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ある行動の原因が、“内的原因(意図・動機・性格)”にあるのか“外的原因(外部環境・社会状況・外部からの刺激)”にあるのかを、客観的に検証可能な形で判断することは出来ません。 しかし、私達は、自分自身でも意識することなく、ある行動や出来事が内的原因に基づくものなのか、外的原因に基づくものなのかを恣意的かつ主観的な形ではありますが判断しています。 社会心理学者ハロルド・H・ケリーによれば、ある行動の原因が、内的原因なのか外的原因なのかという無意識的な原因帰属の判断は、3つの基準によって為されるといいます。 人間が、どのような推論過程を経て、原因帰属の判断を行うのかという問題を理論化したのが『共変原理covariation principle』というものです。 共変原理や分散分析モデル(ANOVA)は、科学的な研究手法や統計学的な根拠に基づいて出された客観的に正確な結論としての原理ではないが、人間の行動の原因が、外的原因にあるのか内的原因にあるのかを考える際には説得力のある説明となっています。
こういった原因帰属は、ある人が困難な状況や危険な事態に遭遇している時に助けるか助けないかという“援助行動の成立”にも大きく影響してきます。 B.ラタネは、他人が危険や困難な事態にある時に、その人を援助する行動が起きるには5つの段階を踏む必要があると考えました。
実際に、危機的な緊急事態にある人を援助するかしないかには、様々な要因と条件が介在してきますが、その要因・条件は、大きく分けて、外的な環境的条件と内的な個人的条件に分けられます。 外的な環境的条件とは、『被害者を襲っている相手が拳銃を持っていて、自分が助けても助けられる可能性が極めて低い。飛び降り自殺しようとしている人を助けようとしても、自分は下にいるので間に合わない。真っ暗な海に人が転落して、全く何も見えず助けることが出来ない』といったような外部的な環境条件によって現実的な援助行動を起こすことが出来ないか、起こしても全く有効性がないと推測できるような条件のことを言います。 個人的条件とは、個人の性格特徴・自己認識・価値観・モチベーション(動機)などの個人の内面的な特性による条件のことで、この個人的条件については、W.ビアーホッフらの研究成果があります。 W.ビアーホッフらは、実際に利他的な援助行動を行った人を対象として、利他的な行動傾向のある人の人格的(性格的)特徴をまとめました。
援助行動を行いやすい利他的な人の特徴について述べましたが、次にどのような人が危機や困難の状況にある時に助けてもらいやすいのかについて考えてみます。 一般社会には、自己責任の論理というものがあり、『不注意・怠惰・無茶無謀・犯罪行為など自分自身の責任によって生じた困難・危機・苦境に対しては、自分自身の行動や努力によって問題を解決しなければならない』とする考え方が普及しています。 B.ワイナーは、援助する人が、“困難で危機的な事態に直面している人の責任をどこに帰属させるか”によって、援助行動が起きるか起きないかが決まってくると言います。 即ち、困難や危機の原因が、その人自身の不注意や無責任にあると判断された場合には、自業自得であるとして嫌悪感や抵抗感が起こり、援助行動が起き難くなり、困難や危機の原因が、その人自身の責任ではなく、偶発的な不幸な出来事や加害者からの一方的な権利侵害にあると判断された場合には同情や共感が起こって、援助行動が起きやすくなります。 P.ドウリーのエイズ患者へのボランティア活動をするか否かの判断を調査する実験でも、エイズに感染した原因が、不特定多数との性行為やアブノーマルな性行為あるいは麻薬の静脈注射など本人に責任があるものであればボランティア活動の援助活動が起こりにくいという結果が出ています。 反対に、輸血や非加熱血液製剤によってエイズに感染した場合には、その人には自己責任がないとして援助活動が起こりやすくなってきます。 ここまで、相手の行動・発言・態度がどのような原因に帰属するのかを考えてきましたが、自分自身の行動・発言・態度の原因がどこにあるのかを考える場合には、多くの人が、『私は内的原因(意図・感情・動機)に基づいて行動している』と考える傾向があります。 『相手の不作法な物言いに頭にきたから、攻撃的に相手を非難した』とか『相手のことを愛しているから、誕生日プレゼントを時間をかけて選び購入した』、『その相手が不愉快な人物で嫌悪しているから、相手のいる場所には行かないようにしている』というような形で、私達は行動(結果)と原因の因果関係を理解していることが多いのです。 『人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ』という言葉に典型的に示されるように、末梢神経系の生理学的変化が、感情・情動・情緒の変化を生み出すとするジェームズ・ランゲ説というものがありますが、これは『自分の身体の状態や行動の様態から、内的原因(感情・情動・動機)を推測する心的過程』を意味しています。 このような“自分自身の身体感覚・生理的状態・行動・行動が生起した状況”などの外部的な手掛かりに注目して、自分の内的状態(感情・意図・動機)を推測することを、D.J.ベムは『自己知覚』と呼びました。 自己知覚の例を挙げれば、『相手に怒っているから、心臓がドキドキして拳を握り締めている』のではなく『気が付けば心臓がドキドキとして拳を握り締めていたから、相手に怒っていたことが分かった』というような例を考えることが出来ます。 自己知覚は、自分の本当の意図・感情・動機などの内的原因が分からない時には、間違った内的原因への推測をしてしまうことがあります。 この事を実験的に証明した有名な実験に、D.G.ダットンとA.P.アロンの“吊り橋実験”があります。 男性に女性と一緒にグラグラと揺れる吊り橋を渡ってもらい、『この実験の調査結果を知りたければ、私に電話して下さい』と言って女性が男性に電話番号を渡すと、吊り橋を渡らないで電話番号を渡す場合よりも有意にその女性に電話を掛けてくる男性が多かったという実験です。 これは、揺れる吊り橋を渡る恐怖や緊張の為に生じる自然な生理学的反応であるドキドキ(動悸の高まり)を、女性の魅力に対する興奮や緊張としてのドキドキだと間違って推測した為に起こった行動です。 自己知覚は、このように、身体感覚や行動、状況を間違った原因へと結び付けてしまうこともあります。 |
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