池袋暴走事故について:高齢者の交通事故・運転免許制度・心身の健康度

19日午後0時25分頃、東京都豊島区の池袋で飯塚幸三氏(87)が運転する乗用車が、完全に制御を失った状態で150メートルも暴走して、母子の死亡をはじめとして10人もの死傷者が出ました。

この事件では、運転前から高齢であるだけでなく、足・関節を痛めて健康状態に問題があることが明らか(杖をつかないと歩行できず車の運転技能も低下していた状態)であった飯塚氏が、運転を続けて悲惨な事故を引き起こしたことに非難が集まっています。

池袋暴走事故で松永真菜さん(31)と長女の莉子さん(3)の母子がひかれて亡くなりましたが、夫の会見を見ても、故意ではない交通死亡事故は感情の持って行きばがないという意味で、残された家族にとって非常につらくてやりきれないものだと思います。

特に、「高齢者の心身機能の低下・異常」を前提とする交通死亡事故は、わざと人ごみに車を突っ込ませる無差別殺傷事件などではなく、加害者もわざとひいたわけではないため、「怒り・憎しみの感情」はあっても直接的にぶつけにくくなります。

インターネットでは、加害者の飯塚氏に対する報復感情や怨恨感情が罵詈雑言として渦巻きやすいのですが、被害者遺族の立場では「復讐・報復・怨恨」よりも「悲しみ・寂しさ・絶望感」のほうが圧倒的に強く、(個人差はありますが)死刑・無期懲役などの応報刑を想定して復讐したいとも思いにくいように思います。

夫も「妻も娘も人を恨むような性格ではないこと」を語って、「加害者に対する恨みつらみ」よりも「妻・娘を失った悲しみ・寂しさ・非現実感」と「今後、悲惨な事故を無くしてほしい思い」を中心にした気持ちを述べていました。

これから生じてくるであろう遺族の喪失感や空虚感、絶望感を回復させることは簡単なことではありませんが、不調を抱えた高齢者ドライバーに向けられた「わずかでも運転に不安・心配があるのなら乗らないでほしい」という夫の訴えが、少しでも今後の理不尽・悲惨な交通事故を減らす結果につながればと願います。

無論、わざとではない交通死亡事故は「結果の重大性(取り返しのつかない死亡)」に対して、刑罰・行政罰が甘すぎるのではないかという意見も納得できる部分はあります。被害者が亡くなっても、飲酒運転・暴走運転(大幅な速度超過)など明らかな危険運転でなければ、業務上過失致死傷罪の相対的に軽い罰則に留まり、よほどの悪質性がなければ交通刑務所に実刑で収監されるようなこともありません。

今回のような後期高齢者の世代の人が加害者となる死亡事故では、元々、心身機能や認知機能の低下が感じられることもあり、加害者に対する怒り・恨みがあっても相手を厳しく攻撃したり責めたりしても虚しいという心理にもなりがちです。

池袋暴走事故では、飯塚氏に元高級官僚としての肩書きがあり、入院中(胸骨に亀裂が入った怪我)で逃走・証拠隠滅の恐れがないとして逮捕もされていません。

そのため、マスメディアにおける飯塚氏の呼称が「容疑者」ではなく「旧通産省工業技術院の飯塚幸三元院長」と繰り返し報じられていることから、ネットでは「元権力者・元官僚のエリート・一級国民に対する忖度や遠慮ではないか」との声もでています。しかし、検察官・弁護士などのコメントを見ていると、意図的な危険運転・飲酒運転ではない交通死亡事故で本人も怪我をして逃走の恐れがないケースでは、現行犯逮捕せずに在宅起訴で処遇することは少なくないようです。

池袋暴走事故は、約120キロで暴走した結果(高齢・足の悪さを押して無理に運転した結果)の被害規模が大きく、これから明るい未来があったはずの母子が亡くなった悲惨さが際立つ事故なので、「殺人事件相当の厳しい扱い」を望む声が多いのですが、法律的な扱いとしては「自動車運転処罰法違反(業務上過失致死傷)」なので厳しい対応にはなりにくいのです。

また、自分や家族・知人が交通死亡事故の加害者になってしまった時にも、「偶然性・不運性」が絡む事故の場合には、「殺人・傷害相当の故意犯」として扱われるのは理不尽に感じることもあるし、元々は「心身機能・認知機能が低下した高齢者の交通事故の責任問題や事故率上昇」を法律が想定しないところに限界があります。

高齢者の運転免許制度の是非、高齢者の自分の運転能力に対するセルフモニタリング(自己観察・自己評価)、高齢者の周囲にいる家族親族の助言・免許返納のすすめなどが課題になってきますが、「本当に車がなければ生活ができない環境・条件がある高齢者」と「都市部で車がなくても何とか生活できる高齢者」は分けて考える必要もあるでしょう。

運転免許の更新基準を厳しくして、簡易であっても認知機能検査に加えて実地の運転技能検査も加えるべきというのは一案ですが、高齢者の運転技能や心身機能の問題は「検査時点で正常であっても、数ヶ月程度の期間があれば極端に機能・状態が悪化したり、発作的な心停止・意識消失も起こりやすい」ということにあるでしょう。

その意味では、何歳になっても一度免許を取得していれば、死ぬまで運転ができる前提(人間の老化による病気・機能低下・突発的な発作・意識障害・判断能力低下のパニックなどを無視できる前提)になっている現行の運転免許制度が、超高齢化社会の中で限界に直面してきているところもあります。

本人が元気で運転できるという自覚があり、ギリギリのラインでも認知機能や運転技能検査をクリアすれば、80~100歳以上でも運転して構わないというのは、高齢者の運転技能(注意力・判断力・身体能力)や交通事故の現状ではおかしいと思う人も増えているでしょう。

飯塚氏にしても87歳という年齢や足・関節の故障を考えれば、客観的には「安全運転を安定的に継続できるだけの心身機能を保てていない状態」にあったと推測され、実際にこのような大事故につながってしまったわけです。

「事故防止を意識した運転免許制度の運用・更新基準の見直し(田舎・過疎地・公共交通機関のない地域など特段の事情がある高齢者には配慮しても良いとは思います)」が急がれますが、行政も「マイカーなしでも高齢者が日常生活に困らない公共交通インフラの充実・安価な相乗りタクシー運用」などに力を入れていくべきでしょう。


スポンサーリンク







■書籍紹介

超高齢社会の基礎知識 (講談社現代新書)
講談社
鈴木 隆雄

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト


この記事へのコメント

この記事へのトラックバック