などがあります。正確な年月は分かりませんが、2004~2005年頃から簡易なCMS(コンテンツ・マネージメント・システム)としてブログ(blog)が流行し始め、現在では個人…
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堀江貴文『徹底抗戦』の書評

2006年1月16日に、証券取引法違反の容疑で六本木ヒルズのライブドア本社に東京地検特捜部が強制捜査に入り、その後間もなく、ライブドアトップの堀江貴文社長や宮内亮治取締役が逮捕された。それまでのライブドアは旭日昇天の破竹の勢いで、M&A(買収・合併)や株式分割を繰り返し飛躍的に『事業規模・時価総額』を拡大させて日本のIT業界を牽引してお…
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クリスティーナ・ホール『言葉を変えると、人生が変わる NLPの言葉の使い方』の書評

ジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーが創始したNLP(神経言語プログラミング)という技法を、クリスティーナ・ホールが『言葉の使い方・思考のリフレーミング』をキーワードにして実践的に解説した本である。 NLPが何かというのは簡単に説明するのが難しいが、NLPはカウンセリングや心理療法にも応用可能な『コミュニケーションの実践的ス…
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高齢者はなぜ繰り返し報道される“振り込み詐欺”に騙されてしまうのか?消費の効用と高齢者マーケティング

『振り込み詐欺』の続発から『高齢者マーケティング』の潜在需要を想像している下記の記事を読みましたが、高齢者が振り込み詐欺に騙されやすい心理とシニア向け市場で積極的に消費をしようとする心理というのはかなり異なると思われます。 日本の金融資産の保有比率が50代以上に集中していて、『若者向け市場』よりも『中高年向け市場』のほうが規模が大…
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“名古屋・闇サイト事件”の判決から考えたこと:償いようがない罪の重さと罪の意識の欠如の間にある落差

『闇サイト殺人事件』の被告3人に対して、名古屋地裁は自首した1人(川岸健治)を無期懲役、2人(神田司,堀慶末)を死刑という判決を下した。被害者となった女性は1人であり、永山基準の確立(被害者1人の事件には原則として死刑を適用しない)以降の判例に鑑みれば、死刑判決は重いと言えるだろう。裁判員制度を控えて厳罰化を求める世論が大きくなる中で、…
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中学生・高校生のヘアスタイルや制服はなぜ規制されるのか?“外観の自由”と“生徒の自己管理能力”

ヘアスタイルや服装などを画一化する『学校の校則』が何のために存在するのかという理由については、『工場労働者やサラリーマンとしての社会適応(集団協調のための規律訓練)』という観点から、過去に『でたらめな仕組みで動く社会』の正当性や根拠にまつわる考察という記事を書いた。 最近、学校の校則にまつわるニュースとして、鹿児島県の公立中学の『…
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現代社会における自己アイデンティティの複層性・断片化が生む自由と孤独:G.ジンメルの社会形成の思想

前回の記事の続きですが、社会行動や他者との関係性が一切無い個人を仮定するならば、“私(自我)”は『観察(認識)する精神の視点・延長としての世界をただ認識し続けるもの』に過ぎないということになります。こういった生活実態やコミュニケーション、社会活動のない抽象的個人(精神)の仮定では、どう考えても現実に存在する個人の人生や人間関係の実情を説…
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ルネ・デカルトの近代的自我の発見と“私(自我)”の精神の限界:自己と社会(他者)の相互作用の視点

京極夏彦の『邪魅の雫』では、自分の自我意識が現実世界そのものであるという画家・西田の『独我論』が展開されますが、独我論というのは“私(自我意識)”以外の“他者・物質の実在”を否定する思想です。常識的に考えると、自分以外の他者や外界が実在しないというのは馬鹿げた観念論のように思えますが、“私の意識”と“世界・他者の実在”を切り離すことがで…
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士農工商の身分制度と商業・貨幣蔑視の価値観:中世日本における自由な異界としての“無縁・悪所”

西欧社会と日本社会の歴史を均質的に語ることはできないが、古代社会~封建社会の支配階級としての貴族・武士は『精神的・観念的な価値』に自らの存在根拠を求めている傾向が強く、『物理的な価値』を生み出す農耕・労働の役割は農民・職人・町人・奴隷などに宛てがわれていた。貴族・武士が自認する精神的価値のエッセンスは『いざという事態に際して、死を恐れず…
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適応的な精神機能が低下する“精神衰弱”と完全主義欲求・自己不確実感によって持続する“強迫性障害”

古典的な神経症(neurosis)とは『不安症状・恐怖症状・強迫観念・ヒステリー(心因性の心身症状)・心気症(病気発症の非現実的な不安)』の総称ですが、フランスの精神科医ピエール・ジャネ(1859-1947)は内因・性格要因を重視した『精神衰弱』という概念で神経症症状を理解しました。 精神衰弱とは、対象が特定されない“不安感”が強…
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京極夏彦『邪魅の雫』の書評:“毒の雫”を持つことによる危険な誘惑と男女の別離に絡みつく情念

陰陽師の拝み屋で古書店を営む中禅寺秋彦(ちゅうぜんじあきひこ)が、“言葉の呪力”で『憑き物落とし』をする京極夏彦の京極堂シリーズを何年ぶりかに読んだ。想像妊娠をトリックに用いた『姑獲鳥の夏(うぶめのなつ)』や戦時中の科学研究が絡んだ奇怪な事件を題材にした『魍魎の匣(もうりょうのはこ)』から京極堂シリーズを読み続けているが、最近は新作が出…
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人間行動の予測・制御を目指した行動主義心理学とオペラント条件づけから導かれる“マッチング法則”

20世紀前半に起こった精神分析から行動主義(行動科学)へのパラダイムシフトは、『主観的な内観法』から『客観的な観察法・実験法』への方法論の転換を引き起こしました。行動主義心理学の始祖とされるJ.B.ワトソン(1878-1958)は、人間の心理を外部から観察可能な『行動』のみに集約するという構想を持っていましたが、その理論的前提にあったの…
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シティやAIGの経営悪化を受けた金融危機再燃と世界同時株安。金融の本質と不良債権処理の問題

金融危機後の世界経済の落ち込みに終わりが見えない、依然として厳しい経済状況が続いている。サブプライムローンの焦げ付きやリーマン・ブラザーズの経営破たんから世界的な金融危機(信用収縮)が急速に深刻化していったのだが、現在では日米欧の先進諸国すべてで金融危機と実体経済の悪化がリンケージしており、泥沼の不況から抜け出すことができない。非正規雇…
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“生きる意味”がないと判断する人間理性の問題点と“世俗の雑事・所用”を煩わしく感じる遁世・脱俗の欲求

前回の記事の人間がなぜ生きるのかという問いには、『観念的・客観的な人生の意味』以前の問題として、『生物学的な生存本能・死の恐怖』があるはずであり、大半の人はこの生存本能(死の恐怖)に頭の中で合理的に考えたニヒリズムだけで逆らうことができないので、面白みがなくて意味のない人生(本質的な意味が不在の人生)という風に認知しているとしても、とり…
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“モデルとしての人間”には客観的な生きる意味はないが、“実在する私(主観)”は生きる意味を経験する

人生哲学では『生きる意味や価値』について考える価値命題がテーマにされることがありますが、理性的・科学的にマクロ(巨視的)なレベルで生きる意味の解答を見出そうとすれば『客観的な生きる意味など無い』という悲観的なペシミズムか虚無的なニヒリズムに行き着きます。人間全般に通用する生きる意味について殊更に意識する人は、『客観的な根拠・目標』や『普…
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