平野啓一郎『決壊 上下』の書評:人間の“生きる意味”の錯綜と格差社会に蓄積する無力感の恐怖

格差社会や無差別殺傷事件、将来不安、少年犯罪、ネットでの犯行予告、うつ病の増大の根底にマグマのように蓄積している『ルサンチマン(弱者の怨恨・憎悪)』を文学作品として昇華させた作品であるが、元々どちらかというと暗いトーンの作品が多い平野啓一郎の著作の中でもその陰鬱さと虚無感が際立っている。一応、物語の後半で良介と『悪魔』が対峙する場面では『庶民的幸福の救済と勝利』が準備されているのだが、それでも良介と佳枝・良太の平凡な家庭生活の幸福が突然足元から叩き壊されていくプロセスには胸が痛くなるし、『破滅的な思想』が社会の底辺で喘ぐ人たちに感染していく展開には暗澹とした気分にさせられる。

精神状態が悪い人や社会不満が鬱積しているような人には余りお勧めできる内容ではないが、現代社会の一部に瀰漫する『退廃的・自滅的な空気』を格差社会や観念的思想の位相において切り取っているところにこの作品の最大の特徴があり、『困苦と屈辱に耐えるお前の努力に意味があるのか・この社会のシステムに従属する価値はあるのか』という厳しい問いを異常な社会情勢を通して伝えているとも言える。本書では社会システムや法規範から逸脱して、自分の人生を自ら放棄する犯罪者のアイデンティティを『離脱者』という概念で表現している。

反社会的パーソナリティ障害の特徴を備えた『悪魔』は格差社会の底で自分の日常と将来に絶望している人間たちを、ゲリラ的にシステムを破壊する『離脱者』にすべく煽動し始めるという設定になっているが、その意味ではこの小説を読むべき対象者は『システムの設計者』なのかもしれない。自律的な幸福追求を断念した人間に対して、悪魔は既存の社会システムはお前たちに底辺の屈辱を与えるだけで何のインセンティブも快楽も与えてくれることはない(だから従う必要性はない)と説き、『死』か『犯罪』かという究極の二択を突きつける。

そこには『他者・社会からの承認』を貪欲に追い求めて得られない者たちのルサンチマンがあり、小さな幸福や主観的な喜びのすべてを放棄して『幸せそうな他者』に復讐を果たそうとする陰鬱な嫉妬や憎悪を拡散させていく。平野啓一郎の『決壊』ほど露骨に格差社会における弱者の離脱を扱ったストーリーは珍しいが、実際に現代社会では『希望は戦争』という赤木智弘氏のような論者が出たり、恋人・仕事に恵まれないために自暴自棄になった秋葉原事件の加害者がいたり、初めから就職を諦めているフリーター・ニートが増えたり、既存社会の静的なシステム(社会的アイデンティティに由来する利権構造)からさまざまな形で離脱しようとする人たちが増えている印象がある。

『決壊』で他者を実際に殺す『離脱者』は社会システムへの不適応感や抵抗感をカリカチュアライズしたものに過ぎないが、今ある社会システムや各種の規範に従順に従っていても何ら満足のいく幸福や喜びが得られない(人並みの小さな幸福や異性関係、自尊心さえ得られない)という人たちが増えているということは現代社会が抱える極めて重要度の高い問題だろう。『決壊』では、高学歴・高所得で社会的地位のある人生の『勝ち組』とされる人たち(本作では良介の兄の崇)に対しても『お前の幸福とは何なのか?』という実存的な懐疑を突きつけているが、一つ言えるのは『観念主義的な思想の世界』において『普遍的な幸福』を追求しようとするならば、どんなに優秀な人であってもどんなに成功している人であっても『幸福状態からの脱落』を経験しなければならないということである。

物語のメインの舞台は『福岡県北九州市』に設定されており、私が普段見慣れている地域の地名(小倉・八幡西区の黒崎・戸畑・若松)や風景が多く描写されているが、北九州市を選んだのは平野啓一郎自身が八幡西区の東筑高校に通っていたということも関係しているのだろう。外務省のエリート官僚として理想的な人生を歩んできた兄の崇(たかし)と平凡な化学薬品会社のサラリーマンとして生きる弟の良介(りょうすけ)、『決壊』のストーリーはこの二人の『私生活の対比』を中心にして進んでいく。崇はエリート官僚として着実にキャリアを積み重ねながら、人妻を含む複数の美しい女と気ままに交際して、広汎な分野における博識な知性を持っているが、自分の人生に対して心の何処かに『空虚感・無意味さ』を抱え続けている。両親も弟の良介とは良い関係を築いているが、兄の崇に対しては『頭が良くて親思いの態度を見せる子だけど、何を考えているか分からない不気味なところがある』という微妙な距離感を感じている。

