プラトンの善を志向する政治哲学とクリティアスの寡頭政(オリガルキア)の挫折:善の意図と悪の結果の乖離

先日の記事で池田晶子さん死去のニュースについて書いたが、その中で触れた古代ギリシアの哲学者プラトン(Plato, B.C.427-B.C.347)の哲学のエッセンスと政治思想について書き留め、ソクラテスの死に薫陶を受けたプラトンの『死の認識』についても感想を書いておこうと思う。

記事の内容とは関係ないが、昨日、池田晶子氏に続き『消費社会の神話と構造』『象徴交換と死』などの著作で消費文明社会の記号学的な分析を行った社会思想家ジャン・ボードリヤール氏の死去を知った。ボードリヤールの著作を読む機会がめっきり減っていたが、これを機会に未読の著作を少しずつ読んでみようかと思う。死因は公表されていないが長期の闘病生活の果ての死去だったという、魅惑的なシンボルを駆使した思索を展開した個性的な思想家の安らかな冥福を祈りたい。


仏の哲学・社会学者、ジャン・ボードリヤール氏が死去

独自の視点で消費社会などを批評したフランスの哲学者で社会学者のジャン・ボードリヤール氏が6日、パリの自宅で死去した。

77歳。死因は未公表だが、長期間にわたり闘病生活を送っていた。

1929年、仏北部ランスの農家に生まれた。パリのソルボンヌ大学でドイツ語の教授資格を取得。ドイツ語教師や翻訳家として活躍し、パリ大学ナンテール校で社会学を教えた。マルクス経済学やソシュールの言語学、記号論などをもとに社会記号学を打ち出した。


プラトンには真理を探究する哲学者と理想の政治形態を模索した政治思想家としての一面がある。現実界において哲人政治を目指した政治思想家としてのプラトンは、親友のディオンと共にシチリア島のシラクサの政治改革を試みたが早期に挫折することとなった。プラトンはシラクサの僭主であったディオニュシオス2世を教育啓蒙することで、哲学的素養を修得した君主(哲人王)にすることを目論んだが、プラトンとディオンは守旧派との政争に巻き込まれて敗退した。哲人政治とは何かというと、世界を正しく認識して善を目的として生きている哲学者が君主(為政者)になる政治であり、『数の論理』や『くじ引き』で政治的な意志決定をするアテネの民主政治(直接民主制)の対極にあるものと考えて良い。

ポリュビオスの政体循環論を参照するまでもなく、古代ギリシアの諸ポリスの知識人階級の間では、民主政治の堕落形態である衆愚政治を警戒する意見が根強くあった。唯一の正統な君主に全権力を集中させる君主政も堕落すれば、民衆を搾取して虐待する独裁的な僭主政となり、少数の優秀な選良が政治権力を掌握する貴族政治も堕落すれば、有力者が私利私欲に執着して国益を損なう寡頭政治となる。古代ギリシアの知識人の多くが、当時、直接民主制で実施されていた民主制を嫌った大きな理由として、無定見なデマゴーグ(民衆扇動家)による無知な大衆の操縦を挙げることができるが、具体的には、理性(長期的展望)よりも欲求(短期的利益)に従属しやすい大衆の属性が直接的に政治に反映されることを恐れたのである。

当時、ソフィスト(職業教師)に高い授業料を支払って生徒が求めた知識・技術の中心は、雄弁家になる為の「弁論術・修辞学」だったが、何故、幾何学や法律学よりも弁論術や修辞学が好まれたかというと、古代の直接民主制で『政治的な権力』を得る為には、大衆の欲求や義憤を刺激する弁論のテクニックこそが最も重要な能力だと考えられていたからである。また、利害の対立する相手との訴訟に勝って賠償金や有利な権利などを手に入れるためにも、相手を完膚なきまでに論駁する弁論術が非常に役に立った。

プラトンは著作『国家』において理想の政体を詳細に語るのだが、プラトンはその人生において祖国アテネ(アテナイ)がスパルタに敗れたペロポネソス戦争(B.C.431-B.C.404)を経験しており、敗戦時のアテネはペリクレス時代に頂点に達した民主政が爛熟して国力が低落した状態にあった。プラトンは民主政(衆愚政)を扇動するデマゴーグやその扇動に追従してしまう大衆そのものを批判したと言うよりも、『政治・社会に関する知』『公共的問題の解決に向かう意志』を持たない人物が為政者(統治者)に選出される可能性のある民主政の原理を批判した。

航海術や海図の読み方を知らない素人が船を操縦するのが遭難のリスクを高めるように、政治の知や人間の本性を知らない人物が国家を運営することは国家滅亡のリスクを高めるというわけである。無論、現代社会における民主政治(間接民主制)よりも古代ギリシアにおける民主政治(直接民主制)のほうが政治的なハザードに陥るリスクが高く、為政者に選出される人物の能力や適性のばらつきも大きいので単純に現代と古代の民主政を比較するのは間違いである。また、アテネの絶頂期(ペリクレス時代)から衰退期(紀元前5世紀末)に見られた民主政は、現代の民主政とは比較にならないくらいに『被選挙者の平等性』に配慮されていたことも忘れてはならないと思う。

つまり、家柄(身分)・教養(学歴)・能力・過去の履歴などの相対的な高低を問わずに、一定の納税をしている者であれば誰でも政治家や公務員(行政担当官)になれるようにくじ引きで人材を選出したのである。くじ引きで選出される『500人委員会(議会への法案提出などの権限を持つ実質的な権力機構)』の対象者(被選挙者)になるには、一定の納税が条件となっていたので、厳密にはアテネ市民全員の中からくじ引きで行政担当者を選出したわけではない。それは、くじ引きされる市民階層に『一定の質』を求めたものであると同時に、『公的な義務』を果たしているか否かを問うたものであるとも言えるだろう。

複雑な社会構造の中で生きる現代の私達から見ると、『くじ引きで選出された人材に、政治的な意志決定や行政の事務を任せて大丈夫なのだろうか?』と思うかもしれないが、実際問題として行政の事務手続きや窓口対応、許認可業務などに特別に高度な教養や能力は余り必要でなく、行政事務員の多くは決められたシステムに従って日常業務を遂行している。そう考えれば、最高権力者(アテネでいえばペリクレス)と行政・司法・軍事のトップが優秀であれば、(国家の人口規模が十分に小さく、専門知を必要とする産業構造・科学文明が発展していなければという条件付きで)ある程度は『くじ引きの人材選抜システム』でも行政が回る可能性はあるだろう。

全盛期のアテネを指導したペリクレス(B.C.495頃-B.C.429)は、建前上の民主主義を掲げる長期安定政権(実質的な独裁政治)を維持したが、ペリクレスが『行政担当者のくじ引きシステム』を好んだ理由の一つは『行政の腐敗の未然抑止(同じ人物に同じ公務を担当させないこと)』であり、もう一つは自分の対抗勢力になりかねない『固定的な官僚機構』の発生を防ぐ為であったと解釈できる。

19世紀イギリスの歴史学者であるJ.E.アクトン卿は、『権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対的に腐敗する』という至言を残したが、政治家を国民の多数決によって選抜する民主主義では『政治家の絶対権力』は生まれにくいが、終身雇用の公務員(行政官)を抱える民主主義国家や社会主義国家では『官僚機構の絶対権力』が生まれやすい。

ペリクレス時代のアテネにおけるくじ引きシステムの面白さは、定期的に行政の担当者をくじ引きでシャッフルすることで、『権力の所在』を拡散させ汚職や不正を抑止しようとしたところにあると言えよう。特定の人物に特定の公的権限(行政の役割)を持たせ続けなければ、恩顧主義(なれあい)による腐敗や官吏と民間の間の不正な贈収賄(癒着)が起こり難くなるし、選抜方法がランダムなくじ引きであれば、誰が次にその分野における権限を持つか事前に予測できない『権力の不確定性』が生まれる。

積極的に理想の政治活動を実践しようとする政治思想家としてのプラトンは、シチリア島のシラクサにおける政治改革の挫折(ディオニュシオス2世の啓蒙教化の失敗)によって『哲人政治の現実化』を断念するが、プラトンは既存の貴族政治(アリストクラシー)に対しても民主政治(デモクラシー)と同様の失望を抱いていた。シラクサの政治改革の失敗ではカリッポスによって親友ディオンが暗殺されてしまうが、それ以前にも、プラトンは、ペロポネソス戦争後のアテネでクリティアスカルミデスを首謀者とする反民主主義の政治革命を経験している。

