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アブラハム・マズローの欲求階層説では、『生理的欲求→安心と安全の欲求→所属愛の欲求→承認欲求→自己実現欲求』へと発展していきますが、他者の承認や評価と完全に無関係な欲求は『生理的欲求(食欲・睡眠欲)』だけであり、生理的欲求の一つである性欲も自分ひとりでは十分に満たすことが出来ません。人間の人格的な尊厳や本性的な欲求について『他者からの承認(愛情)・他者とのコミュニケーション』を完全に無視して語ることはできず、人間の尊厳や倫理、欲求のあり方は『他者との関係性』と深い相関を持って相互につながっています。人間社会における諸個人間の競争は、外観的には『財力(所得)・異性・地位』を巡る競争として認識できますが、現代社会における競争の形式は古典的な『自己保存(生存)の競争』から『承認をめぐる競争』へと大きくシフトしています。 哲学史では、絶対精神の表現としての国家主義(民族主義)を全肯定する以前のG.W.F.ヘーゲル(1770-1831)が、道徳原理(社会秩序)の発生要因として『承認をめぐる競争』について言及していました。ヘーゲルは最終的にはフッサール的な『相互主観性による人格的価値の承認(端的にはコミュニケーションの可能性)』を放棄して、絶対精神の表現である民族国家が道徳的規範を確立していくという権威的イデオロギーへと傾斜しますが、『承認をめぐる競争』は個人の自己実現と社会の道徳規範の源泉として位置づけることが可能です。人間(個人)が自己の人格・能力・魅力の承認を求めて他者とコミュニケーションしようとする心理には、『対人的に無価値(孤独)になりたくないという不安』や『社会的承認のネットワークから零れ落ちたくないという所属欲求』がありますが、自己の存在意義や社会的アイデンティティの一定以上の部分は『他者・社会からの承認』によって規定されます。 『自分は他人や社会から認められなくても構わない・他人が自分をどう評価しようが全く気にならない』という価値観の持ち主は確かに存在しますが、どんな人間であっても最低限度の対人的・社会的承認(他者との相互的な関わり)がなければ生命の維持や精神の健康を実現することができません。会社(企業)に承認されなければ所得を得ることが難しくなりますし、他者(友人・異性)に承認されなければ精神的な孤立感や疎外感が強まるわけですが、より根本的な問題として家族(親)から一定以上の承認(最低限度の衣食住の世話と愛情)を受けなければ人間は自立的な大人として成長できないという問題があります。そして、精神分析的・発達心理学的な発達理論では『一人でいることに耐える力=孤独耐性』は、発達早期の母子関係(無条件の愛情と保護)や過去の対人関係を通した『対象恒常性の獲得』に依拠している部分が多くあります。 対象恒常性の獲得とは、精神内界にある安心感・満足感を与えてくれる継続的な表象(愛する他者のイメージ・意味づけ)の獲得のことであり、目の前に愛する他者が実際にいなくても内的に対人欲求や孤独不安を処理できる心的機能を作り出してくれます。自分への愛情や保護を体験する親子関係や恋愛関係(友情関係)は『他者への基本的信頼感』の原因となるだけではなく、自分は一人になった時にも人生を諦めずに何とか切り開いていけるという『自己への基本的信頼感』の基盤にもなります。コミュニケーション理論で知られるユルゲン・ハーバーマスに続くフランクフルト学派の第三世代の哲学者アクセル・ホネット(Axel Honneth, 1949-)は、『承認をめぐる競争』の社会秩序や人格の尊厳の形成作用をベースにして『愛・法・連帯』という人倫(倫理)の形式的条件を掲げています。 『愛(愛情)』による情緒的承認はすべての承認の基盤であり、親子関係・異性関係・友人関係などのプライベートな関係性の積み重ねによって、本来的に孤立に弱い人間は『人格の尊厳・自己信頼・孤独耐性』を段階的に獲得していきます。