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村田沙耶香『消滅世界』の書評

現代社会で起こっている『恋愛の減少(若者の恋愛離れ)・未婚化晩婚化・少子化・家族の減少(単身世帯の増加)・夫婦のセックスレス・恋愛や性のバーチャル化』などをモチーフにした作品で、テクノロジーが進歩して物理的な性行為に基づく家族・恋人が消滅しかかっている近未来の日本をSFタッチで描いている。 冒頭の会話で、主人公の雨音(あまね)が『…
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橋本治『いつまでも若いと思うなよ』の書評2:年を取る必要のない文化の幻想と年齢実感の薄れ

第二章『年を取ろう』では、作家という自営業者の橋本さんが『(大きな仕事を成し遂げるために自分の腕前を上げるためには)年を取らなきゃだめだ』という考え方をしながらやってきたことが語られる。反対に、公務員やサラリーマンのような一定の給与・身分が保障された被雇用労働者になると『年を取ったらだめだ』の考え方になりやすく、『組織の中で適応するため…
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橋本治『いつまでも若いと思うなよ』の書評1:『若さ・新しさ』を持てはやす現代の風潮と老い

『いつまでも若いと思うなよ』は中高年の人にとってショッキングなタイトルだ。『若さ・美しさ・生産性(能力)』が持てはやされる現代では、多くの人ができるだけ年寄りにはなりたくないと思っていて、特にあまり親しくもない女性に年齢を聞くことは一種のタブーでもある。お金のある中高年には、できるだけ若くありたい(見かけ・気持ちが老け込みたくない)とい…
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村上春樹『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』の書評:2

免色渉は『個人主義・自由主義』の現代における典型的成功者である中年男性のイデアとして機能しているが、その免色が『冤罪で拘置所の狭い場所に長く閉じ込められる恐怖の経験とその克服』をしているのは象徴的であり、免色という存在そのものが『他者・共同体とストレートにつながれない現代人の孤独と愉楽』を感じさせるのである。 個人主義的な生き方を…
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村上春樹『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』の書評:1

第1部の顕れるイデア編では、別のハンサムな男ができた妻に突然の別れを切り出された“私”、起業で大きな経済的成功を収めながらも結婚の決断をできずに別の男と結婚した元彼女を永遠に失った“免色渉(めんしきわたる)”という二人の人物を描くことで、『現代のある種の中年男性の孤独・モラトリアム』を寓話的に示した。 36歳の私と54歳の免色渉の…
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森博嗣『彼女は一人で歩くのか?』の書評:超長寿化・生命創造による人口減少世界

科学技術の驚異的な進歩によって、人間の寿命が数百歳以上にまで延びた代わりに子供が産まれなくなった近未来を舞台に展開されるSF小説で、人間の死生観とテクノロジーについて考えさせられる。近未来社会に生きる人類のシミュレーションのような物語の流れが面白いだけでなく、現在進行形の高齢化社会や少子化問題にも関わってくるテーマ性もある。 ハギ…
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村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の感想:3

免色渉の肖像画を描きあげていくプロセスで、私と免色は次第に個人的にも親しみを感じ合うようになり、それぞれの人生・感性・考え方についての知的なコミュニケーションを繰り返していくのだが、その会話の言葉一つ一つもなかなか示唆的で含蓄がある。 免色渉の肖像画の作成において、私はいつもの調子で淡々と普通の写実的な肖像画を描くことができず、最…
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村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の感想:2

約6年のユズとの結婚生活が終わろうとしていた私は、精神的に非常に不安定な部分があり、端的には『この先どのように生きていけば良いのか・何を目指して生きていけば良いのか』という方向感覚を喪失していて、そのつらさを意識化しないために世俗から離れた山奥の家に暮らして、宛てのない『車の一人旅・自由な芸術創作・刹那の性的関係』にのめり込んだ所がある…
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村上春樹『騎士団長殺し 第1部 顕れるイデア編』の感想:1

