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help RSS 大江健三郎の『沖縄ノート』の記述を巡る訴訟と近世以降の沖縄の歴史から考えたこと

<<   作成日時 : 2008/03/30 17:13   >>

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ノーベル賞受賞作家・大江健三郎氏の著作『沖縄ノート』にある沖縄・座間味島、渡嘉敷島での住民集団自決の記述を巡って、元守備隊長と遺族らが慰謝料・出版差し止めなどを求める損害賠償裁判を起こしていたが大阪地裁は原告の訴えを退けた。裁判の焦点は『集団自決に日本軍の命令・関与はあったのか?』ということであるが、大阪地裁は軍の『深い関与』があったことを認め、軍(軍人)の『直接的な命令』については合理的な推測の範疇にあるというやや曖昧な見解を示した。

訴訟は原告側の控訴によって長期化しそうな流れだが、今回の判決のみから言えるのは、集合的な権力機構である『軍』の間接的な強制性は認めたものの、個別的に軍の権力を分有する軍人(部隊長)の直接的な自決命令までは確認することができないというもので、現状で手に入る史料・証拠(証言)の範囲内では妥当な判決だったのではないかと思う。戦後60年以上が経過した現在において、客観的な命令の有無を確実な形で検証する方法は殆ど無いと言ってよく、元守備隊長の名誉感情の傷つきを歴史的事実の再確認によって補償するのは難しい。軍人側の名誉感情の傷つきの問題と合わせて、沖縄県民の多くが共有する本土防衛の捨石にされたという被害感情と、軍組織全般に対する不信感情を解きほぐすことも容易なことではない。沖縄の歴史を振り返ると、かなり複雑な自主的ではないアイデンティティの変更を繰り返し強いられてきたことが分かるが、そこに実質的な回復しがたい人的被害・心的外傷が関わってきたのが沖縄戦(戦後の戦略的な位置づけ)であった。

沖縄(琉球)は、江戸時代初期に薩摩藩(島津氏)の侵略による間接統治を受ける以前は、独自の文化と歴史・建国神話を有する独立国(尚氏王朝の琉球王国)であり、中国大陸の清王朝と朝貢貿易を行う冊封国(さくほうこく)としての国家アイデンティティも持っていた。正確には、尚氏の琉球王朝時代は幕末まで続くのだが、明治維新後の廃藩置県の一連の流れの中で琉球王朝は廃絶されることになり、『琉球藩(1872)→鹿児島県の一部(1879)→沖縄県(1879)』へと沖縄は政治的に再編されていく。日本が中央集権的な近代国家として確立する過程において、日本(薩摩藩)と清の二重の間接統治(薩摩藩による貿易利益や砂糖の搾取・中華的な冊封体制への編入)を受けていた琉球王国は、強制的に日本の一部として組み込まれていった。

薩摩藩が侵攻してくる以前の沖縄(琉球)も、言語文化的には確かに日本本土との一定の親近性を有していたが、明・清から冊封を受けていたこともあり政治的にはどちらかというと中華文明圏に接近していた。尚氏が統治する琉球王朝は敢えて日本と中国のどちらか一方に完全に服属することなく、日本の幕府からは距離を置き、中国の王朝(清・明)には形式的に服属して朝貢貿易の莫大な利益を得ていた。『尚(しょう)』という中国風の姓は、15世紀に三山統一(1429)を達成し第一尚氏王朝を創設した尚巴志(しょうはし)が自発的に名乗ったものであり(それまで琉球人は姓を持たなかった)、その意味では琉球王国は中華文明圏に自ら進んで参加したことになるが、それは当時の朝貢貿易と中国が庇護者(宗主)となる安全保障体制に相当な旨みがあったからである。現在では、『沖縄』という呼称で統一されているが、『琉球』というのも元々琉球の現地人による自称ではなく中国王朝が沖縄一帯を呼び示す時に用いていた名前であるようで、沖縄のことを『大琉球』、台湾のことを『小琉球』と呼んでいた。

明治政府の国策によって沖縄県へと行政区画が変更されるまでは、琉球王国の人たちは当然日本人としてのアイデンティティも中国人としてのアイデンティティも持っていなかったが、天皇を元首とする国民国家体制に急速に組み入れられていったことに対する動揺や困惑はやはり大きかったのではないかと思う。国民国家への強制的な組み入れという意味では、北の北海道におけるアイヌ民族の同化政策や内陸部の開拓時代も類似した要素を持つ。明治以降に、日本の北方と南方の極において、国民アイデンティティの急速な獲得を迫られた人たちがいるという歴史を現代人はつい見逃しがちであるが、近代国家日本の成立の歴史と沖縄の地上戦の歴史を完全に切り離して考えることはやはり難しい。沖縄での苛烈な戦闘がなく本土決戦が直接的に行われていたのであれば、あるいは米軍基地が沖縄に恒常的に駐留していないのであれば、今とは異なる歴史風景と沖縄の県民感情があったのかもしれないが、近代以降の歴史が沖縄に強いた悲劇と悲しみの重圧は余りに大きいと言わざるを得ない。

