“政府(強制)からの自由”を目指す古典的自由主義と“貧困からの自由”を目指すリベラリズムについて:2

リベラリズム(liberalism)は、すべての国民の最低限度の文化的な生活(生存の保障・義務教育の享受・医療による健康・基本的労働権)を実質的に保障する『社会権』を守ろうとする思想になっており、自由主義本来の『他者(国家)に干渉されない放任の自由』とは全く性質の異なる思想になっています。近代史を振り返ると、リベラルな社会権を近代国家が初めて憲法で規定したのが、1919年にドイツ(ワイマール共和国)で成立したワイマール憲法でした。

古典的自由主義は『権力・他者に行動や財産を束縛されない自由』に重点を置いていましたが、リベラリズムは『すべての人間が貧困によって不自由にならない自由』に重点を置いており、リベラリズムでは税金による『財(富)の再分配』によって基本的人権を確実に守ることが実質的自由につながると考えます。社会権を規定するワイマール憲法のような国民保護の憲法を『現代憲法』と呼びますが、現代憲法では国民の最低限の生活と安全を守るために『国家の国民生活や市場経済への介入』が多くなりやすくなるのです。

現代憲法に基づく政治運営では、国家を親、国民を子に擬制するような『パターナリズム(後見的な権威主義・国親思想)』が見られやすくなり、国民の保護と規制が表裏一体のものとして認識されやすくなります。日本史の権力機構を見てみると武家政権である鎌倉幕府や室町幕府は地方の国々に『守護』を設置しましたが、民衆に徴税権・賦役権(徴発権)を行使して政治的に“支配”するということは、民衆を外敵や困窮から“守護(保護)”するということと同義でした。大きな勢力や権力、集団に保護されるということは『自主独立の自由』を一部制限されるということですが、自由を自発的に制限して権力(力ある勢力・人物)に保護されることで一定の自己責任を緩和することができ、相互扶助的なネットワークの一員になれるというメリットもあります。こういった自由と保護(保障)のトレードオフ(交換条件)は人類に普遍的な原則でもあり、他者に委託してより大きな保護と確実な安心を得ようとすれば、それだけ多くの自由を制限される可能性がでてきます。

現代の日本国民の多くは『個人の自由の保障は重要である』と考えていると思いますが、ここでいう“自由”とは“精神的自由”であることが多く、市場原理主義的な“経済的自由”については過半数の人が政治権力(徴税)による財の再分配という経済的自由の制限を承認しています。『所得・資産の大きい個人』からより高率の税金を徴収する累進課税制に賛成する国民が多いのも、富裕層・高所得者層に対する嫉妬や懲罰感情などもあるかもしれませんが、基本的には『生存に必要以上のもの』を持っている人に協力して貰って、国民全体の生存権・社会保障を賄うというリベラリズムの発想に由来しています。

個人の自由は、思想信条・表現・良心・言論・信教の自由などに関連する『精神的自由』と財産・経済活動・貿易活動の自由などに関連する『経済的自由』に大きく分けることができますが、その二つの自由をどのように重視するのかの組み合わせによって以下の4つの思想的立場に分類することができます。アメリカのリバタリアン(自由至上主義者)であるデイビッド・ノランによって考案された精神的・経済的自由を巡る思想的立場の四分類は『ノラン・チャート』と呼ばれています(実際には4つに区切られたクワドラントによって4つの立場が表現されています)。


リバタリアニズム(自由至上主義)……精神的自由を重視・経済的自由を重視・最低限の国家事業(国防・警察・外交)や行政事務のみを行う『小さな国家』と整合

リベラリズム……精神的自由を重視・経済的自由を軽視・政府の経済活動への介入や財の再分配による社会保障を実現する『大きな国家』と整合

保守主義(民族主義)……精神的自由を軽視・経済的自由を重視・『小さな国家』にも『大きな国家』にも整合するが、愛国主義的(共同体主義的)な教育内容や道徳的価値観、歴史観の浸透を望む。国家主義的な価値観(国益指向)と結合しやすいネオリベラリズムもこのクワドラントに通常含まれる。

