全国の国公私立の小中学校3万3680校を対象にした不登校調査で、小中学生の不登校児童は06年度より2360人多い12万9254人になったという。統計的に不登校児童の推移を見ると、2001年度に過去最多の13万8722人を記録して以降は目立った変化は無いのだが、ここ二年間は連続して増加傾向を示したためにニュースで取り上げられたようだ。
不登校の歴史を遡ると、かつては特別な身体の健康上の理由がなく学校に登校しないことを、精神疾患(神経症)の一種と見る『学校恐怖症』という呼称が使われていたこともある。学校恐怖症という医学的概念は、アメリカのA.M.ジョンソンによって1961年に提起されたものである。学校恐怖症の概念が成立する以前からイギリスのI.T.ブロードウィンが1932年に提案した『登校拒否』という言葉は使われていたが、日本で本格的に登校拒否が問題視され始めるのは1960〜70年代以降のことではないかと思う。学校恐怖症は『登校拒否』につけられていた精神医学的な診断名であるが、最近では学校に行かないことを心の病気や社会的な問題と解釈する見方は衰退していて、『集団生活(学校環境)への不適応』か『児童もしくは保護者の自発的判断』として登校拒否を捉えることが殆どである。 現在では、公的文書においても『登校拒否』ではなく『不登校』という呼称が採用されているが、それは不登校という『学校に通学していない状態を示すだけの用語』に強制的な規範性や価値判断が含まれていないからだろう。登校拒否という言葉には『ずる休み・わがまま・怠惰・ルール違反・不適応』というネガティブなイメージが周囲に持たれやすいという問題があり、『学校に行く=正しい・学校に行かない=間違っている』といった価値二元論の射程に収まりやすく、そういった登校拒否のラベリングが児童の『対人的な自信・行動力』を低下させて余計に社会的活動への適応が難しくなることがある。 学校に行かないよりは行ったほうが望ましい、あるいは、特段の心身の健康上の理由がなければ学校に行くべきだという社会的価値観はかなり共有されているが、20世紀後半と比較すると学校教育の相対的な価値・魅力や有用性が低下してきたという状況もある。しかし、小中学校の義務教育に関して言えば、『国民の最低水準の知識・常識・技能・規範』を担保するという役割は残っているし、大半の子どもにとっては学校に行かないメリットよりも学校に行くメリットのほうが大きいとはいえるだろう。早期教育・家庭教育などの効果で理解力・学力が同年齢の児童と比較して極端に高くなり、学校の授業や周囲の友人関係に馴染めないという特殊な浮きこぼれという事例も確かにあるが、一般論として『義務教育の内容を必要としない生徒』が多数派であるという前提は間違っているだろう。 また、登校拒否の用語が使われなくなってきた背景には、『学校に行くことを拒否して行かない生徒』だけではなく『学校に行きたくても何らかの心理的要因やストレス反応によって行けない生徒』の存在がクローズアップされてきたことも関係している。学校に通学すべき義務教育年齢の子どもが通学しない不登校には、多種多様な理由がありその解決法を一律的・画一的には示すことはできないが、『学校に行くメリットの増進・学校に行かないデメリットの減少』を目標に据えて通学支援や対人援助、補助的な教育活動を行っていく必要があると思う。 『先生・親・児童(本人)・友人』のカウンセリングや話し合い、ケースワーク(家庭生活指導)などによって不登校の状態が改善するのであれば積極的な支援を続けたほうが良いし、いくら学校や親がアプローチしても通学に対する不安感や拒絶感が収まらないケースでは、『保健室登校・午前中だけの通学・プリント配布などによる家庭学習・フリースクールなどの検討』といった二次的な対応策を立てていくことになる。どうして学校に行けなくなったのか、学校生活のどこに不安や恐れを感じているのかといった不登校の生徒の個別的要因を解明しながら、保護者と教師、スクールカウンセラー(SC)などが連携して生徒が通学しやすい心理状態や学校環境(友人関係の改善)を整えていく必要がある。 本年度からはスクール・ソーシャルワーカー(SSW)という学校福祉・保健福祉分野の専門家が学校教育に参加してくるので、家庭環境と学校生活の問題の両方にケースワーク(家庭訪問・相談業務)を通してアプローチしやすくなるのではないかと期待する。不登校の問題の解決のためには本人と学校、親の協調的な連携が必要不可欠であり、本人が学校に行く必要性や学校生活の魅力をある程度自覚しない限りは、学校に通学するという方向での支援は難しいのではないかと思う。教育委員会が不登校の理由として上げているのは『人間関係をうまく構築できない児童・生徒が増えている』(93%)、『家庭の教育力の低下』(82%)や、『欠席を容認するなどの保護者の意識の変化』(65%)などである。 それらの理由を合わせて考えると、中学進学時に学校環境に適応できない生徒が増えることから、『友人関係や集団の力関係の変化・授業内容の変化・学校の集団規範性の強化』などが不登校を形成する主要な因子になっているのではないかと思う。友人関係におけるいじめなどの要因と授業が理解できず勉強についていけないという学業不振の要因が合わさって『学校に行く意味や友人と交流する喜び』が見出せなくなるというケースがあり、学校の集団生活や強制的な規律(規則正しい生活習慣)に適応できずに『学校生活の束縛感や抑圧感』を敏感(過剰)に感じてしまうというケースもあると推測される。 不登校の対応にあたっては『生徒本人の長期的な利益と将来の適応性』が考慮されなければならないので、『学校に行きたくなければ行かなくても良い』というのは少なくとも不登校の初期の対応としては最善とは言えず、学校に長期的に通わない場合の種々のデメリットや不利益も考えて本人と親が判断していかなければならないと思う。小中学校の義務教育の持つ役割は大きく二点あり、一つは『社会生活を送るために必要な最低水準の知識・常識・技能の学習』であり、もう一つは『集団生活や社会規範への適応性の獲得』である。 近代国家における義務教育の学校制度(学制)は、国家の生産性向上に役立つ勤勉・従順な規範意識のある国民(労働者)を再生産するという目的を持っていたが、この目的は労働を集約化する第二次産業(製造業)に特化していたので確かに情報化社会の要請とは合わない部分もでてきている。しかし、社会生活に必要な最低限の知識・学力・規範を効率的に身に付けられるということや国民の教育水準や集団適応力の下限を一定に保てるということがあるので、集団生活の要素を伴う義務教育の有用性や必要性が完全に無くなるということはないのではないかと思う。 無論、義務教育以外の自分なりの方法で知識や技能、コミュニケーション能力を身に付けることは十分に可能だし、そういった個別的な選択の自由は尊重されるべきだが、大多数の人に付与される義務教育というシステムそのものが完全に不要というところまでは踏み込めないのではないかということである。『読み・書き・計算・基本的なコミュニケーション』という4つの能力は学校に行っても行かなくても習得しておかなければならない能力であり、通常の日常生活や職業活動を支障なく行うためには義務教育レベルの学力とコミュニケーション経験(対人関係の経験)はやはり必須になってくる。 逆に言えば、それらの4つの能力の基盤さえしっかりと形成することができれば、義務教育を受けていても受けていなくてもその後の人生で十分に社会生活や職業活動に適応していくことが可能になるだろうし、本人のやる気と能力があれば更に学歴や知識・技能水準を向上させていくことができる。長期化する不登校のケースでもっとも注意しなくてはならないのは、『読み・書き・計算・基本的なコミュニケーション(人間関係を楽しめる能力)』という社会生活に必須な4つの能力を習得できないことであり、それらの能力の欠如や自信(自己信頼感)の低下、他者への不信感により『ひきこもり・就業困難(ニート)・無気力な抑うつ状態・非行(逸脱行動)・嗜癖(依存症)』へと遷延していってしまうことだろう。 不登校の問題への対処では『本人の学校生活にまつわる不安感や恐怖感・抵抗感を緩和すること』がもっとも優先される課題だが、その後の段階では『本人の長期的な利益(社会適応性)や能力の発展性』を見据えた個別的な学習支援や生活指導が必要になってくる。小中学生の児童の長い人生を考えると『次の成長段階(将来の生活能力・環境適応性)につながる指導・支援』を絶えず考えていかなければならないし、児童の悩み・不安・葛藤に対してその場その場で親身に相談に乗ってあげられるような学校と家庭、友人関係における人間関係づくりが最も大切なのではないかと思う。 ■関連URI 学校教育システムの機能不全の露呈と生徒が所属する集団(グループ)の発達変遷過程 学校教育におけるいじめの認知件数の増大と関係者全員が連携した危機介入的アプローチの必要性 子ども社会のいじめの心理と大人社会のモラル・ハラスメント:集団内での示威と防衛の葛藤 ■書籍紹介 |
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“社会適応”と“個性教育”を目的とする学校教育の問題点1:個性的であることへの欲求と逸脱行動
現代社会には“普通であること”と“特別であること”という二つの価値基準があり、学校教育では規律訓練によって『(個性を抑制した)普通の生徒』へと教育しようとする一方で、長所や利点を伸ばす個性教育によって『個性的な生徒』を生み出そうとする。人間には『無個性な主体として集団に適応したい』という欲求と『個性的な主体として集団の中で目立ちたい』という欲求の相矛盾する二つの自己定義的な欲求があるが、児童期・思春期・青年期の発達過程における『承認・成功』や『拒絶・失敗』を通して自分なりの環境適応の方略を... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/09/29 04:21 |
成人年齢・選挙権年齢を20歳から18歳に引き下げるという議論と社会的な判断能力を培う教育課程の必要性
民法上の成人年齢を20歳から18歳へと引き下げるべきかどうかという議論が見送られることになったが、ニュースのコメントなどネットの書き込みをざっと見渡すと『反対・どちらかというと反対』という変更に対して慎重な意見のほうが多い印象である。日本の成人年齢を国際標準に近い位置づけにある『18歳』に合わせることは喫緊の課題であるとは思わないが、少子高齢化社会(若年世代の人口比率・票数での発言力が低下する社会)が本格化することを考えると、『政治的意志決定における世代間の利害調整』という観点ではいつかは... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/12/18 02:34 |
中学生・高校生のヘアスタイルや制服はなぜ規制されるのか?“外観の自由”と“生徒の自己管理能力”
ヘアスタイルや服装などを画一化する『学校の校則』が何のために存在するのかという理由については、『工場労働者やサラリーマンとしての社会適応(集団協調のための規律訓練)』という観点から、過去に『でたらめな仕組みで動く社会』の正当性や根拠にまつわる考察という記事を書いた。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/03/17 03:55 |
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