クリティアスとカルミデスは、アテネを堕落させてアテネ市民を軟弱化させた民主政を厳しく非難して、少数の優秀な選良(貴族・エリート)による寡頭政(オリガルキア)の正当性と有効性を主張して政治革命を断行した。プラトンの母の従兄(いとこ)に当たるクリティアスは、正義と思慮深さを用いて行う徳治主義を政治の理想としたが、クリティアスが政治革命(B.C.403-B.C.402)によって成立させた『30人僭主政権』は、政権を批判する民衆を徹底的に弾圧して搾取する恐怖政治へと転落していった。一旦は、貴族政を承認したアテネ市民も一部の権力者による恐怖政治の弾圧に強く反発し、再び以前の民主政へとアテネは戻っていくのである。

反民主政に賛同するプラトンは、有識者の徳による政治を目指した『30人僭主政権』の悲惨な末路を見て、『なぜ、思慮深さと正義の徳の実現を目指した寡頭政があまりに脆く崩壊したのか?』と頭を悩ませ、結論として、30人僭主政権の首領であった親族のクリティアスの『無知の自覚の欠如』に辿りついた。クリティアスは自分自身を『国家の仕組みの全体』を見渡せる特権的な知識階層と考え、そういった特権的な少数の貴族(為政者)が大多数の市民(農民・職人・商人)を統治する寡頭政が最善の政治形態と信じていた。

クリティアスはエリートとしての誇大な自己認識に基づく使命感は十分に持っていたが、『思慮深さとは何か?正義とは何か?』という自分が政治の理想とした概念の本質については何も知らなかった。『自分が全てを知っている』という慢心は『無知の知』からクリティアスを遠ざけ、自分が知らない『正義・思慮深さ』といった徳を実現しようとする内容空疎な政治革命へと帰結していった。そこに残されたものは『エリートである為政者』が『非エリートであるアテネ市民・在留外人・奴隷』を独善的・利己的に統治するという貴族政の堕落形態のみであった。

プラトンが『カルミデス』などの対話篇によって明らかにしたのは、『善(正義)を志向する政治』を勇ましく主張する政治家が、『善とは何か?正義とは何か?』という根本的な命題を理解しないままに政治に従事した為に悲劇的な破局が起こるべくして起こったということであった。徳の実現を目指す『善き政治』そのものは正しいが、善き政治を唱導する為政者が無知に無自覚であることによって政治的な悲劇が起こるというのが、プラトンの思索の結論となったのである。

理想が挫折して恐怖政治の首魁となったクリティアスやカルミデスは、確かに『善』『正義』を志向する意志(意図)と行動力を兼ね備えていたが、そもそも『善』や『正義』について何事も知らないままにラディカルな革命に突っ走っていったのだった。プラトンのイデア論は、知覚可能な現実世界(物質世界)の背後に、形而上学的な永遠普遍のイデア(理想の原型)が存在するという理論である。プラトンのイデア論は、観念(概念)の本質を考察する形而上学としての哲学を生み出し、理性主義的な哲学に『真理探究(イデア探求)』という大命題を与えた。イデアを考察する形而上学的な態度は、キリスト教神学において神を求める宗教的(神秘的)な態度へと変奏され、その後何度も、ニーチェやジャック・デリダのような反プラトン主義者による反駁を受けた。

しかし、科学技術や学問体系が高度に発達分化した現代においても、イデア的(彼岸的)なものに憧れる人間の本性は基本的に変化していない。何故なら、人間は『目に見える物理世界(客観的な認識)』『目に見えない心理世界(主観的な認識)』という対立的な二元論の構図を決して脱け出せず、私達人間の精神を歓喜と興奮で揺り動かす圧倒的な衝撃は絶えず『目に見えない心理世界』から湧き起こってくるからだ。自然科学は客観的に自然界に働く摂理や法則を解明してくれるが、自然科学は原理的に、幸福と不幸を切り分ける価値判断の領域にコミットすることが出来ない。

もう少し書き足りない部分があるので、ニーチェのニヒリズムとプラトンのイデアリスム、マルクスの共産主義思想などについて、時間を見つけて補足したいと思います。


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