近代的な結婚観に基づく“目的論的な家族像”の衰退と個人の自由選択に任された“結婚・出産・育児”の問題

女性の妊娠出産や家庭での育児を巡る問題は、『近代的な家族像・結婚観の変化』『ジェンダー(社会的性差)の変化』と深く関係しています。ある人にとっては出産育児の決断はそれほど悩むべき問題ではなく、むしろ自分が父親・母親となって子どもを持つことを『人生の主要な目的』だと考えています。ある人にとっては出産育児の決定は深刻な悩むべき問題となり、自分が父親・母親となって子どもを持つことを『人生の重要な選択』だと考えているかもしれません。

出産育児を『人生の主要な目的』と捉えるかそれとも『人生の重要な選択』と捉えるかは小さな違いに見えても、実際には非常に大きな心理的態度と性的アイデンティティの違いがあります。高度経済成長期までの日本の標準的世帯では、性別役割分担(男は仕事・女は家庭)のある『近代的家族観』が生きており、結婚・出産・育児というのは誰もがいずれは経験すべき『人生の主要な目的』と位置づけられていました。ここでは、フェミニズム的なジェンダーフリーの観点からの価値判断には深入りしませんが、男女平等の客観的な追求は『社会的性差と結びついた出産・育児による格差』をどう解釈すべきなのかという非常に困難な課題に直面しています。

厳密には、女性にしか子どもを産めないわけですから、妊娠出産に関しては身体的性差(sex)と社会的性差(genber)を切り離して考えることは難しいのですが、日本では共働き世帯の男性・女性の『育児に割く時間・態度の差』がジェンダーの問題として認識されたりします。社会通念的にも『母親に期待する育児』と『父親に期待する育児』には量的・質的な違いがあり、多くの女性が一定以上のレベルで母親としての役割を受容している(受容せざるを得ない)という状況があります。働いている父親と母親の育児に費やす時間と労力の差を埋めるには、男女双方の意識転換だけではなく子育てしやすい企業の労働条件の改善が求められるでしょう。

自然界の生物の多くは『自己の遺伝子保存』を究極の目的としていますから、人間のように妊娠出産をするかしないかを主体的に選択することなどはあり得ませんが、経済生活と認識水準を向上させた人類は自意識(メタ認知)の拡大や育児コストの増大によって、出産・育児を人生計画の一部に組み込むようになり行動選択の対象とするようになりました。ヒト以外の動物では異性を選ぶ性選択と生殖(繁殖戦略)は直結していますが、人間には『恋愛・性愛・結婚・父親と母親』という関係性の違いがあり、特定の異性を性的パートナーとして選択しても必ずしも子どもを作るわけではありません。

父親・母親・子から構成される近代的家族が社会の構成単位であった時代には、近代的家族を形成してそれを再生産することが目的化しているので、出産育児を決断することの迷いは殆ど無かったと考えられます。出産育児を『人生の主要な目的』と捕える考え方とは、今している勉強や仕事は最終的には結婚をして家族を作り子どもを育てるための手段であるとする考え方であり、『結婚・家族・出産育児・子どもの自立(=社会の再生産)』というのが人生の究極の課題となります。発達心理学の各種発達理論やライフサイクル論も、基本的にはこの近代的家族観を前提としており、『結婚・出産・育児』が社会的自立のための重要なライフイベントとして定義されていたこともありました。

現在は、ライフスタイルの多様化や個人主義の浸透によって、すべての人に共通する『青年期以降の精神的・社会的な発達モデル』を提示することが困難になっており、『社会的自立』と『家族の形成(社会の再生産としての育児)』が分離して、経済的な自立が出来ていれば個々人の価値観や人生設計には深入りしないという傾向が強まっています。安定した十分な所得を得られない非正規雇用者(アルバイト・日雇い派遣・契約業務)や無職者の増大によって、個人の経済的自立と家族(結婚後)の生活設計を両立させ難いという『経済的な外部要因』も無視することは出来ませんが、経済格差と個人主義(自由主義)の相乗効果によって近代的家族の再生産は停滞しています。

北欧を中心とするヨーロッパ先進国では婚姻制度の形骸化が進み、シングルマザー(あるいは事実婚)の世帯が法律婚の世帯を上回るという個人化現象が顕著に見られます。しかし、日本の場合は税制の優遇や嫡出子認定の問題があるので、『婚姻と出産』は依然として強く結びついており、社会世論も総体的には近代家族(法律婚と父母が揃った育児)を守る政策を支持していると言えるでしょう。

