|
過去のトラウマに関する記事で、トラウマとは『自己の生命の維持や精神の統合性を脅かす体験』であるという話をしましたが、自己の統合性は、『過去から現在に至るまで、私の存在は一貫していて連続している』というアイデンティティの意識に支えられています。 トラウマ体験とは、『今まで自分が生きていた世界の常識』を大きく覆す異常で異質な体験ですから、その体験は人に大きなショックを与えるだけでなく、その人の精神の統合性を揺るがすのです。 『思考・感情・記憶・学習・行動』といった精神の諸機能が一定のまとまりをもって働くことによって、私たちは通常の日常生活を送り、他者と良好な人間関係を維持していくことができます。 この精神機能のまとまりや自我意識の連続性のことを『精神の統合性』というのですが、この精神の統合性が崩れると様々な精神症状がでてきたり、生活環境への不適応の問題が起こってきたりします。 統合性が障害されると具体的にどういった現象が自分に起こってくるのかについて説明しますと、『私が私でないような漠然とした不安感と意識の低下』『自分が確かに存在しているという実感を生き生きと感じることの出来ない“自己リアリティの喪失”』『他人が確かに存在しているという実感を生き生きと感じることの出来ない“他者リアリティの喪失”』などが起こってきます。 その他の症状は、解離性障害にちなんだもので、『過去のある期間だけの記憶が欠落して思い出せない』『トラウマ体験に類似した状況に遭遇すると強烈な恐怖と回避反応を生じる』『自分にとってどういう意味があるのか分からないが、特定のイメージや感情が反復的に湧き起こってきて不快感を感じる』『現在の自分以外の別の人格が存在していて、自分の記憶にない言動をとっている(多重人格障害)』などの精神現象が起こってくることがあります。 基本的に、『情緒のコントロール不能・記憶の連続性と内容の混乱・意識水準の低下による現実感低下・複数の人格状態の発生・性格構造の歪曲による他者依存と衝動的行動』といった問題がトラウマを原因とする精神症状の典型的なものです。 トラウマは、それまで生きてきた世界に対するスキーマ(認知的枠組み・理論的枠組み)のアンチテーゼ(否定)として働くものですから、トラウマを受けた人は、『異質な恐怖体験』を何とか自分のスキーマに取り込んで苦痛や戦慄を和らげようとする防衛機制を働かせることになります。 非日常的な強烈なショック体験をした人は、それを何とか日常的な恐怖や不安のレベルとして認知しようとします。つまり、外界の現象を認識する為の『スキーマ(認知的枠組み)』を再構成して、自分の精神機能でトラウマ体験を処理できるようにしようとするのです。 このような『非日常的なトラウマ体験』を、『日常的な恐怖体験』へと認識しなおそうとする心的防衛機制によって、幾つかの精神症状や心理現象が発生してきます。 この『自分を過去のトラウマの苦痛や不快から守ろうとする心の働きがトラウマの悪影響を永続化させている』という認識はとても大切なもので、カウンセリングにおいてはこのトラウマに対する過剰防衛をどのようにして弱めていくのかが一つの課題になってきます。 ただ、トラウマの強度と内容によってはそのまま過去のトラウマを防衛機制の抑圧によって封印し隠蔽し続けたほうが良い場合もありますし、クライエントの自我の成熟性の程度やトラウマの心理刺激に対するストレス耐性、認知の傾向なども勘案しながらどのようなカウンセリングを推し進めていくべきかを考えていかなければなりません。 トラウマ関連障害の代表的な特徴として、以下のような『反復性・侵入性・強迫性』の精神特性を上げることができます。
人間は圧倒的な恐怖や強い不安を伴う孤独を感じる時に、『他者にその不安や恐怖を語ることで、その不安を緩和しよう』とします。脅威的な事態であるトラウマ体験をした人の場合にも、その強い恐怖や苦痛を他人に語ってカタルシスや共感の心理的効果を得たいとする欲求が見られます。 トラウマ体験をした人によく見られる『反復的な想起』は、意識的である場合と無意識的である場合があります。 意識的に、何度も繰り返しトラウマを思い出して他人に語る行為には、『自分の抱えるトラウマの苦悩や恐怖、屈辱』を他人に共感的に聴いて貰うことによって、トラウマのショックや脅威を希釈する(薄める)効果があります。 意識的に、過去のトラウマにまつわる記憶や感情をあなたに伝えてこようとする場合には、『そんな不愉快なことやつらい思い出はきっぱり忘れて、思い出さないようにしたほうがいいよ。