現代人の孤独と自由、特にセンシティブな中年男性の孤独を感じさせる作品だ。未読なのだが村上春樹の作品に『女のいない男たち』があるが、この『騎士団長殺し』もまた『女のいない男たちの物語』として読める。基本的に男性の目線から見た『社会にスムーズに適応できないこだわりのある人生の型』であり、『結婚・夫婦の枠組みに収まれない男の孤独・奔放な性・潜…
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福田定一(司馬遼太郎)『ビジネスエリートの新論語』の書評4:サラリーマンと芸術家と家庭の価値

司馬遼太郎は『よい結婚はあるけれど、楽しい結婚はめったにあるものではない(ラ・ロシュフコー)』『できるだけ早く結婚することは女のビジネスであり、できるだけ結婚しないでいることが男のビジネスである(バーナード・ショー)』『一度結婚してしまうと、善良であること以外には何事も、自殺でさえも、残されていない(スティーブンソン)』などの結婚に対し…
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福田定一(司馬遼太郎)『ビジネスエリートの新論語』の書評3:男・女とサラリーマン

戦後日本、特に高度成長期にはサラリーマンの人生の目標を『立身出世』に置く企業戦士のような人も多かったが、現在では『ワークライフ・バランス』というように仕事以外の私生活・プライベートの充実にかなりの比重を置く人も増えている。 司馬遼太郎も会社人間・企業戦士になることは勧めておらず、サラリーマン作家中村武志氏を例に出して、サラリーマン…
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福田定一(司馬遼太郎)『ビジネスエリートの新論語』の書評2:恒産なければ恒心なしの解釈

サラリーマン哲学の原型を徳川家康家訓の『人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず。不自由を常と思へば不足なく、心に望みおこらば困窮したる時を思ひ出すべし。堪忍は無事長久の基。怒りは敵と思へ。勝つ事ばかりを知つて負くる事を知らざれば、害その身に至る。おのれを責めて人を責むるな。及ばざるは、過ぎたるより優れり』で示しているのは…
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福田定一(司馬遼太郎)『ビジネスエリートの新論語』の書評1:サラリーマン的生き方の原点

司馬遼太郎が本名の福田定一(ふくだていいち)で昭和30年(1955年)に出版した本で、戦後混乱期にある当時のサラリーマンの処世術や時代・価値観の変化について、古今の偉人の名言を散りばめながら記したエッセイ集である。 元本は『名言随筆サラリーマン ユーモア新論語』で、人口に膾炙した歴史小説家の司馬遼太郎とは異なる文章と感性、経験談を…
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前野隆司『幸せのメカニズム 実践・幸福学入門』の書評:人間はどうすれば幸福を感じられるのか?

現代を生きる人間の目的の中心にあるのが『幸福追求』であり、多くの人が幸福になりたいと願い、不幸になりたくないと不安になっている。主観的な幸福感を実感することだけが、人間の生きる意味や価値なのかというと一義的に定まるものではないと思うが、それでも誰もが『幸福追求のプロセスとその帰結(現状の実感)における迷い・悩み・苦しみ』を背負っているの…
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グリム童話『忠臣ヨハネス』と破壊・創造を担うトリックスター(道化+英雄):2

C.G.ユングは普遍的無意識(集合無意識)の内容である元型(アーキタイプ)を直接に知覚・認識することはできないとしたから、アニマ(アニムス)という元型も直接の認識はできない。 だがアニマ(アニムス)の元型のイメージは、『社会的・文化的・時代的・物語的な共通のヒロイン(ヒーロー)のイメージ』として触れることができたり、『実際に激しく…
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グリム童話『忠臣ヨハネス』と理想的・陶酔的な異性像を示すアニマの元型:1