全体主義(統制主義)……精神的自由を軽視・経済的自由を軽視・強権を発動する管理主義的な独裁国家や社会主義イデオロギーに基づく計画経済を行う社会主義国家のような『大きな国家』に整合


累進課税制を極端に強化して『結果の平等』を追求すると、個人の自由が大幅に抑圧される共産主義・社会主義に行き着きますが、自由主義社会では『富裕層・中流階層・貧困層の一定の格差』は温存しながら税率を高めに掛けるということになります。つまり、年収2000万円の人と年収200万円の人の生活水準(課税後所得)が同じになるような累進課税は、リベラルな自由主義の原則を踏み外す社会主義的な富裕層への懲罰的課税になりますから、労働意欲・稼得能力を低下させないために『課税後の所得』でも『高所得者>低所得者の一定の格差』は残されていなければなりません。自由主義的なリベラリズムの『財の再分配・累進課税』は国民の最低限度の生存権・生活権を守るために行うのであり、社会主義・共産主義のようにすべての国民の生活水準(所得)を平等にするために行うのではないところに最大の違いがあります。

リベラリズムでは、高所得者層・資産家層に一定の社会貢献のための高負担を要請しますが、社会主義・共産主義では、労働者(プロレタリアート)の敵としての資本家・富裕層への懲罰的な財産没収といった趣きが強くなります。日本でも非正規雇用やワーキングプアの社会問題において、『資本主義で能力・努力・立場による格差があるのは当たり前』という意見や『構造的な貧困や極端な格差は政治的に是正していく必要がある』という意見がありますが、リベラリズムを前提にするのであれば『生存権や人格の尊厳を脅かすような貧困・同じ仕事をしている人同士の賃金格差・自助努力によって最低限度の文化的生活ができない状態・派遣労働者の賃金の高率の搾取』に対しては政治的介入や法的規制による格差是正が要請されなければなりません。経済格差や貧困の問題に政治がどのように介入すべきなのかは難しい問題で、大きく分けて『市場経済や企業活動に対する規制強化・税制改革による財の再分配の強化・公共事業による有効需要の創出・財政出動による景気浮揚策・低所得者に対する福祉的な経済支援』などの介入方法があります。

新自由主義(ネオリベラリズム)や自由市場主義(競争原理主義)の立場からは『政府は経済活動・自由市場に一切の介入をすべきではない』ということになりますが、ケインズ主義的な財政政策による公共事業にも『財政赤字の拡大』『行政コストの肥大(大きな政府の行き過ぎ)』といった副作用があることを考えると、格差社会の根本的な対策は『景気拡大(経済成長)による雇用増加』『労働者の教育訓練支援による職業能力の強化』などにあります。

それらの教育訓練支援の対策を有効化するためには、『公的な訓練修了者・資格取得者』を企業側が積極的に採用してくれなければなりませんが、『フリーター・高齢者の介護福祉士の雇用』に補助金を出すという雇用対策を現在検討しているように、有効な求人需要のある職場・職種を開拓していくことや訓練修了者の優先雇用に補助金を出すといった方法も考えられます。

もちろん、心身の障害によって経済的自立が困難な人や生活基盤を失って就職活動に専念できないホームレス・ネットカフェ難民の人に対しては、『社会的セーフティネットの拡充・就業促進のための一時的な生活保護と教育就労支援』などの対策を積極的に採っていく必要があると考えます。光文社古典新訳文庫でJ.S.ミル『自由論』を少しずつ読んでいるのですが、時間のある時にまた自由主義思想(個人の自由)と国家権力・行政機構・財政運営の関係性について色々と書いてみようと思います。






■関連URI
“政府からの自由”を目指す古典的自由主義と“貧困からの自由”を目指すリベラリズムについて:1

トニー・フィッツパトリック『自由と保障 ベーシック・インカム論争』の書評1:労働と所得の倫理的結合

近代的な結婚観に基づく“目的論的な家族像”の衰退と個人の自由選択に任された“結婚・出産・育児”の問題

言論・表現の自由と公共の福祉による人権の制限2:政府からの自由と政府による自由(保護)のバランス

■書籍紹介


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのトラックバック