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help リーダーに追加 RSS 宮城谷昌光『管仲 上下巻』の書評1:“管鮑の交わり”が象徴する永遠不滅の友愛のイデア

<<   作成日時 : 2008/02/23 04:42   >>

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紀元前8〜7世紀を生きた管仲(かんちゅう)は斉の桓公を中国大陸の覇者にした名宰相であるが、管仲が歴史に不朽の名を刻めたのは親友・鮑叔(ほうしゅく)の長年月にわたる支援があったお陰である。管仲と鮑叔の不滅の友情から派生した故事成語に『管鮑の交わり(かんぽうのまじわり)』という言葉があるが、本書『管仲』は古代中国の春秋時代に芽生えた管鮑の交わりを中心軸として、管仲の「憂暗」から「栄達」への人生の見事な転換を描ききっている。管仲も鮑叔も、中国全土を統べる周王の権威が衰退し始めた紀元前7世紀に生きた士大夫であり、儒教の始祖である孔子よりも古い時代の人物である。

中国の春秋時代には、日本は未だ縄文時代の石器文明の最中にあったが、古代中国の周王室というのは日本の天皇家と非常に良く似た存在であり、権威的な礼に基づく封建制度によって中国大陸を統治していた。殷(商)の紂王(ちゅうおう)を「牧野の戦い」で放伐した周の武王によって周王朝(B.C.11世紀-B.C.256)は建設されたが、天子として君臨した周王の権威は周の軍事的影響力の衰退と共に弱まり、諸侯が周王の命令を無視して群雄割拠するようになった。酒色に溺れた周の幽王の時代(B.C.771年)に、周王室は異民族の犬戎(けんじゅう)に追われて、首都を鎬京(こうけい)から洛陽(洛邑)へと東遷する。洛邑を首都にするようになった東周の時代から、周の中国全土に対する権威は急速に衰退し始めることになるが、小説『管仲』は周王室が斜陽に入り始めた時期の物語である。

本書『管仲』の底部に一貫して流れるテーマは、『人間の人生の明暗の分かれ目』と言って良く、人間の人生の明暗と幸不幸が『偶発的な人との出会い』によって決まることを幾つものエピソードを通して示唆している。『管仲』は歴史小説であると同時に恋愛小説でもあり、最愛の女と別れた管仲の孤独と虚無を慰撫する存在として梁娃(りょうあい)という美しい商人の女(むすめ)が描かれ、無謀な武勇にはやる性質のある鮑叔を安定させるかのように需叔(じゅしゅく)という妻が現れる。需叔という類稀な美貌を持つ女性は、無頼の気質のある鄭(てい)の太子から鮑叔に下賜されたのだが、当時最も繁栄していた鄭国の太子である忽(昭公)は、鮑叔に強い好意と信頼を寄せて自らの家臣にしたいと考えた。需叔の弟の需垣(じゅえん)は、管仲に生涯の忠誠を誓う股肱の臣となるが、管仲の周囲にあって管仲の人生に光を投げかけた人間の多くは、鮑叔を介在して関係を持つことになったのである。

『鮑叔無くして管仲無し』という時、単純に、親友の鮑叔が管仲を斉の桓公に推薦したというだけではなく、虚無主義的な諦観に沈み込もうとする管仲を、鮑叔をハブとしてリンクした人々が無言のうちに支えたということがある。性格に陰が無く闊達としたところのある鮑叔の最大の魅力は『誰からも好かれる』ということであり、鮑叔を凌ぐ最高の知性・思想を持つ管仲の弱点は『人によって好かれるか嫌われるかの落差が激しい』ということであった。管仲の前半生の苦難の多くは、管仲の才能を認めてくれる君主や卿が居なかったことにあり、管仲の後半生の活躍は、管仲の抜群の知性を鮑叔が認め続け、管仲の代わりに鮑叔がそれを推挙したことにある。管仲は天下を左右するほどの才気の持ち主であったが、鄭の昭公(太子曼伯=忽)からはその存在を疎んじられ、魯の荘公からはその才覚を不当に軽視された。

