村上春樹『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』の書評:2

免色渉は『個人主義・自由主義』の現代における典型的成功者である中年男性のイデアとして機能しているが、その免色が『冤罪で拘置所の狭い場所に長く閉じ込められる恐怖の経験とその克服』をしているのは象徴的であり、免色という存在そのものが『他者・共同体とストレートにつながれない現代人の孤独と愉楽』を感じさせるのである。

個人主義的な生き方を貫いて退屈することを知らない免色渉という人物の中には、孤独と愉楽が同時に内在している。

村上春樹『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』の書評:1

免色は私に一人で広い屋敷で暮らしていて退屈することはないのかと問われて、『私には考えることがたくさんあります。読むべき本があり、聴くべき音楽があります。多くのデータを集め、それを分類し解析し、頭を働かせることが日々の習慣になっています。エクササイズもしますし、気分転換のためにピアノの練習もしています。もちろん家事もしなくてはならない。退屈している暇はありません』と答えるのだが、こういった独身の中年男性である程度の経済的余裕のある人の孤独と愉楽が両立した多趣味で教養的なライフスタイル(そのやりたいことに囲まれたライフスタイルを個人主義で突き詰めれば結婚や子供、家族との共同生活が困難にもなる)というのは今では珍しいものでもない。

村上春樹『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』では、物語の主題にも触れるような大きな事件が三つ起こる。一つ目は、秋川まりえが学校の帰りがけに突然姿を消して、私の絵画教室にもやって来なかったことである。

まりえの叔母の秋川笙子から電話を受けて、私はまりえが行方不明になっていることを知り、免色渉にも連絡して一緒に林の中の『穴』を調べにいく。穴の中にはまりえが愛用していたペンギンのストラップが落ちていて、私と免色は『穴がどこか別の場所とつながっている可能性』について考えている。

二つ目は、伊豆高原の高齢者養護施設にいる認知症・衰弱が進んだ画家の雨田具彦と会って、そこで『騎士団長殺しの絵の中の世界観(不思議な登場人物)』が“私”を当事者として巻き込む形で再現されるという事件である。

『騎士団長殺し』は複層的かつ多元的なメタファーが張り巡らされたリアリティーのあるファンタジー小説であり、こういった現実世界と幻想世界を往還させて『迷い悩みながら現代を生きる私(自我)の生き方・あり方』を改めて考えさせるという小説の創作手法は村上春樹が非常に得意とするもので、現実と幻想の境界線を意識させないうちにメタファーに取り巻かれた記号的・回顧的な幻想の世界に引きずり込んでいく上手さがある。

『騎士団長殺しの絵の中の世界観(不思議な登場人物)』が雨田具彦の高齢者養護施設の部屋で再現されるのだが、騎士団長の仮りそめの姿をとっているイデアがその再現を誘導していて、その意図は『学校の帰りがけに行方不明になった秋川まりえを取り戻すこと』にある。

雨田邸の近くにある林の中の『穴』ともつながっている幻想的な異次元の世界の入口が、『騎士団長殺しの絵の中』にあるとイデアはいう。まりえが迷い込んだ異次元の世界に行くには“私”が絵にあるように騎士団長を剣で刺し殺して、異次元につながる穴から顔を覗かせている『顔なが』を引っ張り出さなければならないのだ。

騎士団長はイデア、顔ながはメタファー(暗喩・隠喩)と定義されているが、村上春樹が『騎士団長殺し』の副題として“顕れるイデア・遷ろうメタファー”とつけているように、本書ではイデアとメタファーが『本の世界と読者の世界・事象世界と表現技法』の関連性を規定している。現実と幻想という全く異なる二つの世界は、『テキストのメタファー』を介して、私たちの脳の中でいつも瞬時につながっているのである。

雨田邸の祠の裏にある『深い穴』と『顔ながが蓋を持ち上げている穴』は、メタファーの世界への通路(メタファー通路)であり、一つの解釈としては異次元の世界であると同時にテキストをメタファーを介して解釈してしまう人間の脳内世界(言語界)につながる通路なのかもしれない。ある同じテキストを読んだ時でも、人によってそのテキストのメタファーが生み出す事象・世界・意味の解釈はさまざまに異なってくる、故にメタファー通路は個々人によって異なる道筋(人生)にもなる。

私は不思議なメタファー世界を進んでいく、喉の渇きに耐えられずメタファー世界の川の水を飲んで、『顔のない長身の男』に渡し賃(代価)としてまりえのペンギンのフィギュアを差し出し、船で向こう岸に渡らせてもらう。小さな頃から閉所恐怖症である私に、どこにつながっているかも分からない『暗くて狭い洞窟の横穴』の中を進んでいくという試練が科されることになる。

このメタファー世界はファンタジーなのだが、そこに登場する顔のない長身の男や小柄なドンナ・アンナが語る言葉のほとんどは、『行動すれば関連性が生まれる・行く先は自分の意思で決定するしかない・進んで開ける新たな光景から目を逸らしてはいけない・自分の心の中にある暗い深淵(二重メタファー=スバルフォレスターの男)』など、現実世界における人間の人生にもそのまま通用するものになっている。

『騎士団長殺し』は“私”と免色渉と秋川まりえと雨田具彦と雨田政彦と秋川笙子などの個性的なキャラクターと印象的なコミュニケーションを通して(免色邸に忍び込んだ秋川まりえの冒険やイデアによる手助けも読み応えがある)、読者の脳内の言語世界にさまざまな『メタファーからの想像力』を植え付けていく。

“私”と免色渉というモラトリアムな中年期の男性にとっての救済の道筋が“女性(妻との復縁・娘の見守り)”を通して指し示されることもまた『現代人にとってのメタファー』として受け取ることができる。さらに、イデアやメタファーなどに関わっていられない忙しい時期を迎えようとしている知的で勇気のある秋川まりえの成長、私とユズの間にできた物理的な性行為を介していない(夢の中で犯罪的にユズと交わってできた)子供の出産を通して『次世代の希望』も紡がれている。

『騎士団長は本当にいたんだよ』『信じた方がいい』と、“私”は秋川まりえやまだ赤ちゃんのわが子“室(むろ)”に語りかけてエピローグとなるが、騎士団長のイデアや別次元の世界の存在をそれとなく信じるような心的態度が『文学的創作の価値・意味の底』を支えていて、村上春樹の『騎士団長殺し』も現実と幻想をナチュラルに接続してしまう言葉・文章・メタファーの力の可能性を、苦悩する現代人に対して改めて示していると感じた。


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■書籍紹介

騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編
新潮社
2017-02-24
村上 春樹

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