自己価値や幸せを実感するため『欲求・野心・競争心』とどう向き合うか?:自分に適切な欲求のレベル

人間にとっての『欲求・野心』は人を幸せにもするし不幸にもする。一般論としては人間の『幸福追求』『欲求充足(目標達成)』と結びつけて語られることが多く、欲求が満たされれば“快”を感じて、欲求が満たされずに欲求不満に陥れば“不快”を感じてしまう。

ヒューマニスティック心理学のアブラハム・マズローは人間の欲求には低次から高次へと向かう段階があるとする『欲求階層説』を唱えた。

自分の潜在的可能性を発揮して他者に貢献するという『自己実現欲求』に至るまでの人間の欲求は『生存本能・安心・所属・評価』に関係しており、その多くは『他者・社会(集団)から自分の存在価値を認められて、心地良い居場所を作りたいという欲求』に根ざしている。

『欲求・野心』を持たないよりも持ったほうが幸せになれるという考え方もあるが、それは『欲求を全く持たない』よりも『欲求を適度に持った』ほうが目的意識や競争心、生きがいが出て、結果として幸せを感じやすいといった意味合いである。

欲求・野心が強ければ強いほどに良いということではなく、『自分の能力・努力・適性のレベル』を無視した強烈な欲求・野心は、往々にして『実現不可能な妄想・夢想』になりやすく、ただ理想的な状態を言葉にするだけになりやすい。理想的な状態を言葉にするだけだと、初めから越えなければならないハードルが高くなりすぎて、頑張っても無駄の意識になり『結果として何もしないままに終わること』になりやすいのである。

自分自身が達成可能な適度な目標を立てて努力や工夫をしていこうとすることを『欲求・野心』と呼ぶならば、自分自身の能力・適性を度外視して、社会の中で非常に大きな成功をしたいとか歴史的な役割を果たしたいとかいうような多くの他者から強く承認・賞賛・尊敬されたい欲を『欲望・野望』と呼ぶことができるかもしれない。

この意味における『欲望・野望』を持つこと自体が悪いわけではないが、現時点の自分がどう足掻いてもどんなに必死に努力しても実現できない大きすぎる目標を立てることは、逆に『何も努力しないこと(どうせ無理だから何もしない)の言い訳』にもなりやすく、その目標をどのようにすれば実現できるかの方法やプロセスさえ分からないようであれば『自己肯定感・自信を高める欲求の対象』としては不適切ということになる。

今の自分にとってふさわしい『欲求・野心』であるかどうかは、その欲求・野心を実現しようとする時にまず何から手をつければ良いかが分かっていて、『目標の達成・問題の解決へ向かおうとするエネルギー(前向きな意欲・モチベーション)』が沸き上がってくるかどうかで分かる部分がある。

今の自分がどうやっても実現できない『欲望・野望』になってしまっていると、その欲望・野望を実現していくための方法ややり方が全く分からなかったり、前向きなエネルギッシュな態度(持続的なモチベーションの高さ)が見られないということになる。

自分の能力・意欲を空回りさせずに上手く活用していくためには、『自分にとって適度な欲求・野心のレベル(荒唐無稽・非現実的な大きすぎる野望に傾きすぎない)』をまず見定めていくこと、その上で『欲求・野心を実現するための方法・やり方のプロセス』を具体的にイメージできるかどうかが重要になってくる。

『他者との競争心(優越欲求)』というのも欲求充足ややり甲斐に役立つことは少なくないが、相手を殊更に貶めたり傷つけたり嫉妬・憎悪したりするような競争心は劣等コンプレックスに根ざした不健全な競争心である。

自分と同等以上の能力や実績、状態がある他人と切磋琢磨する形で競争して自分を高めていくことはやり甲斐・上達につながるが、『他人を否定・非難・侮辱することによって得る競争的な優越感』は自分自身の本当の価値の実感や技能の上達にはつながらない。

相手を否定することで自分を持ち上げようとするマウンティング的な競争心は、自分の実力・実績を努力して高めることよりも、『自分を実際以上に見せかけようとする虚勢・自信のなさ』『相手を落とすことで満たされる嫉妬・ねたみの感情の変形』になってしまう恐れのほうが強いからである。


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