グリム童話の『忠臣ヨハネス』では、死を目前にした老王が家臣のヨハネスに、『お前が父親代わりになって王子の後見をしてくれれば、安らかな眠りにつくことができる』と語り、ヨハネスを国家の秩序・規範の暫時の継承者に指名するのだが、王はヨハネスに『王子に長廊下の行き止まりにある部屋の中だけは見せてはならない』と遺言した。 だが禁止・禁忌はい…
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C.G.ユングのアニマの元型(アーキタイプ)とジェームズ・フレイザーの『金枝篇』の王殺し

分析心理学を創始したカール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung,1875-1961)は、人類に共通する普遍的無意識(集合無意識)の内容を示すイメージとして『元型(アーキタイプ)』を考えた。 元型にはグレートマザー(太母)やオールドワイズマン(老賢者)、シャドウ(影)をはじめとして色々な種類があるが、人間の人生の生き…
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岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』の書評3:共同体感覚に根ざした協力原理と愛・信頼

『第二章 なぜ「賞罰」を否定するのか』では、学級(クラス)を民主主義国家に見立てて教師ではなく生徒を主権者とする、賞賛もしない処罰もしない学級運営のあり方が考えられている。教師が賞罰を厳しく統制して君臨する学級は、独裁国家としての弊害や腐敗を免れないという批判が為されるが、教師自身は『生徒に迎合して褒めすぎて舐められるリスク』と同時に『…
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岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』の書評2:援助する教育論・幸福を得る人間知

本書『幸せになる勇気』は、教師である青年の疑問や悩みに答えていく形で、アドラー心理学の『教育論』としての側面に多くのページを費やしていて、その教育論が一般的な『人生論』にも応用できるように書かれているのが凄いところである。 アドラー自身がドイツ初の児童相談所設立に関わるなど教育活動にも熱心に参加しており、個人心理学(精神分析の発展…
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岸見一郎・古賀史健『幸せになる勇気』の書評1:持続する哲学としてのアドラー心理学

青年と哲人の対話形式でアドラー心理学を分かりやすく説明した岸見一郎・古賀史健の『嫌われる勇気』の続編に当たる。アドラー心理学の教育論と組織論にフォーカスしながら、教師(中学校の先生)の仕事にまるで役に立たなかった『アドラー心理学』に失望した青年の苦悩を哲人が解きほぐしていく。 岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流 アド…
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他者に対する嫌悪・拒絶を生む人間アレルギーと他者の悪意を推測してしまう認知の歪み:1

人間アレルギーでは些細なやり取りがきっかけとなって、『異質性・違和感を感じた他者』に対する嫌悪感・拒絶感が強まり、その相手との人間関係(コミュニケーション)を維持できなくなってしまう。 人間アレルギーを持つ人は、他者の言葉・表情・態度から『自分に対する悪意・敵意・軽視・冷たさ』を過敏に読み取り過ぎる傾向があって、時にそれは『実際の…
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岡田尊司『人間アレルギー なぜ「あの人」を嫌いになるのか』の書評2:過剰な異物認識

人間アレルギーの根本原因として、『愛されず虐げられてきた過去のトラウマ(不信・怒り・憎悪の鬱積と再現)』と『愛着障害による他者との距離感の混乱』を上げている。幼少期から現在に至るまで他者からの愛情・優しさ・保護を受けた感情記憶が殆どない場合(あるいは親も含めた他者から攻撃・拒絶・否定・侮辱を受けた記憶が多い場合)には、他者全般を基本的に…
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岡田尊司『人間アレルギー なぜ「あの人」を嫌いになるのか』の書評1:異質な他者への拒絶・嫌悪

人間には“自己”と“異物”を区別して異物を攻撃・排除する『免疫応答反応』が備わっていて、この免疫によって細菌・ウイルスの感染症から自分の身を守っているが、免疫反応が不適切にアレルゲン(原因物質)に過剰反応してしまうと『アレルギー』が起こってしまう。 本書『人間アレルギー』ではこの身体的なアレルギー反応が、『心理的な拒絶反応・対人関…
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島田裕巳『葬式は、要らない』の書評4:時代の変化で変わりゆく“葬式・寺・祖先崇拝(子孫継続)”

