権威と社会3:何故、北朝鮮国内の独裁体制は維持され続けているのか?

例えば、人権保護や経済情勢悪化、核兵器開発など数多くの問題を抱えた独裁国家として注目されることの多い北朝鮮を題材にして考えてみても、北朝鮮は金正日という独裁者一人によって完全支配されている国家ではありません。
どのように強力な権力者であっても、彼(彼女)一人で全国民を完全に掌握し支配することは不可能であり、必ず彼の命令を忠実に伝達して実行する直属の部下(重臣)がいて、その重臣の命令を機械的に実行する官僚組織や軍事機構が存在しています。

独裁国家や専制主義政治機構の命令系統は、『最高権力者→内閣に相当する最高幹部の集団→各最高幹部が管掌する機関のリーダー→機関のリーダーが指揮する官僚組織→官僚組織が指導する各地域のリーダー→地域の小集団→国民個人』といった段階を経て、国民個人を管理監督して体制維持の行動を取るシステムを構築しているわけですが、『最高権力者と最高幹部』『最高幹部と各機関のリーダー』など直接的に命令・指示をやり取りする関係では、複雑な感情コンプレックスが生まれます。

(民主主義国家の命令系統もトップダウンの側面はありますが、独裁国家の場合にはその命令が、民主的な立法趣旨の範囲を逸脱して人格的自由(言論報道・思想信条・日常生活の行動・宗教)の領域にまで広範に及ぼされること、立法過程に民意が反映される選挙がないこと、独裁者個人の裁量権が大きくそれを監視して是正を求める監査機関がないことなどの違いがあります。)

複雑な感情コンプレックス(感情複合体)の内容は、『畏敬・尊敬・崇拝・讃美・信頼・愛情といった肯定的な感情』『恐れ・恐怖・憎悪・反発・嫌悪・敵意といった否定的な感情』が複雑に入り混じって葛藤しあっている状態です。
そして、『実力を備えた公的権威に対する態度』は、肯定的な感情と否定的な感情のせめぎ合いでどちらが優勢になるかによって決定されてきます。

一般的に、最高権威に近い社会的地位や立場に居る人ほど、『権威に従属するインセンティブ(誘因としての利益)』が大きくなってきますから、権威に対する反発や抵抗は弱くなり、自分自身を最高権威を分有する存在として見做し、次第に権威との同一視の心理機制が働いていきます。
反対に、最高権威から遠い社会的地位や立場に居る人ほど、『権威からの制限や規制を受けないことによるインセンティブ(誘因としての利益)』が大きくなってきますから、どちらかといえば反権威的な価値判断や行動を取り易くなっていきます。

先進国のマスメディアは、金正日総書記は、表面上は処分を恐れる人民から崇拝されているが、本当は北朝鮮人民の全てから嫌悪され憎まれているといった論調で、北朝鮮の政治体制を非難しますが、現在の金王朝ともいわれる独裁政権が現在まで維持されている現状から特権階級に所属する人々からは一定の支持を得ているとは言えるでしょう。

本当に特権を享受する階層を含む全ての人々から嫌われ恨まれた場合、独裁者はクーデターにあって殺害されるか国外に亡命せざるを得ない状況に追い込まれます。
その場合のクーデターや反逆には、実際的な軍事力さえ必要ないでしょう。
周囲を取り巻く全ての側近と各行政機関のリーダーが『あなたの命令を聞く意志はありません。あなたは独裁者として国民を苦しめたので然るべき処分を下させて貰います』と宣言するだけで、彼は全ての権力を失います。
よく中国や北朝鮮のような一党独裁体制では、軍隊を誰が掌握しているのかということが問題となりますが、私兵としての趣きを持つ軍隊の無力化という意味でも、兵士一人一人が『上官の命令に従うつもりはありません。戦いたければあなた一人で戦ってください』と宣言すれば、どんなに強力な軍隊も無力化します。

しかし、多くの独裁国家においてそういった事態(独裁者に対する一斉無視や一斉蜂起)はまず起こりません。
独裁者として国家を専制的に統治する人は、そういった人間の権威関係にまつわる感情の機微に対して敏感ですので、自分に対して忠誠や服従を誓えばそれに報いる十分な権力と財産を与えることを約束し、自分に対して謀反や反逆の気配を見せれば容赦なく粛清するという威圧を効かせています。
行動心理学の文脈でいえば、従属者が反発せずに自発的に喜んで従うだけの『十分な正の強化子(快の刺激を感じる利益・地位・賞讃)』を与え、従属者が恐怖を抱いて反抗できないようにする『十分な負の強化子(不快の刺激を感じる脅威・処罰・粛清)』をちらつかせて徹底的なオペラント条件付けを施しています。

