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help RSS 斎藤昭彦さんの死から考えさせられた事:SOLとQOLから見る人生の重要な選択の倫理判断

<<   作成日時 : 2005/05/29 11:38   >>

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イラクでイスラム武装勢力のアンサール・スンナ軍に襲撃され拘束されていた斎藤昭彦さんの死亡がほぼ断定されつつあるというマスメディアの報道を受け、昨日あたりから『斎藤昭彦 イラク』といった検索ワードでのアクセスが増えていますが、私のブログでは斎藤昭彦さんに関する直接的な言及や最新情報を記しているわけではないので、検索エンジンから来た人は、探している情報を得ることは出来なかったのではないかと思います。
また、マスメディア関係者や斎藤昭彦さんと直接関係のある親族や知人でもない限りは、一次情報は得ようがないので、私も含めて一般論や事件報道への解釈の記事がブログでは大半を占めることになるでしょう。
改めて詳細な意見や考察を書く時間がないので、簡単に現在分かっている状況だけ要約しておきます。



私が大手新聞社の報道を散見したところによると、アンサール・スンナ軍がウェブサイトにアップした映像と声明から斎藤昭彦さんが出血多量で死亡したとほぼ断定される根拠として挙げられているのは、大きく分けて以下の3点のようです。

1.斎藤さんの親族である弟が、アンサール・スンナの送ってきた映像の中で射撃された人物を兄であると認識し、外務省に伝えたこと。
2.警察庁が『異同識別』という鑑定方法を実施したところ、映像の射撃された人物とパスポートの写真に映っている斎藤さんがほぼ同一人物であると鑑定されたこと。
3.斎藤さんが所属していた民間軍事会社『ハート・セキュリティ』が映像の人物と斎藤さんがほぼ同一人物であると判断していること。

政府は、万が一の場合を想定して最終的な断定までは出来ないという姿勢で、DNA鑑定などの科学的な検証が必要だとしていますが、外見的特徴から判断する限りはほぼ斎藤昭彦さんに間違いはないようではあります。



この事件は、基本的には斎藤昭彦さん個人の人生・職業の選択と大切な家族の死を悼み悲しむご家族の問題に帰結するものであり、国家による強制的な徴兵や動員とは無関係で、日本の自衛隊派遣の是非とも直接的にはコミットしない問題だと考えています。
同じ日本人として、斎藤昭彦さんの死の事実そのものは悲しくつらい気持ちはありますが、彼の死は日本という国家や日本人という民族の為に捧げられたものではない為に、我々日本人がどのように受け止めるべきなのかは非常に微妙で確固としたスタンスは定め難いように思います。

彼は共同体倫理の犠牲者になったわけではないし、集団主義やファシズムの熱狂に浮かされて死地に向かったわけでもなく、祖国防衛の為に涙を飲んで戦場に趣いたのでもない。
斎藤昭彦さんは、個人主義と自由主義の理念の枠組みの中で、個人の価値観と自発的な判断により、自由な選択が許された中で、自らの人生のあり方としてプロフェッショナルの軍事産業に従事することを選んだのだと私は認識しています。

主体的に自発的に選択した危険な行為や振る舞いに対して、『危ないからそういう仕事をすべきではない・生命の危険がある職業を選ばないほうが良い』という生命至上主義の一般論を出す人もありますが、死の危険や苦痛の緊張に不快を感じる気質や性格傾向の人には十分な説得力を持ちますし、実際、大部分の人は説得されなくても戦場や危険地帯を回避する傾向があります。

しかし、人間の先天的な気質や後天的な性格傾向の中には、生死を賭けた戦闘行為にまで及ばなくても、殴ったり蹴ったりといった肉体的な戦闘である格闘行為に人生の意義を感じる攻撃的な気質もあれば、大きなリスクをとって大きなリターンを得る賭博的な興奮に人生の価値を見出すような性格傾向もあるわけで、“安全・安定・生存を第一義とする常識論”で大多数の人を説得できても、多様な価値観と複雑な趣味嗜好を持つ人間全てを承服させる事は不可能です。

ただ、彼の非業の死が、自分自身の人生の選択とプロフェッショナルとしての義務に捧げられたものであった事に僅かな救いを感じます……いつ死ぬとも分からない戦場を敢えて自らの職務の場として主体的に選択した斎藤さんですから、今回のような突発的な事態も頭の中のどこかで想定されていたとは思いますし、撃たれた瞬間にも自身の選択を後悔したり嘆いたりする事は無かったのではないかと思います。
私は彼の人生の経歴を見る限りでは、彼はプロフェッショナルの軍人としてのアイデンティティを持ち、その自己像や自己認識に対して強いプライドや充足感を持っていたのではないかと推察しますので、彼の死は後ろ向きの死ではなく、後悔や未練を残した死ではなかったと信じたいという気持ちはあります。

戦場で撮影された彼の写真や映像を見ると、どれも明るい表情で目が爛々と力強く輝いていて、鍛え上げられた肉体に活発な行動力と意志に満ち溢れているような印象を受けました。
恐らく、日本に残って普通の会社員や作業員、自衛隊の仕事をしていたら、あのような生き生きとした瞳の輝きは生まれず、全身から漂ってくる自らの能力と経歴に対する自信と生命力は出てこなかったのではないかと思います。
それくらいに誤魔化しの効かない自身の人生に対する矜持と喜びが表情、態度、雰囲気に滲み出ていた様に私は感じました。
日本ではなかなか遭遇する機会のない独特の野生味のあるパワフルな躍動感と他を圧倒するような生命力を、多くの日本人が頻繁に流されるテレビの映像から感じ取ったのではないかと思います。
自分が本当にやってみたいと思い、これこそが自らの携わるべき職責なのだと決断しておらず、嫌々戦いをやっていたのであれば、あのような目の輝きや全身から放たれる活力は生まれてこなかったことでしょう。

『自らの意志と信念によって主体的に参加した戦闘における死』『自らの意志に反して外部から強制的に参加させられた戦闘での死』には、客観的に観察される死の生物学的現象としては同一であっても、主観的な死の受容や死の意味付けには余りにも大きな落差があります。
プロの格闘家がリングの上で戦って、偶発的に致命的なダメージを受けて死ぬ事は容認できないことではなく、本人もそういった事態を想定して戦っていますが、アマチュアの素人が無理矢理にリングに上げられてその結果殺されれば殺人事件となります。

同様に、戦争行為そのものは倫理的に容認されるべきではないという平和主義の正論の正しさは疑うべくもありませんが、仮に戦争が不可避であるならば、戦争行為で死す事を覚悟し、負傷や死に同意できる者のみで戦闘が行われる事が、戦争の倫理的な悪性を緩和する選択であるとも言えますが、民間軍事会社やアメリカの徴兵などの場合には金銭や大学の奨学金制度というインセンティブが働いているので問題はそう簡単に割り切れるものでもありません。
厳密に、戦争行為の倫理学的是非を考える時間はありませんが、仮に戦争行為の殺傷の倫理的な悪性が減免される場合があるとするならば、“SOL(生命の無条件の尊厳)”を否定できるという前提に立って、『金銭などのインセンティブがなくても戦闘行為に参加したいと考え、死や負傷のリスクを無条件で自己責任として引き受けるメンバー』のみで行われなければならないということになり、余り現実的ではありません。

また、ローマ教皇を頂点とするカトリック教会などの基本的価値観でもある“SOL(Sanctity Of Life)”の立場に立てば、無条件に人間の生命の尊厳を保護して、個人の生存を全ての物事に優先する最重要事項としますので、幾ら本人が死を同意して受容しても、生存の危険があるような戦闘行為や積極的・消極的安楽死などは認められないという倫理判断が下される事になるでしょう。
それに対立するのが、人生の内容のクオリティを重視する“QOL(Quolity Of Life)”ですが、QOLの立場では本人が自己実現を目的として希望する人生の選択や決断が重視され、その結果として一定のリスクを引き受ける事になったとしても自己責任に帰すものだと考えることとなります。

グローバルな戦争や紛争の視点で見れば、『現場で直接的な戦闘に参加する人間が、国家アイデンティティを背負った徴兵された兵士でなくなっている事』や『戦争の人員確保に、“費用対効果や戦闘能力による商品価値”など市場経済のメカニズムが機能するようになっている事』は気にかかる問題ではあります。
国民国家をその構成員である国民が防衛するという原則は、古代の傭兵制度の導入によっても破られる事はありましたが、剣や弓などによる白兵戦によって戦う古代〜中世の戦闘では傭兵制度を導入した民族や国家は戦意高揚を十分に行うことが出来ず、自国民が防衛を放棄した国は次第に衰退する傾向がありました。
しかし、現代社会では、対立している国家・民族・集団が、相互に当事者でない外部の人間(ゲリラ)や組織(民間軍事会社)に依頼し雇用して代理戦争を行っているという状況があるので、かつての傭兵制とはかなり趣きを異にしていると言えます。

この問題を問い詰めていくと、戦争に限らず金銭取引きによって喪失される生命がある事をどう思うのかという壮大な倫理的問題へと拡散します。
グローバル化した世界において“戦争の市場経済化”が進行し、機械論的で徹底的な功利判断によって遂行される戦争観が一般的なものになろうとする現代社会で、私達はどのような対処や方針を打ち立てていけるのでしょうか。
純粋な愛国心に基づく必要に迫られた防衛戦争から遠ざかり、大切な家族・恋人・友人、生まれ育った国土・郷土を守りたいという防衛意識を目的とする戦争から離れる中で、交わされる当事者に拠らない代理戦争をこの先も繰り返し行うという愚劣な選択は最大限、避けるべきだと考えます。

最後に、まだ最終的に断定されたわけではないようですが、斎藤さんをはじめ襲撃された人々の死を哀悼し、ご冥福をお祈り致します。
願わくば、本人が受け容れ難き想定外の死ではなかったことを。


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斉藤昭彦さんの拉致事件:イラク戦争の戦後処理とアラブ民族の紆余曲折の歴史

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