鄭の太子・曼伯(忽)は、鮑叔の武勇と才略は高く評価したが『(管仲とは無関係な)管叔鮮の謀反の故事』を嫌って管仲の才能を認めることは無かった。魯の荘公も、公子糾を失脚させた召忽の器量よりも管仲の器量を低く評価して、管仲を不吉をもたらす者として遠ざけようとした。管仲は斉の桓公に厚遇されるまで、自己の才覚と理念を縦横に振るえる『場』を与えられることが無かったが、それは管仲自身が『人との出会い』を積極的に求めなかったということも関係している。

世俗への適合性が高い鮑叔は『人の可能性』を最大限に大きく見積もっていたが、厭世的な憂愁のある管仲は『人の可能性』に限界を見ており、『天の普遍的な摂理』に基づいたビジョンを描いていた。他者に抜きん出た優秀な才能と計画を持ちながらも、管仲が諸侯に認められにくい背景には『人間(俗世)そのものへの関心の乏しさ』『悲観的な人間の背負う暗さ』があった。小説『管仲』では、人間としての管仲の弱さと未熟さを絶妙な筆致で描き出しており、管仲の歴史的評価からだけでは決して窺うことの出来ない『管仲の人間性』を創作の中で蘇らせている。

広大な中国大陸全土にその名声を響かせた斉の宰相・管仲であるが、この小説の中で書かれる青年の管仲は、好きな許婚の女性・季燕(きえん)に見捨てられて自殺を考えるほどに弱りこみ、自分の能力を認められないことで人生の前途を悲観するというような人間臭さを隠しきれない小さな存在である。管仲の虚無的な精神の歪曲は『母親の愛情を得られなかったこと』『恋人の季燕と別れること』によって生まれたが、前途を閉ざされたように感じた管仲は『未来の季燕との生活』に僅かな望みを賭けて別れることを決意した。敬愛する父を失った管仲は、放蕩な兄に家の財産を潰され、兄をかばう母に冷淡な仕打ちを受けたが、兄の死後に零落した家計の中で母・弟を扶養することになり、季燕との婚約を解消せざるを得ない状況に追い込まれた。



――天に試されている。

ふと、そう感じた。父を喪ってから管仲を理解し、愛してくれたのは、季燕ただひとりである。士はおのれを知ってくれた者のために死んでも悔いはない、といわれるが、管仲は季燕のために死んでも良いと覚悟した。男の愛とはそういうものである。が、愛する者をおのれの死の道づれにすべきではない。この場合、ほんとうの愛の表現とは、季燕を生かし、幸福にするために、管仲が死ぬべきなのである。ここで季燕の心身を自身の中におさめてしまうと、多分季燕を殺して自分が生きることになってしまう。この感覚は管仲にしかわからぬであろう。男と女とは、そういう相克の関係ではないところで、共通な夢を描くのが正しいありかたではないのか。季燕の愁傷に負けると、かえって季燕を失う。ここでうけとめた季燕は幻想であり、実像は未来にある。管仲は自分の愛しかたが天に通ずることを祷りつつ、手をはなした。

――自分にとって、明日とは、どういう意義があるというのか。

管仲は歩いた。歩いた自分を嫌悪した。季燕を失っても、自分は生きつづけるであろう。それが不純であった。地面が痛かった。

歩きつづけていくうちに、天の広さに気づいた。晴れわたった天で、ひとつの雲もなかった。目をあげると、また涙がながれた。

――天とは広大な哀しみであるのか。

管仲は天を仰ぎつづけた。そのうち、季燕の幸福を祷るだけの人生でもよいではないか、とふとおもった。この心にいつわりがなく、わずかでも人の役に立つような生きかたをすれば、天のあわれみにふれることができよう。

