育児・子どもへの苦手意識に対する母性神話の影響:母親アイデンティティの受容と間接的な承認欲求

保育・教育政策の話から育児不安の話題に戻りますが、もし子どもに何かあったら私の責任(自分の育て方の間違い)にされてしまうのではないかという母親の養育責任に対する不安は、夫が育児に関与せずに『お前に全部子どものことは任せている』というような態度を取るほど強くなります。子どもに何か問題が起きたらという不安は、子どもが乳幼児の時には『健康上(病気や事故)・発達上(言語や知能の発達)・しつけ上(マナーや行儀)の問題』について感じ、子どもが児童期以上の年齢になってくると『学校の成績や不登校・友達との関係(いじめ・暴力)・非行や少年犯罪の問題』について感じるようになります。

周囲から孤立した母親が子どもの育児に対する自己責任を強く感じ過ぎてしまうと、強迫的な自罰感情(自己否定感)や慢性的な抑うつ感が芽生えてきて育児ノイローゼのような不安定な状態になってしまうこともあります。男女同権を掲げる先進国では、育児に対する責任は夫と妻に等しくあるということになっていますが、子どもに何らかの深刻な問題が起こった場合には、夫の対応(子どもへの無関心・育児の協力の不足)よりも妻の育て方(過保護・甘やかし・愛情不足)が責められやすい傾向があるように感じます。

特に、夫が毎日ほとんど家にいない長時間の仕事に追われている人間で、妻が家にいることの多い専業主婦や短時間のパート労働者であるような家庭では、上記したような『子どもの問題の責任』の大半を妻に押し付けられる状況が増えてきます。夫の母親などが夫(息子)を庇って妻に子育ての失敗の責任を追及するようなケースもあるでしょうし、社会的風潮を見ても『母性神話・三歳児神話・(子どもの非行行為・精神疾患に対する)母原病的な偏見』というものが根強く残っています。『乳幼児期の愛情・保護が健康な精神発達にとって重要』という意味での三歳児神話は部分的には正しいですし、母性的な保護が欠乏して起こるホスピタリズム(乳児の施設症候群)などの問題を見ても、早期母子関係が子どもの心身発達に一定の影響を与える面は確かにあります。

しかし、子どもを産んだ女性には誰にでも等しく母性愛が備わっている、母性愛とは本能的欲求の現れであって特別な努力などしなくても自然にそこにあるものだという『母性神話(母性信仰)』が行き過ぎると、自然に子どもへの無償の愛情を抱けない母親が、自分の養育態度や気持ちに罪悪感を感じて余計に育児をすることが困難になったりもします。母性愛が発生する段階には色々な個人差があり、子どもが産まれてもなかなか自然発生的な母性愛を自覚できないという人も少なからずいます。母性愛を妊娠する以前から強く意識している女性もいれば、自分が妊娠して初めて母性愛を感じる人もいますし、出産して子どもの顔を見たときに初めて母性愛の強まりを感じる人もいれば、産まれて暫くしてもなかなか自然な母性愛を感じられないという人もいます。

自分の子どもであれば自然に可愛いと思えるけれど、子どもがいる現在でも他人の子どもはそれほど可愛いとは思えないという母親も少なからずいて、子ども全般への母性愛、特に子ども全般に無償の愛情や世話を与えてあげられるような愛情という意味でいえば、母性愛の普遍性というのはそれほど高いものではないかもしれません。また、母性愛というのは365日24時間にわたってフル稼働するような人間離れした無償の愛ではなく、どんなに可愛い自分の子でも瞬間的に憎たらしくなったり負担に思えたりすることは誰にでもありますし、自分の体調や気分によっても母性愛の強さは変化します。しかし、自然な母性愛が芽生えない母親でも、その多くは何とかして子どもを好きになりたい、子どもをきちんと育てて子どもに幸せな人生を生きて欲しいと思う気持ちを持って努力していますから、そのやる気を削がないように、『生得的な母性愛がない人は普通ではない・子どもが無条件に好きと思えないような母親はダメだ』といった母性神話的な偏見を周囲が余り強く持ちすぎないということも大切だと思います。

