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『行為の法的責任』を何処に求めるか?の記事で、重篤な精神病などで善悪の判断能力を障害された場合や年齢が成人に満たない場合の道義的責任と社会的責任について考えましたが、自由意志の有無と刑罰の有効性(適法性)の関係というのは非常に難しい問題です。 端的には、行為の結果そのものに対して一律的に責任を負うべきなのか、他行為選択性という個別的な自由意志に対して責任を負うべきなのかという問題になるのですが、現在の各種犯罪報道に対する世論を聞いていると、重大犯罪の加害者については年齢や精神状態を余り考慮せず、『行為の結果』に対して責任を負わせ刑罰を与えるべきだという意見が増えている印象があります。 法的な責任能力という概念装置を軽視して厳罰化を進めることは、心神喪失・心神耗弱の有無を問わず、人間の自由意志が保障している『他行為選択性の倫理』を否定する恐れがあります。人間社会の倫理の根本は、『自分で善悪を判断して行動を自由に選択できる責任能力』にありますから、責任能力に応じた適切な処遇(人権保護だけでなく再犯防止に役立つ刑罰以外の処遇)を調整することが必要になってくると思います。 責任無能力者で、法規範の持つ意義(罪刑法定主義)を理解できず、善悪を分別して行動を選択する能力が完全に欠如しているのであれば、法に基づく罰則の効果を予見できず、死刑や懲役に対する恐怖を抱くこともないのではないかという立場から、犯行時のみに限定された「一時的な心神喪失の存在」に関して否定的な意見もありますが、恒常的な心神喪失と一時的な心神喪失の違いについて、精神科学的にどう解釈して説明できるのかも重要な問題です。 『他の行為を取るという選択の余地が全くなく、原因における自由(薬物やアルコールを摂取して酩酊・錯乱するような自由)もない場合』に犯してしまった他害行為の責任がどのように処理され、どのような処遇(治療・入院・教育・矯正・保護)によって再犯を確実に予防するのかというのが、今後の精神保健行政や触法精神障害者の処遇を決定する司法、具体的な治療や保護を行う精神医療に課せられた課題と言えるでしょう。 現在の責任阻却事由としての心神喪失や刑の減免に関する一般社会の不安や不満は、『本当に、他行為選択の可能性がなかったのだろうか?善悪の分別ができず、行為の結果を予測できず、規範の意味を理解できないという責任無能力状態の精神鑑定は正確に行えるのだろうか?』という点にありますから、司法精神医学を元にした精神鑑定の理論・技法の精密化と正確性も期待されることになると思います。 善悪の弁別が出来ず、規範(法)の意味を理解できず、行動を制御できない行為者を、非難することは無意味であるという段階までは大多数の人が賛同できると思います。疑問の余地のない心身喪失状態にある者に対して非難したり処罰したりすることは、被害者遺族の報復感情の浄化という効果はあるかもしれませんが、合理的に考えると、善悪を判断できず刑罰(死刑・懲役)を恐怖する自我がない重篤性の高い心身喪失に対しての非難や処罰は端的に無意味だとも言えます。 刑法39条に対する根強い批判を正面から反駁する為には、責任無能力者を鑑別する為の科学的な判断基準の信頼性・妥当性を厳密に検証することが必要不可欠となります。また、社会不安や司法への不信を喚起しないような再犯防止と社会復帰のための『治療(入院)・教育(カウンセリング)・矯正(認知行動療法)・評価(効果測定)の体系的プログラム』を確立することが急がれると思います。 2005年7月に施行された心神喪失者等医療観察法(心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律)は、触法精神障害者の処遇を裁判官と(精神神経科)専門医が決めて、その責任を国が負うという法律ですが、精神障害の治療と社会復帰に必要な入院・通院の指示と合わせて、退院後の継続的かつ適切な心身のケア(精神科の地域医療と社会的サポート)の充実が図られています。 心神喪失者等医療観察法の利点は、再犯や自傷他害を事前に抑止する為に、触法精神障害者の治療や教育を放棄するのではなく、精神科治療の効果測定をしながら手厚い医療と継続的なケアを実施して、確実に自傷他害のリスクが低減されてから社会復帰を目指すという点にあります。つまり、触法精神障害者の精神疾患の治療や心理的問題の解決を行い、円滑かつ適応的な社会復帰を目指しながら、再犯に対する社会不安や精神障害者への過剰警戒を解消することを目的としているといえます。 