うつ病を発症した鉄工所勤務の父親は、自分の体調を気遣って優等生的な態度を取る崇に対して『俺を見下して馬鹿にするな』と怒りを爆発させるが、崇にはインテリに往々にして見られる絶えず人生や世界をメタ視線(客観的な視線)で眺めて冷静に分析しているようなシニカルなところがある。『知識・思想・情報(データ)』によって人生をメタに分析する癖がついたインテリは『自分自身の人生』を本当の意味でありのままに感情的に生きることが最早できなくなる、何一つ欠点のない『表層的な幸福な人生』を演出している崇もそういった種類のニヒリズムの病に深く感染していた。複数の女性と自由に遊んで世界各地を飛び回っている崇だが、結婚をせず子供を持たない理由には、『弟の良介のような生活世界』に降りられなくなっている精神の閉塞状況があるように感じた。

良介は幼少期から何をやっても完璧だった兄の崇に劣等コンプレックスと憧れを感じていたが、崇のほうは子供の頃から『言葉(知識)の世界』に閉じ込められて完全な調和を保っている自分の人生に言いがたい倦怠感と虚しさを感じている。崇にとっては魅力的な異性とのセックスや金持ちの真似をした消費生活でさえも『ママゴト(意識の箱庭で展開される出来事)』に過ぎないという強迫観念に苦しめられており、『主観的な幸福度』においては崇に憧れている良介の平均的な家庭生活の幸せには及んでいない。及んでいないどころか、観念的理由による自殺さえイメージするほどに崇の精神状態は疲弊しており、『異性(他者)との関係性』の無限な分枝によって自分がいったい誰を好きなのか、どういった状態において幸せだと感じられるのかの方向さえ混沌としているのである。しかし、良介はそのコンプレックスもあって兄の崇と妻の佳枝の不倫を疑っていた。

良介には妻・子との関係性における『愛情』を確信するのに理屈や言葉は要らないが、崇にとっては『一対一の関係の真実性(恋愛・結婚の真実性)』を確証するための理屈や言葉が必要であり、崇は過去から現在までの間に形成された『そつの無い自己イメージ・成功と評される人生の履歴』を否定しようとして否定しきれないでいる。良介の運命の暗転はインターネットで自分のウェブサイトを立ち上げて、そこに“すぅ”というHNで個人的な悩みや問題を日記のように付け始めたことにあったが、そのサイトの掲示板では妻の佳枝も“AI”というHNで参加するようになる。

家庭における生身の夫婦間では全く語られなかった『すぅ(夫)の悩みや兄へのコンプレックス』が、匿名空間であるインターネットでは『見ず知らずの女性であるAI(妻)』に語られる。妻は“AI”という匿名の人格を演じながら、静かに夫である“すぅ”の不満や愚痴、コンプレックスに丁寧に耳を傾けて親身なレスを返信していく。

妻の佳枝は夫である良介が『自分以外の女性』に妻には話せない悩みや内面を吐露していくことにショックを受けて、サイトの掲示板でのやり取りについて義兄の崇にメールで相談することになるが、良介がサイトに『自分が兄より勝っていることは、今、妻や子供がいて幸福だということだ』という書き込みをした頃から“666”のHNを名乗る人物が静かに良介に近寄っていた。良介の書き込みに寄り添って的確な返信を返していく“666”を見て、妻の佳枝は直観的に“666”は相談をした兄の崇が演じてくれているキャラクターだと思い込んだ。そして、その佳枝の断定的な思い込みが兄の崇に弟殺害の容疑者としての疑いがかかる起点になっていくのである。

日本国中のルサンチマンに点火する異常な犯罪計画を立てた『悪魔』のニヒリズムと社会憎悪の思想を延々と聴かされるのはうんざりさせられる部分もあるが、『持てる者』と『持たざる者』との間に絶望的な落差を認知してしまうことで『持てる者の幸福・安定』を破壊しようとする怨恨感情は人類の歴史に影のように寄り添ってきた側面でもある。『悪魔』が真実として語る言葉には『格差社会のシステムに苦しむ者』たちを離脱者に誘う毒素に満ちているが、その毒素や離脱の煽動とは別の位相では『努力すること・システムの歯車になることの無意味さ』を人々に実感させない社会設計を再考察していく必要もあるだろう。

格差社会の最大のリスクというのは、『小さな幸福の可能性・庶民的な楽しみの享受』さえつぶされた個人の増大や『持てる者の説教(持たざる者の自己責任)』に対する不満の蓄積によって、現行の社会システムの足場を支える人たちが離脱する恐れであるというのは一面の真理を突いている。真面目にシステムに従うことが馬鹿らしくなるような個人が増加する状況を放置すれば、『決壊』のリスクは必然的に高まってしまうが、自己責任と社会システムのバランスというのは現代社会に内在する普遍的な問題の一つになっている。平野啓一郎が『悪魔の思想の解毒剤』として準備した『肉体的苦痛に耐える良介の自由意志』が読者の心をどこまで捉えられるだろうか、本書の読後に浮かぶ期待と懸念はそこに行き着く。






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■書籍紹介

決壊 上巻
新潮社
平野 啓一郎

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