人間にはあらゆる能力・興味・適性において個人差があるのですから、母性愛の強さや育児へのコミット(のめり込み)にも個人差があって不思議ではないのであり、自然発生的な母性愛が感じられなかった人でも、子育てをしていく過程でいろいろなコミュニケーションや発見を通して、少しずつ子どもへの愛情や関心を深めていければ良いと思います。自分が子どもを産んだにも関わらず、子どもが嫌いだから虐待(遺棄)するというのは許されないことですが、産んだ責任を引き受けて、自分のペースで子どもへの愛情を深め育児の楽しみを見つけ出そうと努力すること、子どもに少しでも楽しい親子関係の記憶を残して上げようとすることはとても歓迎されるべきことだと思います。初めから母性愛が母親に備わっているのか、育てていく過程で母性愛が芽生え始めてきたのかの違いを無闇に強調するのではなく、子どもに愛情を注ごうとする態度や養育責任をきちんと果たしている姿を適切に評価(肯定)して上げることが、育児に苦手意識を持っている母親のモチベーションを高めることにつながります。

外部世界の危険から幼い子どもを包み込むようにして守る『母性的な愛情』というのは、子どもと接触する時間の短い男性には持ち難い面がありますし、父親と母親が育児をする場合には両親が揃って『依存対象的な役割(子どもの欲求や不満を優しく聞いてあげる役割)』を果たすよりも、どちらかがストレスの多い外部社会への適応を促進する役割(子どもの間違いや誤りに厳しく接する役割)を果たしたほうが児童期以降の育児・教育が上手く進みやすくなります。もちろん、一人で子どもの状況や行動に合わせて『保護的な役割(褒める・慰める・同意する)』『指導的な役割(叱る・注意する・反対する)』を両方果たしても良いわけですが、幼児期にある子どもの多くは父親よりも母親を心理的な安全基地(外部世界のストレスからの避難場所)として利用する傾向があります。

発達年齢によって子どもの問題に対する対応は変わってきますが、子どもが不安や悩みを感じているときに、優しく話を聴いて適切な励ましや共感・助言の言葉をかけてあげたほうが良いという原則はそれほど大きくは変わりません。児童期以降のいじめなどの問題では、親に学校でいじめられていることを知られたくないという子どもの自尊心が関わってくるので、子どもの自尊心を傷つけないような話し方や対応の取り方が必要になってきますが、どんなことがあっても最終的には子どもの味方になるという態度を示してあげることが大切です。

子どもの精神状態や発達・行動(生活態度)に異常・問題が現れた場合に、『母親の育児態度(愛情欠如・甘やかし・過干渉)』のみに原因を求めることは、客観的根拠のない臆断に過ぎず、母親を責めても有効な解決策にはつながりません。特別に残酷な虐待(育児放棄)の履歴や子どもの愛情欲求に対す完全な無視などがある場合を除いて、子どもの精神発達や価値観形成に母親の育児のやり方が決定的な影響を与えることはまずないと言って良いですし、多くの問題はその時点からやり直しや改善の効くものばかりです。子どもに愛情をもってまずまず平均的な育児をやってきたという認識があるのであれば、『自分の過去の育て方』を必要以上に悔やんだり否定する必要はないですし、子どもの種々の問題が起こった場合には、配偶者(夫)や親族は母親を責めるのではなく、母親を支持して一緒に問題の解決を考える立場に立って欲しいと思います。

過去の自分の育児の仕方についてくよくよと悩み続けず『今の時点(今・ここ)からどのようにしたら良いのか』を建設的に考えていく態度が育児ストレスの緩和につながり、『育児には絶対に失敗が許されない・育児には客観的に正しい方法論が存在する』というような完全主義的な認知に縛られすぎないことが親子が共に楽しめる育児を可能にしていきます。現代にはインターネットでも書籍でも口コミでも、ありとあらゆる育児情報が氾濫していますが、『こうやらなければ絶対にダメ・こうすれば全て順調に進む』というような育児の鉄則のようなものは存在せず、複数の育児書を比較してみても、同じ子どもの問題に対する対処法が食い違っているケースが多く見られます。英語や算数などの早期教育をすれば子どもの知能発達やその後の学習成績が良くなるなどといった話も一種の俗説であり、乳児期の早期教育がその後の学力(試験成績)を確実に押し上げるという統計学的根拠などは存在しません。英語の徹底した早期教育は確かにバイリンガルになれる可能性を押し上げますが、そのためには家庭内でも常時英語で会話を行うなどの工夫も必要であり、英語優先の生活を発達早期に続けると母語が日本語から英語に変わるというだけで、日本語を母語とした英語能力の発達というのとは意味が異なってきます。

親が、子どもの身体・精神・発達に関する最低限の科学的知識(形式知)を知っていれば役に立つ場面はあるかもしれませんが、そういった知識を知らなくても、定期健診などをきちんと受けて疑問のある所を医師・保育士などの専門家に適宜質問していれば大丈夫だと言えます。反対に、育児や医学、発達心理学に関する豊富な知識を持ちすぎているが故に、育児に慎重になり過ぎて必要以上の心配をしてしまうという人もいますから、客観的な形式知(方法論)にこだわり過ぎずに、実際の体験に根ざした育児を楽しむ態度、自分と子どもの失敗を許せる気持ちの余裕が大切なのかもしれません。育児ストレスには、仕事で活躍していた女性や子育てに生き甲斐を見出せない女性の『母親アイデンティティの受容困難』といった問題も関係してきますが、母親の自尊心(社会的有能感・経済的自立心)と結びついた社会的アイデンティティを確立していくためには、無理なく働きながら育児を出来るような職場環境や労働制度(再就職制度・短時間の就業制度)の整備が必要になってくると思います。

反対に、『自分の人生の夢や希望を諦めて母親としての人生に専念する』というように母親アイデンティティを過剰に確立してしまうと、『子どもの人生』『自分の人生』の境界線が曖昧になって、子どもの人生や価値観への過干渉の問題が生まれたり、自我が確立していない幼児期の子どもをペット化(ブランド化=親の自己愛充足のための手段化)してしまうという弊害が生まれてきます。子どもの社会的成功や外見的魅力を媒介して自己愛を充足する『子どものブランド化』には、お受験での合格や芸能界入り、スポーツ界での活躍などさまざまな理想を掲げるタイプがありますが、子どものやる気と親の理想が上手く一致している限りは、良い親子関係を形成できることもあります。子どものためを思って、色々な習い事(レッスン)やお洒落(ファッション)をさせたいという気持ちが悪いわけではありませんが、『子どものためにしていること(子どもの適性に合わせた教育方針)』と『自分のためにして欲しいこと(子どもの自慢や自己愛)』との区別をつけて、子どもの心理的な負担(ストレス)になり過ぎないように注意することが必要です。

母親でも父親でも同じことなのですが、子どもの人生と自分の人生とを投影同一視的に混同してしまうと、どうしても『自分が歩めなかった理想的な人生・自分の果たせなかった夢・自分が正しいとする人生観』を子どもに過度に投影してしまいます。誰にでも他人から評価されたり賞賛されたりしたいという承認欲求がありますが、家庭で過ごす時間が長くなり育児に一日の大部分を費やすようになると、不特定多数(家族以外)の人から評価されたいという親の承認欲求が『自分』から『子ども』へと転換されて、子どもの評価(成功・魅力)が親の自己評価(自尊心)と密接に結びつきやすくなります。自分の自慢の子どもを媒介した『間接的な承認欲求』はどの親にも多少はあるものですが、承認欲求の過剰によって子どもの人生に対して過干渉(支配的)になったり、強い心理的プレッシャーを与えすぎないようにすることが、子どもの健康な精神発達や良好な親子関係の維持にとって大切になります。

両親の愛情や承認を強く求める幼児期~児童期の段階までは、『子どもの人格・適性・判断(希望)』をある程度無視して自分の理想(考え)を押し付けても、子どもは必死にそれに応えてくれようとしますが、自我が芽生えて自分の適性や欲求(希望)を自覚し始めると、親の思い描く人生と子どもが生きようとする人生に少しずつズレが生まれてきます。子どものプライベートな生活領域が拡大する思春期以降には、過干渉・過保護な養育態度を抑制して『子ども自身の人生』を必要に応じてサポートしていくという姿勢が必要になってきますが、子どもが進路選択や人間関係で悩んでいる時には、親の人生経験や社会的な知識(暗黙知・処世術・価値判断)に根ざしたアドバイスが必要になることも多いと思います。







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