反対に、心神喪失者等医療観察法の問題点としては、精神状態の鑑定や生活履歴(生活状況と犯罪履歴)の調査に不備や不適切があった場合に、本来必要でない『強制入院の長期化』によって行動の自由(身体の自由)という人権が侵害されるという問題があります。 無論、重大犯罪を犯した心身喪失者に対する強制入院の長期化という問題点は、再犯防止の社会防衛を確実なものとするメリットと表裏であり、どの段階まで回復したら社会復帰しても大丈夫なのかという判断は専門医であっても相当に難しいものがあると思います。その為、処遇に対する最終的な責任は個々の精神科医や裁判官ではなく、法制を定めた国家が負うという建前になっています。 触法精神障害者の精神鑑定と処遇の決定は、裁判官1名と裁判所が任命した精神科医1名によって行われますが、精神障害者の人権と自由を最大限守るために精神保健福祉領域の専門家(精神保健参与員)の意見も参考にされます。また、地方裁判所が決定した強制的な入院・通院の処遇に不満や異論がある場合には、2週間以内であれば、高等裁判所へ抗告という不服申し立てを行うことが出来るようになっています。 心神喪失者等医療観察法の施行には批判や反論も多くありましたが、この法律の施行によって改善された部分に注目するならば、不起訴処分や無罪判決を受けた心身喪失者に対する『公正な法的手続き(デュー・プロセス)』の整備と、その法的手続きが確実に執行されていることを被害者が傍聴できる制度(被害者の「知る権利」の保障)を挙げることができるでしょう。 具体的な処遇に関しても、専門的医療を充実させ『措置入院・通院治療・精神保健観察』の方策を必要に応じて使い分けながら、精神状態が悪くなれば通院治療を延長することも可能になっています。再犯可能性に関わる精神鑑定の不確実さという問題は依然残っているものの、心神喪失者の人権保護と再犯防止を両立させようとする努力を心神喪失者等医療観察法の条文から読み取ることは出来ます。 いずれにしても、『精神障害の治療』と『同様の他害行為(再犯)の防止』という原則を守って、『円滑な社会復帰の促進』を進めていくというのが心神喪失等医療観察法の立法趣旨であり、精神保健福祉(触法精神障害者の人権保護)と社会防衛(犯罪の再犯の未然抑止)の目的を両立させることが期待されています。 近代国家の刑法の立法趣旨を考えると、『社会秩序の維持』を目的として『規制的機能・保護的機能・保障的機能』を刑法に持たせることにあるので、そこに『被害者遺族の復讐感情・悲哀感情』をどのように織り込んでいけるのかが問題となり、時代の価値観や社会状況の変化に、国家や刑法がどのように対応していけるのかが問われているのだと思います。 刑法39条の規定は、心神喪失者(心神耗弱者)の人権を保護するという目的だけでなく、道義的責任の原則から考えて、刑罰を科すことが無意味(効果がない)と考えられているために制定されているものです。 よく現代社会の法律や裁判は、加害者に甘く被害者に厳しいということが言われますが、これは、近代法の罪刑法定主義が、国家権力の代理執行者である検察官・警察官の権限を大幅に制限していることと、近代国家の司法はそもそも行政が訴え出てくる量刑(求刑)を審査する権力として位置づけられているからです。 近代国家における司法(裁判所)は、犯罪者(加害者)に最終的な刑罰を宣告する権力であると同時に、行政権力(警察・検察)の捜査・取調べが法的手続きを逸脱していなかったか、求刑の水準が妥当であるかを審査する権力でもあるということです。つまり、三権分立を前提とする民主国家の司法権力は、原則として、被害者の味方でもなければ加害者の味方でもなく、社会秩序を維持するという目的を持って、警察官の捜査と検察官の求刑を元に妥当かつ適切な判決を下す役割を担っていることになります。 その意味では、加害者に被害者同等の苦痛や恐怖、絶望を与えるような復讐原理の代理執行機関(前近代的な司法権力)は、現代社会には存在しないという見方も出来るのですが、冤罪の可能性をゼロに出来ない以上は、『推定無罪の原則』を覆して残虐な刑罰(苦役・身体刑)を科すことは余りに危険性が大きすぎます。司法(裁判所)と行政(警察・検察)を結託させる政治体制を取ることは、三権分立の瓦解を招き翼賛体制下の全体主義(恐怖政治)を意味することになってしまいます。 国家の権力と個人の権利のバランス感覚が重要視される現代社会で、犯罪被害者の復讐感情(あるいは抑うつ的な絶望感・無気力)をどのように慰撫していけるのかということは、根本的な解決が難しいアポリア(難問)として残り続けると思われます。法・倫理・人権・情動(精神機能)の狭間にある不条理や不公正を、物理的な暴力(非合法な権力)を用いずに克服できる方策を探すということは、人間社会にある不幸や屈辱、疾患を撲滅していくような終わりのない悠久の営為を思わせるものがあります。 ■関連URL “心脳一元論における責任能力の曖昧化”と“刑法39条の責任阻却事由の原理的考察” 理性的抑制と本能的欲望が葛藤する脳の構造:『認識能力』と『行動制御』で構成される責任能力 ■書籍紹介 動き出した「医療観察法」を検証する 狂気の偽装 狂気と犯罪―なぜ日本は世界一の精神病国家になったのか 殺人という病―人格障害・脳・鑑定 |
