自尊心を求めるH・コフートの自己愛の発達理論とS・フロイトの病的なナルシシズム

「発達早期の母親剥奪(mother deprivation)とナルシシズム(自己愛)の歪曲の問題」では、ジョン・ボウルビーの愛着理論とルネ・スピッツのホスピタリズム(施設症候群)を例に挙げて、健康で正常な精神発達に必要となる母性的なケア(共感的な母子関係)について言及しました。育児の目的である子供の自己アイデンティティの確立と心理社会的な自立を達成するためには、父性的な規律(相克的な父子関係)と母性的なケア(共感的な母子関係)の調和を上手く保つことが有効ですが、社会適応的な自己アイデンティティの確立という観点では、健全な自尊心と自己愛の発達が重要になってきます。

母性的なケアの中心は、乳幼児段階の子供への『情緒的な映し返し(鏡映的な反応)』ですが、病気をした子供に寄り添って「お母さんが側についているから、大丈夫だからね」と語りかけるような情緒的な映し返しの持つ意義の一つは、一次的なナルシシズム(自体愛)からの離脱を促進することです。自分の存在そのものを愛するという一次的なナルシシズムは、他者の存在を許さない独我論的な世界観において維持されますが、母親という他者が自己と同等に大切な自己対象になることで、自己愛(self-love)から対象愛(object-love)への転換が促進されます。精神分析の開祖S.フロイトは、この自己愛から対象愛へのリビドー(性的欲動)の転換を『本能変遷』と呼びましたが、H.コフートは自分自身を排他的(病的)に愛する自己愛だけでなく、母親をはじめとして家族や恋人など自己対象を愛することも自己愛の範疇に含めました。

情緒的な映し返しや共感的なコミュニケーションが持つもう一つの働きは、向上心の極へと向かう自己愛の発達ラインである「誇大自己(grandiose self)」の発達を健全に保つことです。生産的な社会活動と相互的な人間関係、機能的な精神生活の基盤にある自己愛(self-love)を健全に発達させていく為には、自己心理学派のハインツ・コフート(Heinz Kohut)が定義した向上心を極とする「誇大自己(grandiose self)」と理想を極とする「理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)」をバランスよく成長させていく必要があります。

誇大自己(grandiose self)とは、自己顕示的な承認欲求によって自尊心を満たす自己愛のラインであり、野心的理想の実現を目指す「向上心」の極(志向性)を持っています。理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)とは、道徳実現的な承認欲求によって自尊心を満たす自己愛のラインであり、道徳的理想の実現を目指す「理想」の極(志向性)を持っています。コフートの想定する『正常な自己愛』は自尊心に近似するものであり、フロイトの想定した『病的な自己愛(二次的ナルシシズム)』やDSM‐Ⅳの診断名にある自己愛性人格障害とは質的に異なるものです。

病的な自己愛(ナルシシズム)の究極的な原型はギリシア神話に登場するナルキッソスを通して窺い知ることができます。性倒錯としてのナルシシズムは、精神分析家のネッケが『他人に性愛や関心を抱くことが出来ず、自分の容姿や肉体にのみ愛情を抱く自己愛(自体愛)』と定義したように、基本的に自閉的で内向的な特質を持っています。しかし、ここまで病的な性倒錯としてのナルシシズムは現実社会でほとんど見ることができず、一般的にナルシストという場合には自己耽溺や自惚れの嗜癖がある人のことをいいます。そして、コフートは、自己愛を『自分で自分自身を愛すること』という狭義のナルシシズムとして捉えるのではなく、『他者による自己の肯定・承認・賞賛によって自尊心を満たすこと』という広義のナルシシズムとして捉えました。

一般的に、ナルシストと呼ばれる人たちは、現実自我を無視した理想自我に基づく『極端に理想化された自己イメージ』を持っていて、自己顕示的・自己陶酔的・自己耽溺的・自信過剰・自己中心的という言葉で示される対人関係や生活行動のパターンを示します。

例えば、以下のような性格行動パターンや信念体系に多く該当する人は、ナルシシズムを持つナルシストとしての傾向を持つといっていいでしょう。



ナルシシズムに特徴的な信念体系と性格行動パターン

○私は、普通の大衆とは異なる特別に非凡で優れた人間である。

○私は、目立ちたがり屋でいつも皆に注目されていたい。

○私は、自分の容姿や知性、能力、所作、実績に自信を持っている。

○私は、他人の意見に押し流されないだけの強い自分の意見を持ち、それを理路整然と主張することができる。

○私は、今以上の尊敬や賞賛、崇拝を受けて当然の存在である。

○私は、同一人物に対する評価が極端に変化して気分の波が激しい。(自分を低く評価したり、自分の意見に反対する相手を、公正に評価することはできないし許すことができない)