大多数の人は、他人から愛されなかったり社会(集団)に認められなかったりしても危険な社会憎悪や他者への復讐感情を募らせませんが、それは『自分を愛する人間もいれば嫌う人間もいる(過去には自分を大切にしてくれた人や自分を認めてくれた人もいる)』という現実的なバランス感覚のある人間観を持っているからです。確かに社会には『他人に愛されやすい人』と『他人から愛されにくい人』という一定の対人関係・異性関係における格差はあると思いますが、他人に愛されやすい人に嫉妬して攻撃しても自分が得られる幸せや安心というのはほとんど無く、大半は自分の性格的評価を下げてその人以外の人からも拒絶(嫌悪)されやすくなるという逆効果を招くだけです。 そういった生得的要素に関与する性愛格差・魅力格差を『個性(個人差)』としてとりあえず受け容れながら、自分の可能な部分で努力していき『自分を認めてくれる他者・継続的に付き合っていける他者』を一人でもいいから見つけ出すことが最も適応的な行動選択だと思います。アクセル・ホネットは、『愛(愛情)』によって他者が認めてくれる自分の人格的存在に対する『自己信頼』を獲得し、『法』によって自由と権利の自律的主体(社会における平等な法的人格)である自己を大切にできる『自己尊重』を習得し、『連帯』によって相互主観的に自分の価値観や主張を肯定される『自己評価』を手に入れると説きます。『愛情・法・連帯』という人倫の形式的条件は、『他者との相互的承認のネットワーク』によって人間の尊厳と存在意義を支えているわけですが、これらの形式的条件の究極的な作用は『他者から自分の価値(人生の意味)を承認されること』であると同時に『自分で自分の存在価値を承認できるようになること』だと考えます。 過去に書いた秋葉原の無差別殺傷事件の考察の記事(最後に掲げる関連URLを参照)から随分と時間が経過しましたが、この記事はそれらの記事の続きとして書き始めていたので、以下では秋葉原事件と承認欲求の形式との相関について触れています。 人間の正常な精神構造と倫理的な判断能力は『他者からの承認(他者への基本的信頼感)』と『自分の自己存在に対する承認(自分への基本的信頼感と人格的価値の尊厳)』によって支えられています。加藤智大容疑者を理不尽極まりない無差別殺傷に駆り立てた生活状況の要因としては、『個人的・社会的・家族的な承認関係のネットワーク』から零れ落ちてしまった孤立感と自分の人生の先行きを悲観する空虚感が考えられますが、その社会的な孤立感と人生の無意味感が『自分の人格的価値(存在意義)が他者・社会から不当に虐げられ苦しめられている』という妄想的な被害感(一方的な責任転嫁)につながり、『社会憎悪の暴発』としての無差別殺傷へと突き進んでいったように思います。 逮捕後には『(犯行前の実況中継を書き込んでいる段階で)誰かに止めてもらいたかった』というような供述をして後悔していたとも言いますが、その過去の行動を後悔する発言の裏には彼の人生全般を覆っている『他者からの承認不全(対象恒常性の欠落)』と『強固なコミュニケーション欲求』が感じられます。自己信頼感を低下させる『承認不全の原型』としては、早期母子関係における愛情欠損や安心・信頼できる家族関係が形成されなかった成育歴の問題なども想定できますが、『自分の存在が認められているという感覚・家庭に象徴される安心感のある場所』を与えられなかったことで、社会(対人関係)における自分の存在意義や懸命に働く意味を見失いやすくなった部分はあると思います。 携帯サイトの掲示板に延々と3000件にものぼる自分のコンプレックスや社会・職場への不満を書き連ねていた理由は、リアルの世界では得られない『他者との共感的・肯定的なコミュニケーション』を求めていたからだと思いますが、現実社会だけでなくインターネットでも自分の望んでいた『他者からの承認・関心・配慮』が得られなかったことで更に心理的に追い詰められ、自分の存在意義(心理的に依拠できる場所)を喪失したとも解釈できます。孤立感や絶望感、無意味感などは確かに人間の精神を極限まで追い詰めて自暴自棄に走らせることがありますが、如何なる理由があろうとも自分とは無関係な他者を無差別に殺傷する行為は許すことができず、今回の秋葉原の事件は『現代社会における個人的・社会的な承認不全』のもたらす悲劇的な帰結を私たちに突きつけてきた事件でもあります。 