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スティーブン・J・グールド『人間の測りまちがい』の書評3:ロンブローゾの決定論に基づく刑法思想
イタリアの医師チェザーレ・ロンブローゾは、刑法学のテキストに掲載されるほど犯罪心理学に大きな影響をもたらした歴史的人物ですが、ロンブローゾの構想した『犯罪人類学』というのは単純にまとめれば、『犯罪者は、生まれながらに犯罪者としての解剖学的特徴を持つ(サルに先祖返りした身体的特徴を持つ人間が、原始的本能を制御できずに犯罪を犯す)』という生得的犯罪説を肯定するものでした。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/01/14 07:14 |
大泉実成『人格障害をめぐる冒険』の書評:1
司法精神医学に基づく精神鑑定の重要な鑑定事項として、『加害者の法的な責任能力』の判定と『刑罰の適用可能性』の判定があるが、現在の日本の刑法では心神喪失者や心神耗弱者と鑑定されれば刑罰の量刑が減免される可能性が高くなる。私も本書『人格障害をめぐる冒険』を読むかなり前に、過去の幾つかの記事において(最後に挙げる関連URL参照)重篤な精神障害と法的な責任能力の問題について考えてきたが、刑法の責任原理が有効になるためにはその人間に『善悪を判断する自由意志』が存在しなければならない。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2007/07/02 06:30 |
『裁判員制度』の選任方法・設立趣旨と国民を刑事司法に参加させる方法について
来年5月から裁判員制度が実施されることを受けて、最高裁判所が11月28日に各地方裁判所の『裁判員候補者名簿』に載ったことを知らせる『通知書』を全国の約29万5000人に一括送付しました。裁判員候補者名簿に掲載される確率は352分の1でかなり高いものであり、一生涯に一度くらいは誰もが(最終的に裁判員に選任されるかどうかはともかく)候補者名簿には載るのではないかと推測されます。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2008/12/01 12:46 |
“名古屋・闇サイト事件”の判決から考えたこと:償いようがない罪の重さと罪の意識の欠如の間にある落差
『闇サイト殺人事件』の被告3人に対して、名古屋地裁は自首した1人(川岸健治)を無期懲役、2人(神田司,堀慶末)を死刑という判決を下した。被害者となった女性は1人であり、永山基準の確立(被害者1人の事件には原則として死刑を適用しない)以降の判例に鑑みれば、死刑判決は重いと言えるだろう。裁判員制度を控えて厳罰化を求める世論が大きくなる中で、利己的かつ情状酌量の余地を見出させない本件のような重大犯罪に死刑を言い渡した意義は大きい。1人が無期懲役になったことを甘いとする批判もあるが、『自首による減... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/03/22 03:18 |
個人の“自由な選択・主体的な判断”はどこまで可能か?:好感度・選択を促進する潜在的な知覚体験
前回の記事の続きになりますが、単純呈示効果にはサブリミナル効果も含まれており、『見たことがある・聞いたことがある・外見や顔を知っているという自覚・実感』がなくても、瞬間的に知覚したことのある対象に対して好感度・選好性(選びやすさ)が上がりやすくなるのです。これを『閾下単純呈示効果』といいますが、クンスト‐ウィルソンとザイオンスのプライミング効果の実験によって、この閾下単純呈示効果の存在が確認されています。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2011/05/19 08:13 |
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