葬式にお金のかかる理由は、近世以降は『ムラ社会的な共同体内部においての見栄・格式・世間体(世俗の地位や功績に応じた相応の豪華さの葬式を営むことが常識とされる)』であった。しかし、その原点には仏教の歴史と相関した『極楽浄土に往生するために現世に浄土を再現しようとする平安貴族以降の考え方(葬式においても豪勢な祭壇を設けたり目立つ宮型霊柩車が…
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島田裕巳『葬式は、要らない』の書評3:日本仏教の歴史と葬式仏教・戒名の問題

日本の仏教の歴史を振り返りながら、日本の葬式文化・葬式仏教の発生と変化、高コスト化(贅沢化)について説明しているが、葬式文化の原点におけるエッセンスになっているのが『平安貴族の浄土教信仰(死後に極楽浄土に往生したい悲願)』と『近世以降の村落共同体内部における地位・見栄・世間体』である。 朝廷の高位高官を独占して俗世の栄耀栄華をほし…
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島田裕巳『葬式は、要らない』の書評2:葬式になぜお金をかけるのか?少子高齢化の影響

現代の都市部では、地縁血縁のある人や助け合える相手がいない『無縁社会の問題』が多くなってきた。地縁血縁から切り離されて配偶者・きょうだい・親族もほとんどいない『無縁者・天涯孤独な人(身寄りのないご遺体)』も増えてきていて、豪華な会場・僧侶の読経・戒名などを省略し、自宅で簡単な祭壇を設けて一晩を過ごし翌日に火葬に送る『家族葬(密葬)』や納…
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島田裕巳『葬式は、要らない』の書評1:葬儀・慰霊の歴史的普遍性と外国に比べて高い日本の葬式費用

人生でもっとも大きなお金のかかるライフイベントの一つとして、結婚式や葬式に代表される『冠婚葬祭』の行事がある。冠婚葬祭は規模や人数、設備、豪華さによってそれにかかるコストは大きく違ってくる。 現代では極論すれば、入籍だけして『結婚式』は上げなくても良いし、『葬式』は家族葬(密葬)・直葬にして華美な祭壇を作らずに済ませてしまっても良…
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天皇・農村と境界領域に生きた非農業民:日本史における神聖なるものと卑賤なるものの距離

生活共同体の互助から外される村八分を恐れるのが『有縁(農民)の世界』であるが、縁切り寺を象徴的なものとする『無縁(漂白民・宗教勢力)の世界』においてはむしろ『縁・絆から生まれる束縛・強制・不自由』から人を解放する作用のほうが重視されたりもした。 網野善彦の百姓論と柳田国男の常民論と戸籍・徴税:日本史における擬制的な親子関係 …
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網野善彦の百姓論と柳田国男の常民論と戸籍・徴税:日本史における擬制的な親子関係

日本は『神の国』だという森喜朗元首相の発言が過去の天皇主権体制を意図しているのではないかということで物議を醸したこともあったが、『神の国』というのは『瑞穂(米作)の国』と並ぶ日本の画一的・伝統的にそう思われてきた国家観の一つであると言って良い。 網野善彦の非農業民に注目した百姓論と日本の地域の多様性:日本人観のステレオタイプ …
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網野善彦の非農業民に注目した百姓論と日本の地域の多様性:日本人観のステレオタイプ

日本の国土の大部分で米作りの稲作(水田農耕)が行われてきたという『瑞穂の国』の伝統的な日本観は、古代ヤマト王権にまで遡る江戸時代以前の時代に日本人の一般庶民の大半が『百姓(ひゃくしょう)』と呼ばれる農民だったという単一農耕民族(定住民たる農民)の伝説を作り上げてきた。 水田の稲作に適しているのは一部の棚田を除けば『平野部』であり、…
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