森博嗣『彼女は一人で歩くのか?』の書評:超長寿化・生命創造による人口減少世界

科学技術の驚異的な進歩によって、人間の寿命が数百歳以上にまで延びた代わりに子供が産まれなくなった近未来を舞台に展開されるSF小説で、人間の死生観とテクノロジーについて考えさせられる。近未来社会に生きる人類のシミュレーションのような物語の流れが面白いだけでなく、現在進行形の高齢化社会や少子化問題にも関わってくるテーマ性もある。

ハギリ博士の助手であるアカマの研究室が突然爆弾テロで襲撃される。ハギリは政府関係者のウグイから護衛されながらテロで狙われた理由を探索するが、ハギリの研究内容である『人間とウォーカロン(人造人間)を区別するための脳波の測定技術・測定機器』が原因であるようだ。

あらゆる病気を排除できるクリーンな人工細胞を作製した生命工学の権威であるアリチ博士も毒物で暗殺されてしまう。このアリチ博士の人工細胞の移植によって人間は何百年も生きられるようになり、それまでの健康・寿命・生殖(出産)のパラダイムが劇的に転換してしまった。アリチ博士は死亡した自分の妻を、人工細胞でウォーカロンとして複製したようで、『死んだ人間の技術的再生』といった倫理学的タブーも侵犯されている。

人間は自分自身が何百年以上も健康な状態で生きられるようになると(作品中の研究者や働く人たちは100年以上も自分の仕事をマイペースで継続することができ世代交代がほとんど起こらない)、子供を持つ動機づけや必要性を急速に失っていった。ハギリ博士は80歳であり、アリチ博士は160歳を超えているというが、人工細胞による人体の再構成によって外見や能力が一目で分かるほど老化していくということもない。

それだけでなく、完璧でクリーンな人工細胞で生体が構成される比率が高まるにつれて、本人が『子供を持ちたいか否か』に関わらず、生物としての生殖能力そのものを失い始めている。生命工学的な寿命の長期延長によって、死の概念が持っていた『死の恐怖・生命の限界・人生の終焉・死別の悲しみ』といった意味合いも失われていった。

クリーンな人工細胞の移植技術によって半永久的に生きられるようになった人間は、生殖能力を衰退させて子供を産めなくなった代わりに、人工知能と人工細胞を組み合わせた『ウォーカロン』という人造人間を技術的に作り出した。

人工細胞の頭脳に高度に発達した人工知能(AI)をインストールすることによってウォーカロンが創造されたが、オリジナルの人間(母胎で成長して生み出された人間)とウォーカロンは外見的にも能力的にもほとんど違いがなく、『どこで生み出されたか・いつまで培養装置の中にいたか』という違いがあるだけである。

人間の寿命が長くなり、労働力確保のためのウォーカロンが増加するにつれて、20世紀末(約200年前)の先進国から始まった『人口減少』が深刻化して、22世紀後半には地球の人類の人口は最大時の3分の1から4分の1にまで落ち込んでいた。

精子と卵子が受精しなくなり、受精したとしても成長しなくなってしまったが、不妊(受精不能・受精卵の成長停止)の原因は明らかにはならず、何らかの新種の病原体かクリーンすぎる人工細胞の移植が原因なのではないかと推測されている。人類だけではなく地球上のさまざまな動物の個体数が減少を続けており、既に絶滅してしまった動物種も多いが、植物の生態系・個体数にだけは異常が起こっていないのだという。

ウォーカロンは現在では『人間ではない』と呼ばれるだけの存在になっているが、現実にはウォーカロンと人間には見た目にも能力にも感情にも何の違いもないとされている。ウォーカロンが創造された当初は『ウォーカロンが増殖して人間に取って代わる脅威』が反対派に宣伝されたりもしたが、ウォーカロンには生殖能力はなかった。しかし今度は、人工細胞を移植されて長寿化したオリジナルの人間のほうが子供を作れなくなっていったのである。

少子化と人口減少の副次的な恩恵として、人間世界で絶えることのなかった戦争・武力衝突が沈静化した。『人間というものは、自分たちの文化や思想を受け継ぐ子孫がいなければ、戦う理由も気力も失うということだろうか』という本書の言葉は、人類が国家・民族・宗教の集団単位で争い合う心理構造を的確に指摘したもののようにも感じるし、実際、子孫繁栄に欲求が強い集団・民族ほうが野性的な生命力に溢れていて戦闘的・防衛的な感情(武力による利害競争)も高まりやすいだろう。

