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過去の記事では、多産多死の前近代的社会と少産少死の近代社会における妊娠出産にまつわる『養育責任の重圧感の違い』に焦点を合わせました。現代の日本社会では、若年夫婦が子どもを産み育てることを賞賛していますし政治的な少子化対策にも国民の関心が集まっていますが、『児童虐待・育児放棄(ネグレクト)・親の責任感や社会的スキルの欠如』が大きな問題となっています。政府が一旦打ち出そうとして辞めた親業マニュアルにしても、『標準的な育児方法のテンプレート(雛形)』を示すことで、(内容には、多少時代に適合しない部分もありましたが)初めて育児に臨む不安の多い若い夫婦たちを支援しようというものだと思います。 現代社会は、本格的にライフスタイルのパーソナライズ(個人化)が進む情報化社会へ一歩を踏み入れていますが、法律・教育・制度・常識の大半は産業革命後の工業労働モデル(規律訓練型モデル)に従って設計されています。規律訓練型モデルとは、『平均的な行動様式・標準的な価値認識・適応的な認知傾向』を学校教育の中で教え込むことで、遵法精神(共通の規範感覚を持つ国民育成)や経済的自立(社会適応)を進めていこうとする社会モデルです。多くの人が第二次産業分野の正社員になり、モデル世帯(働く夫・家事をする妻・その子からなる核家族世帯)を形成した高度経済成長期には、規律訓練型モデルと地域社会(企業社会)のコミュニティが相互作用してかなり上手く機能しました。 端的には、義務教育課程と地域社会の人間関係が現在ほどには疲弊・衰退していなかったということですが、(他人の私生活や価値観に干渉することが強く敬遠される)個人主義の情報化社会の中では、学校教育と地域社会(伝統的慣習)の影響力は必然的に弱まっていきます。個人のプライバシーや学校へ行くか行かないかを決める子どもの自由が強まることは、相対的なメリットも多いですが、個人個人の常識感覚のズレや基本知識の格差が大きくなるという問題点もあります。 深刻ないじめや重篤な病気(障害)など特別な理由があれば、義務教育段階の学校に行かない(他の学校に転校する・専門的な療育が受けられる学校に行く)という選択肢があってもいいと思いますが、『勉強したくないから学校に行かない』とか『親が学校に行かなくていいと言っているから行かない』とかいった子どもの未来の利益を損なう恣意的な理由まで認めることは行き過ぎでしょう。義務教育過程における基本的な生活指導(生徒指導)の目的は、家庭での躾との相乗効果によって『善悪の分別に関する原則的な共通認識(倫理規範)』を培うことにあります。家庭内部での躾だけではどうしても、親の個人的な経験論や主観的な価値観が子どもの教育へ反映されますので、極端に社会常識から偏った考えを持つ親の場合には、十分な善悪の分別や適応的な考え方が出来なくなることがあります。言葉やテキスト(教科書)を用いた生活指導には限界があるので、多種多様なケースに応じた状況判断を身に付けるために、義務教育段階における集団行動の体験や複数の友人とのコミュニケーションも大切なことです。 規律訓練型社会では、良くも悪くも国民の価値観や行動様式に一定の共通性を持たせ、『標準的な人生キャリア・一般的な家族生活』を尊重する国民中流層の厚みを厚くしようとしますので、大枠において他人と同じ行動や考え方をする人が多くなります。悪く言えば、相互監視的な村八分の論理がまかり通りやすいということでもありますが、良く言えば、非常識な行動や間違った育児の方法に対してわざわざ親切にアドバイスや注意をしてくれる他人が多いということでもあります。子どもの育児における虐待や放置、過保護の問題が深刻化する大きな理由として、『地域社会における各家庭の孤立化(育児に対するゲマインシャフト的な社会資源の不足)』を挙げることも出来るでしょう。 しかし、だからといって、かつてのように隣近所が密接に交流し合うゲマインシャフト(情的共同体)を復興したいと願う人、地域社会の人たちと直接的に協力し合いたいという個人が多いかといえばそうではないでしょうね。現代の日本では、社会学等の識者から正論として『人間関係の希薄化や地域社会の崩壊が、各種の社会問題(家族・親子間の事件)の原因である』といわれることもありますが、大半の人は、ホンネでは伝統社会のような距離感の近い人間関係を取り戻したいとは考えていないと思われます。それほど親しくない他人と関わる機会を出来るだけ減らしたい、自分の家庭やライフスタイルには極力干渉して欲しくない、プライバシーを十分に尊重して自己(内部)と他人(外部)は明確に区別したいという意見のほうが、やはり現代の日本では主流でしょう。それ故に、児童虐待(育児放棄含む)、育児ノイローゼ(育児によるストレス性障害)、配偶者間のDV(ドメスティックバイオレンス)、親子間の家庭内暴力、恋人間の情緒的な対立による暴力は、外部世界から切断されて『密室化・隠蔽化・自己責任化』されやすくなります。 実際問題として、他人の家庭や育児の問題に(言葉だけであっても)干渉するというのは相当に勇気が要ることであり、自分の誤解や勘違いによって恥をかいたり逆に相手から非難されたりすることを覚悟しなければなりません。特に、居住地域が近くて少しでも顔見知りである場合には、正当な意見であっても自分が相手に注意や苦言をしたことで、相手から逆恨みされてご近所トラブルの泥沼に引きずり込まれる恐れもあります。