話すとまたその時の恐怖や怒りが再現されて苦しくなるだけだよ』といった応対をすることは適切ではありません。 相手がトラウマについて語ろうとしている場合には、それを押し隠してしまうのではなく、『あなたが話す覚悟があるなら、私はその話をじっくりと聞かせてもらうから話してみて』といった態度を取ったほうが、結果として相手の気持ちの整理や感情のコントロールを手助けすることになります。 無意識的に、何度も繰り返しトラウマを想起してしまうというのは、強迫性障害による強迫観念に似た症状で、『過去の終わったトラウマについて考える事は無意味である』と考えていても、それを思い出すことを止めることができない症状です。 この場合には、表層の意識による『トラウマの無意味性の認知』と深層の無意識による『トラウマの有意味性の認知』が矛盾してせめぎ合っていると推測されます。 しかし、意識的にトラウマを思い出して言葉で表現する場合でも、無意識的にトラウマ体験が強迫観念となって思い出される場合でも、その『反復的な想起の目的』は共通しています。それは、『トラウマ体験をした当時の衝撃や脅威を和らげたいとする自己防衛的な目的』であり、非日常的なトラウマ体験を薄めて日常的なショック体験に置き換えたいとする防衛機制なのです。 『トラウマの特徴である反復性』には、確かにトラウマを体験した当時のショック・恐怖・苦痛を段階的に少しずつ和らげる効果があります。トラウマ体験当初の強烈な情動反応は、トラウマを繰り返し想起して再体験することで、ある程度まで希釈することが可能なのですが、トラウマが余りに強烈過ぎて、自己の歴史の一部として受け容れられない場合には不快な情動反応を緩和できないこともあります。 この外傷体験にまつわる記憶や感情の反復的な想起、強迫的な侵入は、精神病理学で定義されるPTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)の精神症状であるフラッシュバックやトラウマの強迫的侵入、反復性のある悪夢と同じ心的メカニズムで発生すると考えてよいでしょう。 トラウマが根本原因となって種々の精神症状や心理的苦悩が形成されている場合、トラウマは正に『今現在、直面している危機』として主観的に経験されています。反対に、トラウマが和らいで治癒に近い状態になった場合には、トラウマは『自分の過去の記憶の一部』『自分の人生の物語の断片』として認知され、自我意識やスキーマに取り込まれて受容されています。 トラウマは過去の記憶としてその痛みや不快を和らげて日常生活に支障のないものにすることが出来ますが、トラウマそのものを完全に無かったものとして治癒することはおそらく不可能ではないかと考えられます。私たちは記憶の一貫性を維持している限りにおいて、『過去のある記憶』について触れないようにすることは出来ますが、その過去自体がはじめから存在しなかったとすることは出来ません。 トラウマの存在自体を完全否定して、全てを忘却しようとすると、反対に、『自己の意識・記憶・感情・認知の統合性』が解体して、心因性健忘や離人症的な現実感覚の喪失、多重人格の形成、生活環境からの蒸発などの解離性障害の問題が出てくる恐れがあります。 また、トラウマが『個人の問題処理能力の限界』を圧倒的に上回っている場合に、PTSDや解離性障害といった精神疾患や対人関係の問題、社会への不適応といった問題が生起してきます。ですから、トラウマが自己の認知的枠組みにうまく組み込まれて、過去の記憶として受容されれば、特別な精神疾患や不適応、心身の不調といった問題は消失していきます。 事件・事故・犯罪・災害などの外傷体験がトラウマとなるかどうかは、『外傷体験の強度』と『個人の問題処理能力』『個人のストレス・トレランス』の相互作用によって決まってきます。つまり、ある人が非常に強烈で圧倒的な外傷体験をして、その体験を認知的・情緒的にうまく処理できない場合やその体験に耐えるだけの自我のトレランスがない場合に、トラウマになってしまうということです。 しかし、どういった性格傾向や価値観の人が、トラウマを負いやすいのかという事について一義的な回答を示すことは出来ません。表面的に観察できる性格傾向だけでは、その人がトラウマを負いやすいタイプなのか多少の苦痛や恐怖の体験には動じないタイプなのかを判断することはできません。 ある研究結果では、一見トラウマとは無縁に思える『明るく社交的で自己主張の強いタイプの人』や『社会的に高い地位についていて、有能な職業活動を行っている自己肯定感の強い人』のほうが、そうでない人よりもトラウマ体験に対するトレランスが弱いという報告もあり、『外見上の強さ・有能性』だけではトラウマに対する耐性の強さを正確に推定することはできません。 