『管仲 上巻』のp60,p67より引用



仕官(就職)に目途の立たない管仲は、季燕に『三年間、待って欲しい』と懇願するが、15歳で結婚することが当然と考えられた古代中国で、18歳の季燕が静かに待ち続けるには三年の月日は余りに長過ぎた。待たせられれば必ず別の男と結婚することになると確信していた季燕は、管仲に自分を連れて逃げることを訴えるが、管仲は不幸な結末になることが分かっている駆け落ちに賛同することは出来なかった。『天に試されている』と慨嘆して自分の運命を呪った管仲は、普段の冷静沈着さを失い、天を睨みつけて地を踏み鳴らし泣き喚いた。季燕の未来を殺して無力な自分の慰めとする駆け落ちだけは選択できず、三年間の時間を自らに与えてくれるように天に祈念したがその痛切な思いは届くことはなかった。家族に恵まれなかった管仲は、自らの孤独と悲哀を唯一理解してくれた季燕を失い絶望の深淵に沈み込んだ。

時に、三年の月日を待ってくれなかった季燕のことを恨んだりもしたが、本心では、天下無双の学識と才智を讃えられながらも、愛する女性さえ守れない自己の現状の無力さと弱さを嫌悪していたのであった。貧困と虚無の中で管仲の精神は退廃的になり生きる目的を見失いつつあったが、管仲の叡智と理性に再び生気を吹き込んだのは『鮑叔の友愛』であり、元々余人に抜きん出た器量を持っていた管仲は虚無的な世界観の中から『創造的な人生への構え』を生み出した。

管仲は、鮑叔を起点とした人間関係のネットワークの中で、自分自身の人生は自分以外の何ものにも変えることが出来ないという真理に到達し、自分から離れた季燕を責める未練の無意味さを悟った。仏教の真理とも通底する『会者定離の真理』を体験的に感得した管仲は、自分の運命や他人の行動を嘆き悲しむことを止めて、『天佑をもたらせる生き方』に己の才智と努力の全てを注ぎ込むことにした。古代中国で最高の頭脳と思想を持つと賞賛された管仲が、自分の個人的な不幸に打ち負かされて『死蔵していた知識』を天下国家の繁栄と自己の理想のために実践的に活かし始めた……その時に、管仲自身の人生だけではなく春秋時代の歴史という巨大な構築物が静かに方向転換を始めたのである。

親友の鮑叔が不遇な時期の管仲にしたことを一言で要約してしまえば、『お前の抜群の才能と知性の凄さを俺は十分に知っているから諦めるのはまだ早い』と何度も繰り返し言い続けたことであり、管仲の消え入りそうな『生存への意欲』を管仲への無上の敬意を示すことで鼓舞したのである。他者に好意を寄せられその才覚を認められることの多い鮑叔は、管仲に対して親友以上の師に対するような礼遇を取り、他者に認めらにくい管仲の人格と知性を腐らせずに成長させ続けることに成功した。自分の人生のネガティブな暗さを振り切れず、別れた異性への思いを恋々と引きずる管仲を明るく陽気に照らし続けた鮑叔は、管仲を雌伏する臥龍と見なしており、遠い未来において必ず頭角を現すと疑いなく信じていた。管仲が人間としての弱さや個人的な不幸に押しつぶされて、無為徒食のままに人生を終えるはずなどないという信念と期待が鮑叔にはあり、自分に出来るだけのことをして、何とか管仲が縦横無尽に活躍できる場を与えてやりたいと思っていた。

なぜ、鮑叔が自己犠牲を払うほどに深く管仲に敬愛の念を抱き続けたのかを史実は語ってくれないが、小説『管仲』では、管仲が自信家であった鮑叔の自己愛を打ち砕き、鮑叔に『自分の目指すべき理想の極地』を示唆したことが管仲への尊敬の始まりとなっている。周都・洛邑で学問を教えていた管仲と出会ったことにより、鮑叔は初めて自分の知性や器量を超える圧倒的な存在を目の前にし、自分が今まで生きてきた世界の矮小さと自己の能力の限界を知るに至った。『小さな世界』での自足で終わりかけていた自己の人生が、想像を絶する大器である管仲との出会いによって、『大きな世界(中国全体)への可能性』へと開かれた……この衝撃的な管仲との邂逅によって、鮑叔と管仲との間の友情は永続的な紐帯として結ばれることになった。