『日本国民』というアイデンティティを持ったのが明治政府の成立以降というのは、日本のどの地域(藩)でも事情は一緒なのだが、『天皇の歴史的権威』に象徴される日本の政治権力の正統性と沖縄の尚氏政権や北海道の先住民との間には相当に遠い距離があった。そもそも記紀の建国神話を日本と沖縄は共有していなかったので、軍事力無しの沖縄(琉球)の自発的帰属は当時(幕末〜明治初期)では有り得なかっただろう。明治以降の教育制度の影響もあり、沖縄県民の日本人アイデンティティは段階的に形成されていき本土との文化的・政治的同質性も高まったが、沖縄は近代において軍事活動・政策的判断による負担と犠牲を受け続けることになった。沖縄は太平洋戦争において、日本の国土で唯一、本格的(絶望的)な地上戦をアメリカ軍と戦うことになったが、この悲壮感に満ちた戦闘が残した爪痕は現在の沖縄の在日米軍基地の問題まで長く続いている。

膨大な犠牲者を出したアメリカ軍との地上戦で沖縄が受けた政治的・軍事的トラウマは極めて深く、軍(軍人)による直接的命令の有無を別にしても、沖縄県民の集団自決は近代日本の歴史と教育に真摯な内省を迫るものではないかと思う。仮に、軍による自決の強制(積極的命令などの関与)が無かったとしても、学校教育や政治的指導によって敗色濃厚となれば降伏するよりも自決することが望ましいという教育訓戒が行われていたのであれば、後世において同じ政策・教育を繰り返さない形で歴史の教訓としなければならない。それらから得た歴史の具体的な成果が『国民主権・基本的人権・平和主義』の基本原則であるが、これは日本国憲法の理念や極端過ぎる平和主義(無抵抗主義)と直接的に結びつけないとしても重要な政治原則ではないかと考える。

日本国憲法に賛同するか否かを問わず、現代の民主国家が最低限守るべき原則は、国民主権を個人単位で保障する役割を果たす自由主義・個人主義であり、犯罪における刑罰以外は特定の行為や思想を強制的に押し付けられないということは日本では常識的であるように思えるが、世界でも稀な非常に貴重な社会原理だろう。その結果として、『〜してはいけない・〜したほうが良い』という善悪の規範性は刑法・道徳教育によって国家(政府)が主張できるが、『絶対に〜せよ・〜しなければ処罰する』という行動の強制性は刑罰・納税・子どもの教育(保護)など限られた領域でしか発動することが出来なくなっているとも言える。国家は国民個人に具体的な行動の命令や価値観の強制をすることが原則的に出来ないという自由主義社会では、確かに規範意識やモラルの低下などの問題も指摘されるが、それらを非暴力的(了解的)に教えるのが教育本来の役割・親としての責任だと言えるし、礼儀(マナー)や道徳(善悪観)、常識はそもそも国家権力の威圧によって無理やりに教えられるべきものではない。

戦後数十年にわたって沖縄はアメリカの占領統治下におかれ、沖縄返還(本土復帰)が実現した1972年以降も、東アジアにおける地政学的な重要性から沖縄県は米軍駐留の軍事的負担を背負わされ続けている。沖縄の在日米軍の問題は太平洋全域のパワーバランスと関係しているため抜本的な解決策がなかなか見えてこないが、軍事的圧力や外部の思惑によって沖縄やその周辺部が長きにわたって受け続けている負担と重圧をどうすれば緩和していけるのだろうか。

大江健三郎の『沖縄ノート』の訴訟の問題からかなり脱線したが、太平洋戦争(沖縄戦)の集団自決の問題も、沖縄が歩んできた近世以降の苦難の歴史の文脈と切り離せないものであるし、この裁判の焦点とは別に『集団・軍事が個(地域)にもたらす逃れがたい強制性』というものに国民ひとりひとりが自覚的でなければならない気がする。個人としての人間は大きな集団組織(制度的・文化的な強制力)の前では非常に無力なものだからこそ、国家の基本理念としての民主主義や自由主義の前提が非常に大切になってくるのだが、その前提を長期的に持続させるためには『個(各地域)としての責任感・自律性の強度』が問われてくることになる。沖縄の歴史の苦難の多くは外部からの政治的・時代的強制に大きく由来しているのだが、沖縄という部分を包括する日本という全体(国家)もまた、国際社会(世界経済)・東アジア世界・アメリカという外部からくる強制的な条件・利害関係とのバランスに苦慮し続けている。







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沖縄文化論―忘れられた日本 (中公文庫)
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