舛添要一都知事の政治資金流用疑惑と金銭感覚のズレ2:トップエリートの特権意識は通用しない時代に

舛添知事の政治資金の流用疑惑では、初めからザル法として制定されている『政治資金規正法上の違法性の有無』が争点になっているのではなく、『舛添知事の公人としての金銭感覚・適格性・税金の使い方』などが争点になっていたはずだが、第三者の厳格な判断を仰ぐという建前から『法的責任の有無・違法性の高低』に焦点が合わせ直されてしまった観がある。

舛添知事は強制的に逮捕されたり辞任させられたりするほどの『政治資金の使い方にまつわる明確な違法行為』は無かったという法律専門家(経済事件を捜査する側だった東京地検特捜部の元検事)の結論を強調することで、『不適切な公金の使い方についての謝罪・反省=道義的責任・知事の資質問題』『政治資金規正法の違反=知事(公人)の出処進退の問題』とをロジカルに切り離すような詭弁めいた戦術を取ったと言える。

舛添要一都知事の政治資金流用疑惑と金銭感覚のズレ1:経費で自己負担を減らしたい誘惑

そういった姑息な説明や詭弁とも受け取られる論法では、法律的・論理的には辞めなくても良いというだけで、舛添知事の公金の使い方やお金(特権意識)の絡んだ人間性に怒りを爆発させている大多数の都民・国民を納得させることはできないだろう。

その一方で、今までも『政治とカネの問題』は何度も繰り返されてきた問題であり、舛添知事が『的外れで機械的な対応(真面目に聞いても得られるもののない中身のない対応)』を繰り返すことによって、人々の興味関心が離れやすいという問題(舛添知事にとっては戦術上の成功だが)も起こっている。舛添氏のお金の疑惑や人格の問題に関するニュースそのものが食傷気味になっていて、これ以上は見たくない聞きたくもない(どうせ同じような発言を延々と繰り返されるだけで聞いても不快なだけで意味がない)という気持ちになりやすくなってしまうのである。

舛添知事は『強制的な辞任・退場(署名要件のハードルが高いリコール)』をさせられることはないという法的根拠に基づいて辞任しなくてもやり過ごせると思っているが、その根底にあるのは『政治資金規正法の抜け道の多さ(政治資金の使い道には制限がない)+政治資金の応用範囲を、財布を大きくしたい政治家が意図的に広げてきたこと(政治関連の名目+妥当な金額ならその内容までは細かく精査されない前提)』という今までの偏った政治家の慣習・意識なのだろう。

特に『政治関連の名目+妥当な金額』を政治資金収支報告書に記載して申告すれば、その名目や金額がよほど常識はずれなものでない限り、流用や不正の問題を指摘されないという前提的な意識があったことが、今回の問題の発端になっていたと思われる。

例えば、『名目=会議費・金額=20万』であれば、大体ここのホテルで会議を開いていればこのくらいの金額がかかるだろうというものなら無条件で承認されるといういい加減な意識が引き金となる。今回の舛添知事の温泉旅館での会議や出版社社長は実在しなかった可能性もあるが、極論すれば実際に会議をしていなくても収支報告書内の名目と金額さえ妥当ならば、今まで『よほど疑うに足る内部・外部からの不正告発』でもない限りはその会議があったものとしてその金額で自動処理されていた杜撰さが問題の原点なのだろう。

『名目=書籍代・絵画代』にしても、それで金額が1万なり3万なりの妥当な範囲内であれば、実際にどんな本を買ったのかどんな絵を買ったのかまでは、敢えて監査する側も興味関心を持たず見ないふりをしてきたのではないだろうか。少し前までは『一定範囲内の名目が立っている私的流用(書籍代ならば10冊の政治関連の本を買ってついでに個人的に読みたい本・雑誌も何冊か追加するなど)』であれば暗黙の了解で見過ごしてきた構造上の問題があるだろう。