また、経済学のゲーム理論の文脈でいえば、独裁国家の人々の多くは『囚人のジレンマ』状況に陥っています。
多くの従属者は相互監視体制に置かれていて、『自分と同等の階層・地位・立場にある者が、最高権威に批判的で反抗的であることを上位者に密告すれば、インセンティブが得られる制度的仕組み』が整備されているのです。
その為、独裁者に従属している圧倒的多数の国民個々人は心理的に『協力行動を取り難く、非協力的行動を取りやすい不安定な囚人のジレンマ状態』に置かれているということが言えます。
日本の封建主義体制を維持する為につくられた江戸時代の五人組の制度や身分階層間の対立意識をうまく利用した士農工商の制度も、ゲーム理論的な葛藤状況を利用した制度的枠組みだということが出来ます。

『囚人のジレンマ』というのは、最も有名な利得を争うゲームで、『二人で共犯した犯罪者が刑務所に留置された場合に、別室で尋問され、相手を裏切って犯行を自白すれば、自分にとって最も大きな利得が得られると説得される葛藤状況』です。
この場合に自分が得られる利得獲得のパターンには、次の利得表で示される4つのケースが考えられます。
(『協力行動』とは『黙秘して共犯者と協力すること』、『非協力行動』とは『共犯者を裏切って警察に自白すること』を意味します。利得得点は便宜的なものですが、相対的な利得の大きさを表します。)


1.自分が協力行動・相手が協力行動(自分の利得:5、共犯者の利得:5)

2.自分が非協力行動・相手が協力行動(自分の利得:6、共犯者の利得:-1)

3.自分が協力行動・相手が非協力行動(自分の利得:-1、共犯者の利得:6)

4.自分が非協力行動・相手が非協力行動(自分の利得:0、共犯者の利得:0)


この利得表を見て、大勢の人は協力行動と非協力行動のどちらを選択しやすいでしょうか。
相手との信頼関係が強固なものであれば、お互いに協力行動を取る『1』の行動選択が最適反応(最適解)であるように思えるかもしれませんが、経済学の平均的人間観である将来の利得を最大化しようとして合理的な判断をするという経済人(ホモ・エコノミクス)を前提とすれば、多くの人は相手の誠実さを信頼せずに非協力行動を選択することが多くなるように思えます。

故に見知らぬ不特定多数の人々が生活する独裁主義国家の社会においても、自分と家族の利得を最大化するために、見知らぬ他者を信頼して『権威に対する非協力行動』を選択するよりも、見知らぬ他者を懐疑して『権威に対する協力行動』を選択する可能性が高くなります。
また、独裁主義国家や恐怖政治が行われているような専制国家では、『権威に対する非協力行動を密告摘発することに対する十分なインセンティブ』が制度的に用意されていることが多いので、ほとんどの人は功利主義的判断から権威に対する従属と貢献を選択することとなります。
何故なら、同じ階層の人を裏切って得られるインセンティブは確実に得られるものであるのに対して、同じ階層の人と協力して権威(体制)を裏切って得られるインセンティブは、極めて不確実で曖昧なものであり、相手に出し抜かれて先に裏切られれば自分と家族の破滅を直接的に意味するからです。

精神分析学の文脈で、権威を分析すれば、生まれながらに洗脳教育的に指導者の権威性や神聖性を刷り込まれることによって、内面的良心や善悪判断の基準としてその指導者が取り込まれ超自我の一部となることを指摘することができるでしょう。
もしくは、先進国のアイドルやスポーツ選手をカリスマとして強く崇めて深く愛する人々がいるように、自我防衛機制の一つである投影同一視や投射の機制が働いて、それらの人々の持つ栄光や幸福、他者への影響力、経済的豊かさが増すことを心から歓迎して喜ぶといった心理状態になることも多くあります。
その場合には、カリスマとしての魅力を備えた人物の幸福や権威の上昇が、自分自身の自我の強化や拡大と投影同一視され、気分の高揚や充足を伴う理想自我に近づく体験として感じられることとなります。

権威の起源は、家族関係で経験される権威的関係の内在化にありますが、家族関係も社会的環境から切り離して考えることは出来ず、『内在化された権威=超自我』は社会的階層関係を投影した趣きを帯びることとなります。



