斎藤環+酒井順子『「性愛」格差論 萌えとモテの間で』の書評2:リアルとバーチャルで満たされる性愛

『2章「おたく」――萌える男たちの心理とは?』『4章「腐女子」――異性と番う(つがう)よりも同性で』は、バーチャルな虚構のキャラクターに恋愛感情・性愛欲求を一方向的(モノラル)に抱くという意味では共通性があるのですが、男性のおたくのほうが女性の腐女子よりも『現実の異性関係との距離』が若干遠いという特徴があるようです。斎藤環は男性ジェンダーの性愛の特徴を『所有(排他的な独占)』に見出し、女性ジェンダーの性愛の特徴を『関係性(共感的コミュニケーションの密度)』に見出していますが、アニメ・ゲーム・漫画の美少女に仮想的な恋愛感情(性的嗜好)を感じるおたくでは『一方向的な所有・関係性(コミュニケーション)のない観察』に性愛の特徴があるとしています。相手(異性)が自分の主体的意識(自我)を持っていて、自分の言動・欲求に対する反応(好意・悪意)が予測できない『リアルな世界(リアルな他者との性愛)』から遠ざかる性格行動パターンをおたく(オタク)の属性としてとりあえず解釈しています。

おたく(オタク)と一言で言っても、バーチャルな性愛・イデア的な女性像(美少女)と直接的に関連しない『特定の趣味・娯楽・コレクション分野』に没頭するオタクもいると思うのですが、ここではアニメやゲームの美少女キャラクターに萌えるようなおたくに限定して対談が為されています。『電車男』ではバーチャルな虚構世界からリアルな性愛世界へと抜け出していく電車男を応援するおたく男性の母性愛的(同士的)一面について言及され、『電波男』では本田透の極端で潔癖な三次元女性からの心理的・職業的(プロ的)な撤退について語られています。

リアルの異性愛とオタク趣味が両立しないという原理主義的な認知形態について示した後で、風俗に行かないオタクの潔癖趣味(純愛志向)や相手の反応が不確定なコミュニケーションを回避する傾向などが語られ、『性愛充足にからむ自尊心』の防衛機制としてのオタク趣味が実体験を通して分析されています。性愛対象を一方的に心ゆくまで鑑賞したいという欲求はオタク趣味の重要な要素の一つ(あるいは視覚刺激を優先する男性的な性愛欲求の要素の一つ)ですが、リアルの異性関係では『観察の強度・深さ』『相手からのまなざし(自分への評価・判断)』によって遮られてしまうわけです。

その意味では、既婚男性(彼女がいる男性)がAVやアダルトサイトを見たりするというのも、『性的身体を観察・妄想したい欲求』を現実の恋人・配偶者からの評価抜きで心ゆくまで満たしたいということの現れなのかもしれず、性的な視覚刺激の重視や観察欲求の強さというのは男性のほうが一般的に女性よりも強いと言えると思います。女性の多くは極端に言えば、目に見える男性の性的身体を観察しなくても十分に性的行為に満足することが可能であり、『視覚刺激(性的シンボル)』よりも『両者の関係性(愛情・身体感覚の実感)』のほうを重視する傾向があるのではないでしょうか。

男性と女性の『性的娯楽(映像・写真の性的なヴィジュアリティ)の消費量』に違いがあるのは、社会的価値観が規定するジェンダーの影響もありますが、そういった社会的な性差がなくても恐らく女性は自分が恋愛感情(特定の関係性)を持たない『男性の性的身体のヴィジュアリティ(映像・写真・画像)』を無限に消費したいという性的欲求の形式を余り持っていないのではないかと推察されます。性的な視覚刺激の重要性においては、男性と女性の性愛の形式には埋めがたい非対称性があるとも言えます。

3章の『「ヤンキー」――語られざる一大文化圏』では、おたく・サブカル・インテリ(職業キャリア)と並ぶ一大文化圏としてのヤンキーの性愛が考察されていますが、ここでいうヤンキーとは歌手の浜崎あゆみやSMAPの木村拓哉、ビートたけし(北野武)なども含む非常に広範な意味での外向性・現実(世俗)帰属性・自己主張性の強いヤンキー属性のことを指しています。斎藤環は一説によると日本人の7~8割は『広義のヤンキー属性』に分類されると言っていますが、『リーゼントや金髪・短ランにボンタン(改造した学生服)・非行行為(暴走族)・不純異性交遊(若年のセックス)・教養知性の軽視』など典型的な特徴を持つヤンキーというのは一部の地方部を除き現在ではかなり減っています。

