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help RSS プラトンの『国家』と儒教の『論語』に見る徳治主義の原型とギリシア精神の結実としての『哲学』

<<   作成日時 : 2006/10/02 14:47   >>

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前回の記事で、古代ギリシアの民主主義理念とギリシア神話に並ぶ文化的遺産として、世界の普遍的原理や科学的な一般法則を探究する理性的な哲学を挙げたので、古代ギリシア哲学の歴史を簡単に振り返ってみようと思う。

古代ギリシア哲学の個別の哲学者の思想や理論、生涯を見ていく余裕はないが、多神教の神々が情感豊かに活躍するギリシア神話の世界観に加えて、理性的な本質探究の哲学が生まれるのは、紀元前6世紀頃のことである。

狩猟採集段階にある未開社会と区別される都市的な文明社会の構築という意味では、ポリスを政治単位とするギリシア文明が隆盛する以前に、エジプト文明やメソポタミア文明の繁栄があった。その意味では、強大な政治権力の確立に基づく社会運営と芸術・文学・建築技術など文化活動に関しては、古代ギリシアの人々は、参考にすべき多くの周辺文化の興亡と各種技術の歴史的遺産があったのである。

ギリシア以前の当時の先進文明圏にも、自然崇拝的なアニミズムや共同体を統率する為の宗教原理などは存在したが、そこに働いていたのは、『理性的思考』ではなく『感性的信仰』であったし、迷信や神話の域を十分に抜け出た哲学としての知的営為は殆どなかった。

『万物の根源(アルケー)は水である』と説き、ピラミッドの高さの測定や皆既日食の予言を行ったターレス(B.C.624-B.C.546)を始祖とするイオニア自然学派が登場した。ターレスからアナクシマンドロス、アナクシメネスへと連なるイオニア自然学派の哲学者は、自然世界を対象化して観察することによって、自然現象を支配する根本原理(アルケー)を発見しようとしたのである。

数学の始祖とも言われるピタゴラス(B.C.582-B.C.497)は、『ピタゴラスの定理』を発見し『万物の根源は数である』として、数学的な法則や幾何学的な秩序に世界の普遍的原理を見出した。
『この世界には、誰にでも通用する普遍的原理がある』と考えた点で、イオニアの自然哲学者と数理的真理の信奉者ピタゴラスは似ているが、自然哲学者は客観的に観察可能な自然の事物に原理性を求めたのに対し、ピタゴラスは論理規則に基づく抽象的な数の規則に真理性を見出した点が異なる。

西欧文明社会にもたらした古代ギリシア哲学の重要な影響は、『自然現象の背後には、それを支配する一般法則(根本原理)が存在している』という科学的精神の発露であり、ソクラテスやプラトンに至っては『政治行為における善性と正義』を共同体倫理を超えたロゴス(言語・理性)の次元で語ったという功績がある。

『人間は、如何に生きるべきか』という倫理学的な普遍性の高い問いを立てたソクラテスは、『人間は真・善・美を目指して知行合一で生きるべきだ』と簡潔に答え、自らもその倫理規範に従って人生をまっとうした。

『ソクラテスほどの知者はなし』というデルポイの神託を受けたソクラテスは、表層的な知恵とアドホックな弁論を振りかざすソフィスト(職業教師)達を、産婆法と呼ばれる独自の弁証法的な対話で論駁していったという。産婆法という問答は、市井の知識人を自称するソフィストに、『無知の知』を洞察させる為の方便だったとも言われるが、ソクラテスは自分自身もアガトン(善)に関する徳と結合した知識を持たないことを深く自覚していた。

ソクラテスの知とは、正義・勇気・節制・禁欲・礼節・智慧という道徳的諸徳の源泉となるアガトン(善)についての知であり、また『知る事』が『実践する事』と同一化していなければ真に知ったことにならないと考えていた。理論と実践の一致、道徳的諸徳の源泉であるアガトン(善)の知識と実践の一体化が『知行合一』である。

しかし、紀元前399年に、国家の公認する神々を崇拝せず、新奇なダイモンを崇敬して、若者達を堕落させた罪(不敬罪)によって、アテナイの民会でメレトスやアニュトスら民主派の告発により死刑を宣告される。実際には、自分を優れた知識人や一廉の人物と思い込んでいる人々の自尊心を鋭利かつ適切な反駁で打ち砕き、多くの反発や不満を買っていたことが死刑判決の原因であったとも言われる。