経費の細目を一つ一つ丁寧にチェックすればそのチェックコストが膨大になる割に実際の不承認による節約効果が薄いということもあるが、国民の経済生活が日々圧迫されていて重税感が高まっている現状において、政治家が税金をポケットマネーのようにして経費で使い込むような行動は今後ますます許されなくなっていくだろう。

かつては舛添知事のように自分の生活費・雑費・遊興費の一部を政治資金の経費で落としても、それなりの名目が立って金額が極端に大きくなければ無条件で容認されていた時代(政治家の政治資金上の特権が容認された時代)もあったかもしれないが、現代はコンプライアンスの面でも財政規律の面でも市民意識の面でも『政治家・権力者だからこれくらいの無駄遣いは許されるという特権的な恣意的判断』は許されなくなっている。

少しでも『政治とカネ』のつながりで疑わしい部分が指摘されてしまうと、それ以外の政治資金の使途の細目やどこからそのお金が来たのかの経路も細かく調査される可能性(民間における税務調査を受けるような可能性)が高まっている。だから、杜撰な会計管理やいい加減な経費計上、口利きによる献金の受け入れなどは思わぬ政治生命にとってのリスクになりかねないのである。

舛添知事は『政治資金の私的流用疑惑』であらゆる方面から集中砲火を浴びて道義的・人格的なバッシングを受けているのに、平然とした顔でマスメディア(テレビカメラ)の前や都議会の壇上に姿を現して、ほとんど誰も受け容れないような内容の『一方通行の説明・続投の決意表明・事務的な対応』を繰り返し続けている。

このことから、どんなストレスや圧力にも負けずに自分の考えを貫けるという意味で『メンタル最強』などとも言われているが、なぜ舛添都知事はどれだけ批判・非難・罵倒(野次)を浴びても精神的に折れずに知事の座に留まり続けられるのだろうか。

明らかな自分側の落ち度がある場合(正当な反論がほとんど不可能に近い場合)、人によってはストレス耐性が弱ければ、公衆の面前での厳しい疑惑追及・辞任要求、あるいはウェブ上での人格否定・罵詈雑言は、自殺を考えるほどの強烈なショックになることもあり得る。実際、過去には不正な会計支出問題を追及されて自殺してしまった閣僚もいるほどだが、そこまでいかなくても不特定多数から激しく突き上げを食らうとストレス反応で心身の調子(自律神経系の働き)を大きく崩したり、人前に出て答弁や自己主張できるような落ち着いた精神状態ではなくなってしまうことが多い。

あっせん利得処罰法違反(贈収賄)の疑いをかけられ不起訴になった甘利明前経済再生相もそうであったが、自分の不正・問題の疑惑を厳しく追及される不利な状況になると、人前に出て答弁・自己主張できる通常の精神状態を維持できなくなったり、迂闊な答弁をして失点を重ねたくないということで、『体調不良による社会的入院』をしてしまうことも多いのである。

舛添知事の場合には甘利氏とは違って『法的に深刻な問題(違法行為による逮捕起訴のリスク)』がないので、その分、どんな迂闊で適当な答弁をしても刑事責任を追及されたり強制的に辞任させられたりのリスクはないという認識を持っているのかもしれない。そうであっても、これだけ痛烈な批判・否定や人格攻撃の非難を連続的に浴びせられれば、大半の人はメンタルヘルスが悪化して心身に何らかのストレス反応が出るか、これ以上マスメディアの前や議会における質疑応答に耐えられない精神状態に追い込まれて、『辞任したほうがマシ』だと考えてしまうだろう。

最近は記者の質問も遠慮がなくなってきていて、『(これだけの辞任要求が出ていてもまったく辞めると口にしないが)どのようにすれば知事に辞めて頂くことができるのでしょうか』など、知事に皮肉・嫌味をぶつけるようなストレートな攻撃的質問も多く出るようになっている。舛添知事はこういった辞任要求(知事としての不適格性)を突きつけるような質問に対しても、『一生懸命に知事としての仕事を果たしていくことが信頼回復につながると信じる』といった同じ内容の回答をオウム返しするばかりである。


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