超自我と権威との必然的な同質性は、超自我が現実の強力な権威から絶えず新しく投射されねばならないということにもとづいているのではなくて、超自我自体が自分に命じられた使命をやり遂げるほど十分に強くもなければ安定もしていないことに基づいている。

なるほど正常者から病的な強迫性格者にいたるまでのパーソナリティ・タイプがあるが(強迫性格者の超自我は強いので、この超自我が現実の権力と人によって具体的な形が与えられないときでも、彼の行動と衝動を完全に支配できるほどである)、強迫性格をもったロビンソン・クルーソーのような人だけが、難破の前に彼がいつもしてきたように、島でも彼の超自我に従い続けるだろう。

しかし、平均的な人では、心の中の法廷(筆者注・内面の良心や道徳あるいは倫理的判断基準としての超自我)は強くないので、権威から否認されるという恐れだけで十分である。
権力をもった現実の権威に対する恐れ、物質的な利益の希望、権威から愛され、ほめられたいという願望、そして(表彰や昇進等によって)この願望が実現されたことによって生まれる満足、更にこの権威に対する性的、特に同性愛的な(無意識的なものであっても、実現されたものであっても)対象関係の可能性は、超自我に対する自我の恐れより少なくとも強い因子である。

それゆえ、超自我と権威との関係は複雑である。ある時は、超自我は内化された権威であり、権威は人格化された超自我である。
しかし他のときには、両者の共同作用は、自発的な服従と隷属を作る。そして、これは社会的な行為を驚くほど特徴づける。


エーリッヒ・フロム『権威と超自我 それらが発達する際の家族の役割』(『権威と家族』青土社)より引用



私たちは、『外的な実体のある権威』と『内的な実体のない権威(超自我)』との相互的な作用の狭間にあって生活しているわけですが、それらの影響や強制力から完全に解き放たれることは、人間が社会的な存在である限りありません。
そして、権威との距離感や関係は、人間の人格形成過程やコミュニケーション能力、対人関係パターンと密接に関わってきます。
どういった距離感や関係がベストなのかは、社会的属性や立場を無視して断言することはできず、その関係は、社会的経済的歴史的に外部から規定されてくるという特質を併せ持っています。つまり、個人の信念・欲望・価値観といった主観的な内面心理を超えた部分で、自動的に無意識的に規定されてくる側面を必ず持っているということです。

罪悪感、倫理的満足感、強制力、実際的利害と密接に結びついたそれらの力や感情とどのような関係を持ちながら自分の行動や判断を選択していくのかによって、その人のパーソナリティや人生の過程が緩やかに規定されていくわけです。
その事から、この愛情と敵意が交差する権威構造のダイナミズムこそ、社会的アイデンティティを背負って生きなければならない私たちの幸福と苦悩の源泉に他ならないといえるのではないでしょうか。


■関連URL

権威と社会2:宗教的権威
権威と社会1:政治的権威

■注記

この記事では、北朝鮮を典型例として題材にしていますが、専制主義国家の権威維持に関する心理学的考察が主となっているため、北朝鮮という国家の存続が可能な国際情勢には触れていません。
各国とのパワーバランスおよび外交交渉、隣国との国益関係、独裁国家の歴史的民族的文脈による存在意義などを綿密に考証する必要があると思います。

■書籍紹介

北朝鮮の独裁体制の歴史的ルーツを、李氏朝鮮時代や儒教道徳にまで遡って解き明かそうとする書物としては『韓国人から見た北朝鮮―独裁国家のルーツ』(呉 善花 ,PHP出版) があるので興味のある方は是非、読んでみられることをお薦めします。

儒教については、私も“過去の記事”で少し触れていますので、こちらも一読してみてくださいね。
孔子を始祖とする儒教の思想と歴史の考察
戦乱と混迷の春秋戦国時代に徳治主義と修己治人の理想を掲げた孔子の漂白遊説の生涯
孔子が敬愛した周の周公旦

ここで、紹介する書籍は、ナチスドイツの独裁体制を成立させた大衆のメンタリズムと当時の時代状況、全体主義国家の社会構造について詳細に論述した、シグムンド・ノイマンの不朽の古典『大衆国家と独裁-恒久の革命』です。
ノイマン自身がナチスドイツの迫害を逃れて亡命した人物であり、実体験も踏まえた全体主義(ファシズム)の社会構造の分析は説得力とリアリズムに富むものですので、歴史や政治の情勢を動かす大衆心理と構造などについての論説を読みたい人には読む価値のある書物だと思います。
大衆国家と独裁―恒久の革命

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