ソクラテスの思いも掛けない死刑判決はソクラテスの弟子・門人達には到底納得できるものではなかったが、ソクラテスは投獄後に出来うる限りの論理的な『弁明』を尽くした後に泰然として毒ニンジン(パルマコン)の杯を呷り最期を迎えたとされる。一般的には、『悪法と雖も法なり』という社会秩序を維持する法治主義の精神を体現するとされるエピソードであるが、共同体と個人の運命が一体化していた時代の道徳観の限界を示すエピソードとして読む事もできる。

理性的な言語(logos)によって定められたポリス(共同体)の法規範と正式な民主的手続きに則った法の運用は、当時においては、(民衆が考える)普遍的な善(アガトン)の表れとしての性質を持っていた。ソクラテスは『より善き生の探究』において都市国家アテナイが下した死刑を甘受することで、自身が信じる善と正義にその生命を捧げ、アテナイ市民に理性的な啓蒙を促したと見ることが出来る。

ソクラテスの弟子のプラトンは、卓越したソクラテスのような真の知性を持つ哲学者(為政者)が、衆愚政治の不当なドクサ(臆見)と糾弾によって処刑される民主主義の政治体制を不完全なものであると考え、共同体の法規範や多数決よりも上位の普遍的な善(アガトン)を『イデア界』の元型に求めた。

プラトンが構想した政治哲学で最も嫌悪されているのが、『民衆の数の論理』で正論や真理が捻じ曲げられる衆愚政治であり、プラトンは哲人政治というある種の専制的な君主政治と身分制的な階層社会を理想とした。プラトンの哲人政治の特異性は、哲人という支配者階級には一切の物理的利権や経済的特権が存在せず、支配者階級である哲人や軍人には、禁欲的な無私無欲の僧侶のような日常生活が要請されることである。

つまり、プラトンの政治思想の世界では、身分制を上位に上がれば上がるほど、精神的な徳性や人格が高くなるが、精神性の上昇と反比例して、個人的な欲望や性的な欲求は弱くなると仮定されているのである。哲人政治が理想とする政治権力の徹底的なストイシズム(禁欲主義)は、実際の人間社会の歴史では殆ど見られなかったものであり、現実の封建主義国家や専制主義国家では多かれ少なかれ政治権力は既得権益や経済的な豊かさと結びついてきた。

また、国政を担う為政者は、哲学的なビジョンの実践や高潔な道徳的判断だけではなく、国家(共同体)の経済状況や国益の確保を考慮して政治判断を行わなければならない。そう考えると、為政者はある程度は『経済的な利』に敏く(さとく)ある必要があり、プラトンが理想化した徹底的にストイックな為政者が、国民の福利や国家の繁栄を実現できるかには大きな疑問符が付く。

現代社会の政治状況では、私利私欲を満たさない人格者で広汎な分野にわたる高い学識を持っていても、国民の経済的な豊かさ(民生の安定)や国益の確保(他国に対する競争優位性)を実現できない政治家は、無能で有害と見なされる恐れさえある。

国民個々人に還元される国益の増進や経済的な競争力の確保が政治の重要な目的となっている以上、実利的な分野への関心や個人の政治的な野心をある程度持っている『世俗的な政治家』のほうが『ストイックな哲人の為政者』よりも信頼できるというか有能であると見なされることがあるのかもしれない。そもそも哲人自体がイデアール(理想的)なものであるし、実際に学識豊かで禁欲道徳を遵守する哲人が存在したと仮定しても、国家の政治権力の掌握や行使に関心が向かうか否か疑わしい。

ソクラテスとプラトンの政治哲学を現代社会にそのまま当て嵌めることは難しいが、彼らの思想から学ぶべきことは古代ギリシア伝統の『理性優位の政治判断』であり、伝統的道徳や旧態的規範を絶えずより善き方向へ超克しようとする意志である。

プラトン(B.C.427-B.C.347)『国家』において記した理想的な政治形態は、『卓越した知性・強靭な体力・完全な倫理』を持ち私有財産と性的放逸を放棄した哲人が統治する哲人政治であった。

プラトンが理想とした『生得的な身分(能力・徳性)に基づく階層秩序』で支えられる政治形態である哲人政治は、春秋戦国時代の中国に生まれた孔子(B.C.551-B.C.479)儒教が説く天命思想や古代インドに生まれた釈迦の仏教が説く解脱の思想と類似している要素があって面白い。