しかし、家族の承認関係(親の愛情)から疎外され、職場・経済の承認関係(安定した雇用環境)から排除され、恋愛・結婚・友人の承認関係(自己の個人的な価値承認)からも孤立した時に、それまでの人生で傷つき前向きな意欲を喪失した『無力な寄る辺なき個人』が何を支えにして長い人生を生き抜けば良いのかというのは切実な問題ではあると思います。無関係な人を巻き込む無差別殺傷(通り魔)のような反社会的問題は、本人の自由意志に基づく不正な判断として厳しい自己責任が問われるべきですが……他者を傷つけることなく社会のどこかで静かに孤独や絶望に耐えながら必死で生きている無数の人たちがいることを想像すると、個人的承認(恋愛・性愛・結婚)を個別的に支援することは難しいとしても、社会的承認(雇用待遇・労働環境・人格の尊厳)については社会全体の問題として意識的に考えていく必要があるのではないかと思います。 『誰か(社会)に必要とされたいという欲求・誰かの特別な存在でありたいとする欲求』は人間にとっておよそ普遍的な承認欲求であり、多くの人がきつくて厳しい仕事(自分にとって不本意な仕事)でも一生懸命に働き続けられるのは『自分の生存維持(給与)』や『商品・サービスの消費欲求』のためだけではなく、『自分の存在価値や労働価値を認めてくれる誰か(会社・家族・恋人・顧客・同僚)』がいると心の何処かで信じているからではないでしょうか。 その個人的(プライベート)な承認欲求に関係する他者(家族・恋人・友人)は自動的に平等に与えられるものではなく、自分の成長や努力、働きかけによって『自分を認めてくれる他者』を見つけ出していかなければならないという厳しさは確かにありますが、劣等コンプレックスや他者への不信感を強めないような家族関係・人間関係・社会生活の経験を繰り返していくことがまずは必要になってくるでしょう。『個人的・社会的な承認関係のネットワーク』から零れ落ちた人を完全に絶望させない社会設計(雇用制度)や人間関係(好意的なコミュニケーション)の見直しが求められますが、他者(社会)に何度か拒絶されてもそこで完全に自己評価を捨てて自暴自棄にならないような『長期的スパンに立った人間観・世界観の形成(他者への能動的なコミュニケーション行動)』というのも重要な心的課題になってきます。 ■関連URI 秋葉原の無差別殺傷事件から考えたこと1:家族との情緒的な結びつきと社会と向き合う精神的自立のプロセス 秋葉原の無差別殺傷事件から考えたこと2:他者に対する破壊衝動の克服と対人関係の功利的調整 秋葉原の無差別殺傷事件から考えたこと3:特別な他者(恋人)を求める感情と条件付きの承認 ジェフリー・F・ミラー『恋人選びの心 U 性淘汰と人間性の進化』の書評2:言語機能の進化と性的魅力 恋愛関係における嫉妬感情などネガティブな感情の考察:『相手を愛する事』と『相手から愛される事』 ■書籍紹介 信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム
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“恋愛の関係性”+“性愛の快楽”+“コミュニケーションの楽しさ”
『異性との恋愛関係』から性愛(セックス)の要素を完全に排除することは難しく、男性にとっても女性にとっても『他者と性的関係を持つということ』には特別な意味合いがある。相手を選ばずに誰とでもセックスができるという人は殆どいないが、性行為にまつわる事後的リスク(妊娠のリスク)の違いによって、一般的に男性よりも女性のほうが性的パートナーの選択に慎重な傾向がある。恋愛と性愛の違いを強調するステロタイプな言葉として『私の身体だけが目的だったのね(セックス以外のパーソナリティや時間の共有には興味がないの... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/07/22 19:30 |
東京八王子市の通り魔事件と現代社会における人格的成熟(精神的自立)の遅滞傾向の問題