10数年前には『ヤンキー=典型的な不良像・学生時代の反権威的(反規範的)なスタイル』の等式が成り立ちましたが、現在ではヤンキー文化圏にはギャル系・お姉系・クール系・ヒップホップ(音楽系・ダンス系)・チーマーなどありとあらゆるファッションやライフスタイルの人たちが入り込んでいて、一義的にヤンキーとは何であるのかを確定することは出来なくなっています。一昔前までは、黒髪ばかりの大人しい学生の中に何人かいる明るい髪色や変形させた学生服、目立ちたがりの行動を取る『自己主張の強い生徒たち・校則に従わない生徒たち』をヤンキーと言っていましたが、ここ最近は髪を染めているから不良とか奇抜なファッションをしているからヤンキーという分類は成り立たなくなっています。極端に言えば、オタクでなくインテリでなくサブカルでもない人で、外向性の性格(一定以上の自己顕示)・現実的な価値観・恋愛最優先(早婚志向)の行動パターンを持つ人はヤンキー文化圏に属するという感じになります。

派手な髪色や奇抜なファッションをしていても、既存の規則体系には忠実であったり社会秩序を乱す行為には興味がない人たちが多数派となり、『派手な髪色・目立つファッション・あけすけな明るい言動(アグレッシブな自分の性的魅力のアピール)』は自己満足のためのおしゃれであったり異性に対するアピールであったりします。実際、過去の時代からヤンキーは学校時代には反権威的・非常識的であっても、学校卒業後にはオタクやサブカル、インテリよりも既存の社会秩序に従順になり、社会適応が良くなる傾向がありました。(反社会的組織の構成員などになる人たちを除いて)広義のヤンキーは、若い頃には多少乱暴でむちゃな振る舞いをするけれど、一定の年齢になれば勤勉な労働者になり好きな異性と結婚して、(自己中心的・反常識的なところも残るが)大切な家族・子どもを守ることに生き甲斐を見出すというのが一般的なヤンキー属性の認知としてありました。

ヤンキー文化圏の人たちは平均以上に早く既存社会に適応しようとする、観念的なプライド(自己の経済社会的な位置づけ)に実際の行動が左右されないという意味で、現代では稀少になった『通過儀礼(イニシエーション)・年齢ごとのライフイベント・仲間からの同調圧力』の影響を受けやすい特徴を持ちます。内面的な葛藤(思考の循環)や抽象的な問題意識の多いオタク・サブカル・インテリの文化圏と比較すると、『何歳(一定の年齢)になったら就職・結婚・育児・親孝行をしなければならない』というような伝統的な規範・慣習を重視する傾向のある文化圏でもあるわけですが、斎藤環は誰もが『内なるヤンキー性』を持っているという視点から談話を進めていきます。『内なるヤンキー性』というのは、簡単に言えば自分を悪ぶって見せたい(フィジカルな強さを見せたい)という欲求であり、自分の個性や魅力をちょっと過剰にアピールしてみたいという自己顕示欲のことですが、多かれ少なかれ誰にでもこの種の欲求は存在するもので、消費行動や音楽・物語・ゲームの趣味などにも内なるヤンキー性は反映されます。






■関連URI
斎藤環+酒井順子『「性愛」格差論 萌えとモテの間で』の書評1:結婚・未婚・格差を巡る男女の意識

『溢れる余剰としてのエロス』を消尽する生の歓喜と充溢:純粋な快楽と贈与の祝祭

平野啓一郎『顔のない裸体たち』の書評1:ウェブ世界でバーチャル化する出会いの特徴

平野啓一郎『顔のない裸体たち』の書評2:複数のアイデンティティを模索する現代のシゾイド人間

■書籍紹介
エロスの世界像 (講談社学術文庫)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 4

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス

この記事へのトラックバック