プラトンと孔子が理想の為政者として想定したのは、徳治主義を行うに相応しい有徳の君子(哲人)であり、利己的欲求を捨てて国家(共同体)の為に全身全霊で貢献できる人物であった。プラトンは、国家を指導する為政者となる人材は、哲学や数学、政治経済、軍事戦略、文学、天文学、体育、音楽、芸術、演劇などあらゆる学術領域に最高度の知性を持って精通していなければならないとしたが、儒教でも孔子を思想的に継承する孟子の『孟母三遷(もうぼさんせん)』の故事にあるように、高い教養水準をもって仁・義・礼・智・信の徳を持った君子や士大夫が政治を行うべきだと考えられていた。

仏教では煩悩(欲望)があらゆる苦しみの源泉であるとして、煩悩を完全に滅却し消尽することを目指して修行するが、プラトンも国家を統治する支配者階級は、家庭を持ってはならず私有財産を築いてはならないとした点で極端な仏教的禁欲主義を奨励していた点で共通性がある。

古代の政治思想や宗教思想では、一切の個人的欲求を放棄する禁欲道徳に基づいて『理想の人格像』を規定していることが多いが、それは、共同体の生産力が小さく資源開発と技術水準が不十分だった時代には、個人的欲求を抑制できない人物によって犯罪や諍い、戦争が起こりやすかった状況とも関係があるだろう。

経済活動の重要性が増し、個人の権利の等価性を前提とする現代社会では、為政者だけに厳格な禁欲原則を科すことは適切ではないと思うが、国政の重責を担う政治家が、国民の模範となるような倫理観や徳性を体得すべく努力することは国家全体の倫理意識を高め、政治・経済の腐敗を抑止する上での効果が期待できるのではないかと思う。

ターレス(タレス)、ソロン、ペリアンドロス、ビアス、ピッタコス、クレオブゥロス、ケイロンといった古代ギリシアの七賢人については、ウェブサイトのほうにある程度詳しい解説をしているので興味のある方は目を通してみて下さいね。

古代ギリシアの哲学というのは、現代の英米哲学やポストモダンの観念的な思索と比較すると、やはり荒削りで論理的な錯誤や権利意識の偏りなども見られるのですが、そうであっても、ソクラテスからプラトン、アリストテレスという人間理性(ロゴス)を尊重する哲学者の系譜が、2,400年以上前に生まれていたという事実は驚愕すべきことであり、全ての学術的研究精神の祖型としてのギリシア哲学は現代人の心をも惹き付けるものがあると思います。

ギリシア哲学が現代に残した精神的な思考形態の遺産としては、『明晰な論理性・普遍的な原理性・対称的な調和(コスモス)・理想的観念の追究』などが考えられますが、中世に宗教哲学としての神学が隆盛するにつれてギリシア的な簡潔・明晰・論理を追究する精神性は次第に衰退していき、それへの反動としてイタリアのルネサンス(文芸復興)が生き生きと勃興してくることになります。

単純な秩序性や調和性、簡潔かつ普遍的なロジックを重視するギリシアの形相美の精神が如実に反映されたものが、アテナイのアクロポリスに屹立していたパルテノン神殿やディオニュソス神殿であり、その建築様式は共和政ローマの時代へと継承されていきます。
一方、ギリシア的理性の限界であり欠点は、普遍的原理や一般的法則を重視するあまり、個体の権利や性質を尊重する価値観が発達しない点にありました。

ギリシアの哲学者の多くが、不完全な現実の個人を見ずに、完全な理想のイデアを考察することに全身全霊を注いだ事やギリシアの彫刻作品が完全な均整美を持つ肉体の再現であり、一切の身体的欠点を排除したイデアの写像である事からも、ギリシア的な価値の中心が『普遍性・一般性・法則性』にあったことが窺い知れます。

キリスト教をはじめとする一神教は、絶対権力者である神の前に人間が皆平等であることを説きますが、それと同時に、『ルカによる福音書』第15章にある『群れからはぐれた一匹の羊を必死に探すエピソード』に見られるような『個人の権利尊重の態度』が育まれてきます。それは、全体的な利益や効率性を多少犠牲にしても、現実に生きる『仲間としての個人』を助けたいとする人間的な情性の表れであり、現代に至る人権意識や社会保障制度の萌芽として歴史に生まれでたものでした。

■関連URL

ギリシアの選良的な貴族主義とローマの宥和的な貴族主義

古代ギリシアの男性原理に基づく民主主義政治


■哲学史を学ぶための参考文献のURL

古代哲学・古代から中世の神学の参考文献

宗教改革・ルネサンス・啓蒙主義の参考文献

イギリス経験論・大陸合理論・カント哲学の参考文献

ドイツ観念論・実存主義・マルクス主義の参考文献

言語哲学・現代思想・ポストモダンの参考文献

■参考書籍
プラトン入門
プラトン入門 (ちくま新書)

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