○私は、鏡に向かって自分の姿を眺めるのが好きで落ち着く。

○私の周りには、私を慕って尊敬する多くの人間(取り巻き)がいるべきだと思う。



誇大自己の自己愛は、自分に肯定的・共感的な反応を返してくれる『鏡対象』という自己対象(重要な他者)や鏡面化された自己像によって満たされるので、誇大自己の発達過程を『鏡面化』と呼ぶことがあります。露出的で誇大妄想的な誇大自己が強くなりすぎると、自己顕示欲求や野心的な支配行動の抑制がなくなって、自己愛の障害の原因となります。理想化された親イマーゴの自己愛は、尊敬することができる『理想化対象』によって満たされるので、理想化された親イマーゴの発達過程は『理想化』と呼びます。理想化された親イマーゴの理想化が失敗するということは、善悪の判断基準となる超自我(良心)の獲得に失敗することにつながり、共感性の欠如した自己中心的な性格形成の原因となります。

ハインツ・コフートの定義した自己愛は、自分で自分自身を愛する行為に限定されるものではなく、自分と自己対象(重要な他者)によって自分自身を愛し承認する行為なのです。自己と他者の振る舞いによって、無限の承認欲求を充足し自己の相対的な存在価値を引き上げることが自己愛の本質です。自己愛には、『自分をより素晴らしい存在として自分で見たいとする自己愛』『自分をより優れた存在として他人に見て貰いたいとする自己愛』が不可分のものとして共存しています。自己愛と自尊心を厳密に区別することは難しく、自己愛(自尊心)は私達の生産的で創造的な活動の原動力となり、性格特性の根本においてレゾンデートル(存在意義)としての役割を果たしているといえます。

向上心の極を持つ『誇大自己(grandiose self)』と理想の極を持つ『理想化された親イマーゴ(idealized parent imago)』が相互作用して進んでいく心的構造の形成過程を『変容性内在化(transmuting internalization)』といいます。コフートの自己心理学で自己愛性人格障害の形成機序を考えると、変容性内在化(transmuting internalization)の不適切な進展と見なすことが出来ます。『誇大自己』『理想化された親イマーゴ』のバランスが崩れてしまい、統合的発展が失敗すると性格構造に大きな歪みが生じて自己愛性人格障害や境界性人格障害(ボーダーライン)といった問題が生じてきます。


DSM‐Ⅳによる自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)の診断基準

誇大性(空想または行動における)賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち、5つ(またはそれ以上)で示される。

1. 自己の重要性に関する誇大な感覚。自分の業績や才能を誇張する。

2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人(権威的な機関)にしか理解されない、または関係があるべきだと信じている。

4. 過剰な賞賛を求める。

5. 特権意識、つまり特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

6. 対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

7. 共感の欠如。他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

9. 尊大で傲慢な行勤、または態度。


S.フロイトは、自他未分離の乳幼児期に見られる必然的な自己愛を『一次的ナルシシズム』と呼び、自己と他者が分離して対象愛にリビドーの転換が起こって以降の退行的な自己愛を『二次的なナルシシズム』と呼びましたが、二次的なナルシシズムは、自閉的な精神病や不適応な生活状況の原因となる精神病理の一種であると考えました。また、リビドーが自己愛の発達段階に固着すると、自分と類似した対象に性愛や関心を抱きやすくなるので同性愛傾向を持つとフロイトは考えましたが、現在の精神医学では、同性愛(性同一性障害)の問題は生物学的原因と環境要因の相互作用で理解することが多くなっています。

S.フロイトは『自体愛→自己愛→対象愛』という本能変遷(リビドー充足の対象の移行)を正常な精神発達過程として考えていましたが、H.コフートは『自体愛→未熟な自己愛→健康な自己愛』というように、『健全で正常な自己愛』を人間は生涯持ち続けるという立場に立っていました。コフートは、発達早期の共感的で尊敬できる親の存在が、適応的で健全な自己愛の発達を促進すると考えました。

コフートが、病的で不健全だと考えた自己愛は、『幼児的全能感に支配された自己顕示的な誇大自己』であり『原始的な理想化(カリスマへの同一化と従属化)に支配された親イマーゴ』でした。原始的な理想化というのは、簡単に言えば、圧倒的な権力や強大な権威を持つカリスマ的指導者に、投影同一視を用いて自己と同一化したり、その指導者に完全に従属して自己の主体性を放棄することを指します。健全で正常な自己愛は、尊敬できる『理想化対象』へと接近する前向きな向上心の原動力となり、安定した自尊心を保って生産的で創造的な社会活動をする為に役立つものとなります。

数多くの臨床経験から構築されたマーガレット・S・マーラーの乳幼児期発達理論を見てみると、自他未分離な未分化期(生後1~4ヶ月)では母親と子供は正常な共生の段階にあるとされています。D.W.ウィニコットは、この共生段階を絶対的依存期であるとして、母親は育児に原初的没頭を見せやすいと言いました。絶対的依存期にある生まれて間もない乳児は、幻想的な母子一体感に包まれた「全能の世界」を生きており、一次性ナルシシズムはごく当たり前のものとして出現します。