研究室の爆弾テロに続いてジェット機の爆撃も起こり、命を狙われているハギリ博士はアクション映画のような展開に巻き込まれていくが、主人公のハギリと感情を表に出さないウグイとの知的なコミュニケーションのやり取りも面白い。

人類が抱える出生率激減の問題とハギリ博士の持つ『人間と非人間(ウォーカロン)を区別する近似式の測定技術』がどのように関わってくるのか、出生率の回復を望まない人工細胞やウォーカロンで利益を上げている生産者・投資家がハギリの持つ理論・技術を抹消しようとしているのだろうか。

遺伝子登録情報によって本物の人間(オリジナルの人間)であるかどうかは厳密に管理されているという建前になっているが、そもそも人間とウォーカロン(人工細胞由来の人造人間)の違いがほとんど無くなってしまっていて、人間もウォーカロンも子供を産めないという条件がある以上、両者を区別する意味や目的があるのかという疑問も立ち上がってくる。

人間が子供(次世代)を持つ大きな理由というか前提条件の一つは、やはり誰もが例外なく『自分はいつか老いて死ぬこと』が分かっていることであり、どのようにしても『老化・死の運命』を避けることは現状では不可能だからである。古代の昔から中国の始皇帝やエジプトのファラオのような最高権力者は、権力も財力も野心もすべてが無に帰してしまう『死』を恐れて、何とかして『不老不死』を手に入れようとしたが無駄な足掻きでもあった。

『不老不死』を願うということ自体が、今が最高に満たされている権力者・富裕者の傲慢不遜ともいえる。だが、人類の医療・生命工学・科学技術は『病気の克服や病原菌の撲滅・救命と死の回避』によって寿命を延長してきた歴史があるし、現代社会でも『アンチエイジング(老化の遅延のための商品・技術・医療)』は巨大市場を形成しようとしている。

ある程度以上に満たされている人間は、本音の部分では技術的にもし可能であれば、『老化・死』をもっと遠ざけたいと思っていること(そういった技術・医療があれば大金を出してでも買いたい人が大勢いること)もまた否定しがたい事実ではあるだろう。

森博嗣の『彼女は一人で歩くのか?』では、『超長寿化(病気撲滅・不老不死への接近)』『生命創造(労働力確保のためのウォーカロン製作)』が科学技術の進歩によって達成された近未来が描かれているが、これらは人類の夢であると同時に科学哲学的あるいは生命倫理学的なタブーでもある。

老いることなく死なない人間は子供を持つ本能的欲求やモチベーションを失いやすく、自分の代わりに社会で必要な労働を担うウォーカロンのような人間でないものとされる存在が作り出されれば(ウォーカロンは敢えて人間よりも優れた完璧な存在・知性にならないようにプログラムされている)、オリジナルの人間の必要性も薄れていく。

人工知能(AI)が人間の知能を超える『シンギュラリティ(技術的特異点)』が話題になる現代において、AIとロボットの科学技術進歩の先にある未来社会を想定した意欲的なSF小説だが、『人間は完全性を高めて不老不死や労働からの解放に近づくほどに自己の存在意義・複製欲求(生殖能力)を失っていく』というのは逆説的な真理としての一面があるだろう。

現実の現代社会で起こっている少子高齢化や人口減少の問題と照らし合わせて読むこともできるし、人工知能(AI)やロボットの技術進歩が切り開いていく未来の世界のシミュレーションとしての思索を巡らすこともできる。

そして『完璧なものに近く欠陥が少なく争いを好まない穏やかな人格というウォーカロンの特徴』こそが先進国の人々が追い求めてきた理想的な人間像であると同時に、生存・生殖の本能が弱い(人口減少を加速させる原因)という意味では非人間的(非動物的)な特徴にもなっているのである。

裏返せば、オリジナルの人間の生存・生殖を強く欲求する動物的本能(他者と競合して追い落としてでも自己保存本能を優先して生き抜く傾向)がある限りは、子供は産まれて人口は増えるが争いも減らないというシニカルな事実を指摘してもいるのだが、ストーリーの内容と合わせてウォーカロンとの比較の思考実験から『人間とは何か?』という哲学的な定義問題を刺激してくれる作品である。


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■書籍紹介

彼女は一人で歩くのか? Does She Walk Alone? (講談社タイガ)
講談社
2015-10-20
森 博嗣

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