地域共同体が衰退の危機にある現代社会では、社会の最小構成単位としての家族(世帯)は、最後の最後に残されたゲマインシャフト(情緒的人間集団)とも言えますから、近代家族を失うことは精神的安楽の場や自己アイデンティティの一部を喪失することを意味します。守るべき家族がいるからつらい仕事を頑張れるという人も少なくありませんから、資本主義社会における労働のモチベーションと家族(帰れる場所・情的な人間集団)というのはかなり密接な関係があります。シングルマザーが子どもを育てるという選択肢そのものは尊重すべきであり法的な不平等などは無くすべきですが、家族そのものが存在しないのがデフォルトと考えられるほどに、人間の精神は個人主義化していないというのが現実ですから、今後も少子化(高齢化)問題と合わせて近代家族の再生産と停滞の問題は繰り返し現れてくると考えられます。

結婚していない人の状況として、心理的な内部要因を重視すれば『家族形成への欲求がないから結婚・出産をしない』と言うことができ、経済的な外部要因を重視すれば『家族形成への欲求はあるが家計を維持して子どもを養う経済力がない』と言うことができますが、内部要因と外部要因は相互作用して認知的不協和を生み出すこともあります。特に、結婚・家庭・育児を『人生の主要な目的』と子どもの頃から認知していたような人の場合には、内部要因・外部要因が関係した「家族を作りたくても作れないから家庭生活には興味がない態度を取る」という認知的不協和が強くなる傾向があります。

他人に必要以上に干渉しない現代の自由主義社会は、結婚・労働・出産・育児を『個人の自由な選択の結果』と位置づけることにより、個人を結婚・家族形成にまつわる社会的圧力(世間の眼差し)から大きく解放しましたが、人々に共有される『家族の再生産の物語』を喪失しかかっているとも言えます。戦後に伝統的な“イエ制度”が解体されたことで、多くの個人は家(家系)を残すという束縛から逃れましたが、家系(血統)を残すという共有幻想としての目的を失ったことで、一定の年齢で結婚しなければならないという社会的義務が消滅したとも言えます。個人とイエ(家系)の分離が進んだ結果、結婚を必然的なものと見なす前提で作られた『お見合い結婚』の衰退が起こり、後は、個人の主観的な幸福や好きな異性の選択、経済的な生活設計の問題、育児しやすい環境の用意としての結婚(婚姻制度)が残ることになったわけです。

近代以前の社会(共同体)では、結婚して子どもを産み育てることが、人生の主要な目的であり共同体維持(防衛)のための社会的責務でもあったので『家族(子ども)の再生産の物語』に特別な意味づけや解釈は必要ありませんでした。しかし、近代以降の社会では『経済生活の発展・認識能力(情報環境)の拡張・人権と個人主義』により、結婚・出産・育児が『個人の自由な選択』の問題となり、個人個人が『自分の人生の物語』の中で家族や育児の価値を実感しなければならなくなりました。このことは、冒頭に書いた、出産育児を『人生の主要な目的』として全面的に受け容れることができるか、出産育児を『人生の重要な選択』として様々な人生設計を予測しながら思い悩むかの違いにもつながってきますが、『母親・父親としての役割を担う自分』をどのくらい肯定的に受容できるのかという自己アイデンティティとも関係しています。

発達心理学の主要課題の一つである『人間のライフサイクル(人生周期)の理論化』では、思春期・青年期以降の正常な発達課題の基準を『経済的自立・個性化(自己実現)・自己アイデンティティの確立』以上の具体的な行為(生活設計)について言及できないという限界に直面しています。その限界は、現代日本の『未婚化(晩婚化)・少子化・労働のモチベーション低下』などの現象とも関係するものですが、結婚・出産・育児というライフイベントのみに限定すれば、個人の生活の質(QOL)と経済活動(職業キャリア)を重視する現代人が『生殖を含む性的身体とどう向き合うべきか・社会の再生産をどのような物語(世界認識)で選択していけるのか』という問題を内在しています。

ナラティブ・セラピー(物語療法)のように、自己実現の過程に意識的に結婚や育児といったライフイベントを組み込む方法もありますが、現代は、メタ認知が要請する『なぜ~しなければならないのか』という上位審級からの問いかけに答えながら、『結婚・出産育児の選択』を含む自己の物語を創出していかなければならない時代だと言えます。女性の母親アイデンティティと妊娠出産による生理学的影響、男女の身体性に基づく性的アイデンティティについての問題も、中年期における女性の健康や中年期以降の夫婦関係(男女関係)の問題と深く関わっています。


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■書籍紹介
純潔の近代―近代家族と親密性の比較社会学

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