未分化期(正常な自閉期・正常な共生期)の後に訪れる分離・個体化期(生後5~36ヶ月)では、段階的に自我意識が強化されていき、母親から一定時間離れていられる個体化(ndividuation)の能力を獲得します。分離・個体化期における母子の分離の過程は、直線的に順調に進むわけではなく、子供は母親を情緒的エネルギーの補給基地(emotional refueling base)として利用しながら、少しずつ母親から離れていられる練習を積んでいきます。母親に対する分離不安(separation anxiety)が根強く残っている分離・個体化期では、母親は精神的なエネルギーを分け与えてくれる『安全基地(security base)』 として子供に認知されています。

M.マーラーの分離・個体化期は、母親と自分が異なる人間であることを認識し始める『分化期(differentiation subphase:5~8ヶ月)』、分離不安を克服しようとして外界を探索する練習を繰り返す『練習期(practicing subphase:9~14ヶ月)』、分離意識の自信と分離不安の挫折の葛藤に悩む『再接近期(reapproaching subphase:15~24ヶ月)』、母親がいない分離不安への耐性と自律的な自我を形成し始める『個体化期(individuation subphase:24~36ヶ月)』より成り立っています。

子供は母親から離れていると不安や寂しさを感じて、再び母親に再接近し情緒的なエネルギーを備給して貰おうとしますが、この分離不安や孤独恐怖に対する防衛的な心理機制は青年期以降の成人にも見られることがあります。早期発達段階の母子関係を経て内面に形成される対象恒常性が不完全であればあるほど、マザーコンプレックスに由来する『異性関係への執着心(嫉妬・羨望・独占・支配)』は強力になる可能性があります。通常の精神発達過程を経験して、重要な他者(母親)に対する分離不安を克服していれば、恋人(配偶者)や友人と絶えず一緒に居て安心感や被保護感(守られている感覚)を与えてもらう必要性はありません。

親密な他者(配偶者・恋人)への支配欲求が過剰な人物で、相手の行動の全てを細かく監視したりDV(ドメスティックバイオレンス)を行ったりする人の中には、対象恒常性の障害とマザーコンプレックスへの固着が見られることがあります。つまり、精神内界に自分の安心感や信頼感の源泉となる対象恒常性(object consistency)が確立しておらず、いつも『油断すれば見捨てられるのではないか?気を抜くと裏切られるのではないか?』といった分離不安に近い内容の不安感に襲われている為に、相手を完全に支配下に置くことで安心感を得ようとしているのです。

あるいは、『相手を自分の思い通りにコントロールしたい』という幼児的な全能感(幻想的な全能感)を完全に脱却できておらず、乳幼児が母親に全面的な保護・愛情を求めるように、DV(家庭内暴力)や監視行動を用いて相手の自由を奪い、母親のように自分の世話や保護だけに没頭することを期待します。DVや共依存、児童虐待、アダルトチルドレンなどの問題を精神分析的に解釈すると、発達早期の母親に守られていた段階(本当は、母親に守られていたかった段階)にリビドーを退行させている病的な状態ということになります。

リビドー(性的欲動)が退行する段階である固着点は、『情緒的な関係性・心理的な安心感・身体的な安全性に問題が起きていた時点』であることが多いので、DVや共依存、児童虐待などの問題を抱えている人が退行しようとしているのは、『現実にあった母子関係』ではなく『理想的な母子関係』であることが多いと言えます。

つまり、現実の過去にあった母親とのコミュニケーションで得られなかった温かい愛情や共感的な関係、全面的な保護(世話)、相手の良い感情の独占を取り戻そうとして、『想像的な理想の母親像(あるいは理想的な人物像)』を形成し、相手(配偶者・恋人・家族・友人)をその理想像の枠組みに無理に押し込めようとします。思い通りには動いてくれない現実の他者は『想像的な理想の人間像』と大きな食い違いが生まれてきますから、そこに、DVや共依存、境界例(境界性人格障害)などの歪んだ人間関係の問題が発生しやすくなります。

精神の発達過程と母親的な元型(アーキタイプ)であるグレートマザーとの相関、レオナルド・ダ・ヴィンチの『モナリザ』を題材にしたS.フロイトの二次的ナルシシズムについての考察についても、時間を見つけてまとめてみたいと思います。


■関連URL
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傷ついた自己愛の防衛と補償のメカニズムと母子一体感からの脱却

自己愛と対象愛によって満たされる私:健全な自己愛と病的な自己愛

■書籍紹介
自己心理学入門―コフート理論の実践

間主観的アプローチ―コフートの自己心理学を超えて

セラピストとクライエント―フロイト、ロジャーズ、ギル、コフートの統合

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