PTSD発症レベルのトラウマを負った過去の出来事や記憶について想起することは、想像を絶する苦痛や恐怖を伴うものであり、その内容を勇気を出して他人に話す為には相手に対する大きな信頼と安心感が必要となってきます。 同時に、トラウマ関連の記憶や出来事を掘り返すことは、本人にとって『自尊感情の低下や他者(社会)への怒り・恨み』をひきおこすものですので、安易な気持ちで過去のトラウマについて触れるべきではないでしょう。それはトラウマを持っている相手を更に傷つけるだけでなく、相手との友人関係を失ってしまうことにもつながってきます。 本格的に相手の心理的苦悩と向き合うつもりで話を聴くならば、トラウマという心理現象についての適切な理解と対処を得ながら、長期にわたって相手の抱えている苦難や不安を受け止めていくという心構えが必要だと思います。 特に、密接した人間関係への執着やしがみつきが問題となってくる境界性人格障害(ボーダーライン)などの場合には、『自分と相手の適切な距離感』を設定して関係を持っていかないと、相談に乗っている側が精神的ストレスや相手の要求による圧迫感によって押しつぶされてしまうこともあります。 『不安定な対人関係の問題』と『トラウマ関連障害の影響』とが関連しているケースと関連していないケースでは、自ずからその基本的対処や心理状態に対する認識が変わってくることになるでしょう。 ■書籍紹介 PTSD治療ガイドライン―エビデンスに基づいた治療戦略
|
| << 前記事(2005/11/26) | ブログのトップへ | 後記事(2005/11/30) >> |
| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
|---|---|
トラウマの形成維持と心的防衛機制の関係:シャルコーのトラウマ認識の視座
神経症や神経疾患、原因不明の慢性疾患などを専門に研究していたパリの19世紀の医師シャルコー(Jean Martin Charcot 1825〜93)は、フロイトの指導医としても有名ですが、精神疾患の病因としてのトラウマの研究もしていました。 老人性疾患を含む神経医学領域の当時の権威であったシャルコーと精神分析学の創始以前にシャルコーから多くの影響を受けたフロイトについては、過去の記事でも扱っているので興味のある方は読んでみてください。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2005/12/04 21:16 |
個別的な多様性を見せるトラウマの影響:セクシャリティの外傷や家族間の虐待の再現性の問題
過去の記事で、トラウマとは具体的にどのような状況下や体験で起こるのかについて概略を述べたり、自我の統合性を障害する解離性障害とトラウマの関係を考えたりしてきました。 また、トラウマが生み出す精神症状の特性として『反復性・強迫性・侵入性』を挙げて、これらの悪影響を低減させることがカウンセリングの果たす役割であり効果であることを述べ、古典的な神経科医シャルコーのトラウマ理論を振り返ったりしました。 それらのトラウマに関係する関連URLは、この記事の最後に提示していますので興味のある方は読ん... ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2005/12/11 07:06 |
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を形成するトラウマ体験と自律神経系の過剰亢進による身体症状
PTSD(心的外傷後ストレス障害)を誘発するトラウマ(心的外傷)というのは、個人の『ストレス耐性の限界』と『問題対処能力(状況対応能力)の限界』を越えた強烈なショック体験によって刻まれる精神的ダメージのことです。トラウマの精神医学的な定義では、生死の危険を感じるような体験をしたり、他者が生死の危険に陥っている状況を目撃することによって受ける精神的ダメージとなりますが、厳密には『死・傷害の恐怖』だけではなくて『極度の自尊心(自己信頼感)の傷つき』によってもトラウマが形成されます。 ...続きを見る |
カウンセリングルーム:Es Discov... 2009/06/27 01:58 |
| << 前記事(2005/11/26) | ブログのトップへ | 後記事(2005/11/30) >> |