愛知の高速道路PAで山口県の14歳の少年がバスジャック事件を起こし、先日は、東京都八王子市の駅ビル内の書店で33歳の会社員(試用期間の社員)が2人の女性を刺して女子大学生が死亡するという事件が起きた。この二つの事件は加害者の年齢も生活状況も全く異なるものだが、動機の共通点として『親への不満(親を困らせてやりたかったという動因)』があり、両親と真剣に話し合えるような信頼関係が成立していなかったという指摘ができる。精神の発達水準を考えると、未成年の14歳少年の『親への依存性・甘え』は一般的なも... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/07/27 07:22 |
“自己評価・自己肯定感が低下する要因”と“自己評価を高めるためのポイント”
自己評価が不安定になったり極端に低くなってしまう原因としては、『非現実的・不適応的な自己と他者へのこだわり』があるので、この硬直したこだわりを緩和して、自分と他人の特徴や属性を自然に受け容れられるようになれば自己評価は安定しやすくなってくる。その方向に考えれば考えるほど、やる気や自信、楽しさがなくなっていくような『悲観的・自己否定的なこだわり』からできるだけ離れていく柔軟な認知(意識を向ける対象の転換)が大切である。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2010/03/25 13:33 |
ひきこもり70万人・親和群155万人の内閣府推計1:現代社会でなぜひきこもりは増えるのか?
内閣府が23日に発表した全国実態調査で、現在ひきこもりの状態にある人が約70万人、ひきこもり予備軍(ひきこもり親和群)が約155万人に上るという推計が出され、今後もひきこもりは増加傾向にあると分析している。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2010/07/26 19:51 |
茨城県JR取手駅で発生したバス襲撃事件について2:『人生を終わりにしたい願望』の他律性と選択放棄
ひきこもり・無業者といった非社会的行動の原因の多くには、挫折体験や対人コミュニケーションの苦手意識、既存社会(企業・仕事)への不適合感などの認知が定着する『学習性無力感・アパシー(意欲減退兆候)』が関係していますが、通常は社会や他者との接点を持たない非社会的行動パターンに陥っても、反社会的な暴力性・犯罪性が伴うことは稀です。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2010/12/21 01:05 |
新田次郎『孤高の人 上・下』の書評4:“不死身の加藤”の槍ヶ岳・北鎌尾根での最期
小説『孤高の人』では、園子と花子という二人の女性を巡る加藤文太郎の恋愛も描かれ、そこに加藤のことを尊敬して慕って弟子のように加藤の登山を真似ていく宮村健(みやむらたけし)が加わってくる。洗練された知的なお嬢様のような雰囲気を持つ園子に、加藤は『別世界の理想的女性』としてのイデアを見て憧れて惚れる。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2012/03/04 01:41 |
“自然・本能”と“人為・文化”によって規定される人の行動2:福祉国家と自然界、優生学の誘惑
1929年の世界恐慌(大恐慌)の『暗黒の木曜日』の後には、各国の経済が行き詰まりを見せて悲惨な第二次世界大戦も勃発しましたが、戦後は冷戦構造と順調な経済成長によって先進国の人類はかつてないほどに『人権(個人の権利・自由)』を尊重するようになり、(特に国内・自民族の)できるだけ多くの人が生存と幸福を享受できるようにという『倫理的な理想』を持って社会制度・社会保障・政策判断を積み重ねていきました。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2012/03/07 23:53 |
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