管仲は鮑叔に自分にはない『人格上の美質』を見出して尊敬し、鮑叔は管仲に自分にはない『圧倒的な才能』を見出して尊敬し、お互いに相手がどんな境遇や立場にあろうと軽んじることがなかった。鮑叔の人格上の美質は仁徳へと昇華され、遂に自分自身と公子小白の夢(野心)を打ち砕こうとした管仲を許し、管仲を自分以上の重臣として重用することを小白(桓公)に勧めた。公子諸兒・公子糾・公子小白が斉の君主の座を争う競争で、知略の管仲・武威の召忽が公子糾を教育し、勇気と知性のバランスの取れた鮑叔が公子小白を補佐したが、暴君の襄公(公子諸兒)が自滅した後に、天命が味方したのは公子糾ではなく公子小白(桓公)であった。兄の公子糾と弟の公子小白はどちらが斉の太守(君主)になってもおかしくはなかったが、首都・臨シに行くことに不安を覚えて自分の才徳に自信を持てない公子小白を、鮑叔が無理やりに車に乗せなければ公子小白が斉の桓公として偉業を達成することは無かったであろう。

公子小白は、公子糾を支持する管仲の比類なき知性と召忽の並ぶものなき武芸を恐れていたが、公子小白に付き添う鮑叔だけが斉人の世論を味方につけた公子小白の優位(勝利)を確信していたのである。鮑叔は決断力と行動力においては管仲を一枚上回る士であり、『――天は、恐れなければならないが、人は一生の中で一度、天に問うときがある』と乾坤一擲の覚悟を決めた時の行動は迅速を極めた。



『兄は魯軍に護られて帰国し、君主の位に就くであろう。しかも管仲には知恵があり、召忽には武勇がある。とても斉へはいれそうにない』

『管仲がその知恵を国内に働かすことができれば、国は乱れることはないのですが、管仲はその地位にはいないし、召忽の武勇だけで、何ができるというのです』と公子小白をはげました。だが、公子小白は起つのをためらった。

『管仲が知恵を働かすことができないにしても、管仲に知恵がないわけではない。召忽が多数の兵を率いることができないにしても、かれの友人がわたしを伐つかもしれぬ』

公子小白の展望は悲観に閉ざされてゆく。しかしながら、ここを天与の機と全身で感じている鮑叔は、公子小白の恐怖にみちた心情を斟酌(しんしゃく)しなかった。公子糾が即位してから弟を招いてくれる、などというのは、まさに妄想である。

『国が乱れてしまうと、いかなる知者でも治めきれないのです。朋友でも協力することができません。それゆえにあなたさまが徳をもって計画を実行することができるのです』

もはや問答無用といわんばかりに鮑叔は馬車を用意させて、公子小白の背と尻を押して馬車に乗せ、自身が手綱をとった。従う家臣は四十人という寡さ(すくなさ)である。

―この寡兵で斉を取るのか。

公子小白はおのれのみすぼらしさを嗤った。


『管仲 下巻』のp208より引用



長い屈辱と忍耐の時を亡命した異国の地で過ごした公子小白は、未来の政局を正しく予見した鮑叔によって斉の諸侯の地位を手に入れ、中国東方における覇権を確立することに成功する。最終的に、斉の桓公の宰相となり国政を取り仕切ったのは鮑叔ではなく管仲であるが、斉の桓公の人徳の基礎を鮑叔が教育し、その徳性の素養を大輪の花として咲かせたのが管仲であると言える。相補的な『管鮑の交わり』の精華として、斉の桓公は春秋の五覇の代表となるような事績を残したが、小説『管仲』では一人の人間としての管仲が絶望からの再生を果たす過程、鮑叔の持つ比類なき友愛の発露が生き生きと再現されていて、管仲や鮑叔を知らない人でも十分に楽しめる内容となっている。


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