人は基本的に『状況や態度から考えて、真っ当な話が通じそうにない相手』とは距離を置こうとしますし、地域社会の連帯が崩壊している現状では、自分一人で問題のある家庭や個人に改善を促す注意や苦情を言うことは結構強いストレスが伴うことですね。児童虐待の場合にも子どもが死亡するようなケースでは、近所の人たちは多かれ少なかれ、その家庭の子育ての仕方や躾の方法の異常性に勘付いていますが、どのラインから警察や児童相談所に通報すべきなのかの判断に迷って二の足を踏むことが多いでしょう。 最近では、虐待事案に対する児童相談所(福祉事務所)の対応も、親権の一時停止(児童の一時保護)を含めた『児童の安全確保』を最優先する方向に変わってきていますが、虐待の疑いが強くある家庭への立入調査(必ず子どもと直接的に対面する面接調査)の権限は法的に担保すべきでしょうね。警察機関の民事不介入の原則は法治国家では重要なものですが、児童虐待やDVなど家庭問題のケースワークを行う福祉機関の職員には、客観的な事情の聴取と児童の心身の観察を目的とした立入調査の権限が必要でしょう。 家宅の中まで強制的に踏み込む権限を与えるか否かは別としても、児童虐待やDVの嫌疑が濃厚であれば、家族全員に玄関口まで出てきてもらって身体的外傷や精神的動揺がないかどうかなどを観察・聴取できるようにし、外傷や意識障害があったり恐怖反応などが強ければ即座に一時保護できる権限はあったほうがいいと思います。 子どもや配偶者の一時保護によって実際的に失われるものは殆どないのですから、相手に遠慮しなくて良い保護施設で冷静になってもらって事情を再度聞くという意味でも、身体的・精神的な外傷の危険があれば一時保護すべきでしょう。しかし、確実な被害者の安全確保や救済支援という意味では、家庭内部の問題以上に恋人間(男女間)での問題のほうが効果的な対応が難しいでしょうね。付き合ってそれほど長い期間が経ってないカップルの間でも、別れ話を切り出した時に、恋愛関係の維持に強く執着する相手から殺害されてしまう事件が多く起こっています。長くなったので、DVや恋人間暴力につながる共依存的な問題は次の記事に分けて書きます。 ■関連URL 『大人の体罰による躾の問題』と『子どもの暴力・衝動性の問題』 福島県の児童虐待事件と大阪府のマンション監禁事件から考える地域社会の衰退と日常生活の不安 ■書籍紹介 子ども家庭支援員マニュアル―地域の子育て支援と児童虐待防止のために
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配偶者間・恋人間のDV(ドメスティック・バイオレンス)と共依存的なパートナー選択の問題
前回の記事では、地域社会のコミュニティの衰退と児童虐待の問題について書きましたが、家庭内問題としてのDV(Domestic Violence)や親密な関係にあるパートナーとの間で起こる恋人間暴力について補足しておきます。通常、DVには配偶者ではない恋人(パートナー)からの暴力も含みますが、配偶者間や恋人間の感情的なトラブル(別離・結婚・金銭・浮気などを巡るトラブル)が元となって、室内や車内で相手に激しい暴力を振るうという事件は毎年頻繁に起こります。こういった親密な人間関係の中で突発的に起こ... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/05/26 18:19 |
個人主義的なプライバシーの尊重と結婚制度を巡る認識の多様化:コミュニティの社会的圧力の観点から
過去の記事では、現代社会で子どもを持つことの責任や意義について触れましたが、現代社会では『育児の喜び・育児の負担・家庭(夫婦)の安定・経済生活の安定』のバランスが崩れているところに種々の問題が起こってきている印象があります。未婚化・晩婚化・核家族化が進み子どもを産み育てることが必ずしも標準的な人生の課題でなくなりつつある社会では、子どもの出産・育児に対する責任を地域社会や親族・友人で緩やかに分有することが困難になります。大多数の人が近い将来に出産・育児をすることが確実であれば、『相互的依存... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/06/04 04:24 |
児童虐待の問題から考える『家庭(家族)の養育機能・教育機能』と『外部の相談機関・支援制度』の重要性
児童虐待(child abuse)とは『無力な子どもに対する心身両面の暴力・育児放棄・性的搾取』のことであり、児童虐待は子どもの生命・身体の安全を脅かすだけではなく、人間(他者)に対する基本的信頼感を破壊したり自分に対する自尊感情を傷つけたりする。児童虐待の心理的な悪影響は非常に大きなものであり、境界性人格障害や心因性のうつ病、PTSD、自傷癖(リストカット・過量服薬のOD)、社会不安障害、パニック障害(恐慌発作)、解離性障害(離人症)、嗜癖(ドラッグ・アルコール・性行為の依存症)などに虐... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/08/09 13:35 |
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