グレートマザー(太母)の示すネガティブな女性性と河合隼雄のグリム童話『トルーデさん』の分析

ユング心理学を専門とした河合隼雄氏は『昔話の深層 ユング心理学とグリム童話』において、グレートマザー(太母)をはじめとする女性性(母性性)の持つアンビバレンツを反映したグリム童話の物語として『トルーデさん』『蛙の王様』『黄金の鳥』などを上げて説明している。特に、殺さなければならない何の理由もない女の子を棒切れに変えて暖炉の火の中に投げ込んでしまう『トルーデさん』は、グレートマザーの非合理的かつ恣意的な恐ろしい悪母・魔女のイメージとして取り上げられている。

ユング心理学のグレートマザー(太母)の元型が持つ善悪の二面性:昔話・童話の物語やイメージの分析

主人公の女の子は確かに『わがまま・生意気な親の言いつけを守らない子』であり、『親の言うことを聞かないと危ない目に遭う』という一種の教訓話としても読めるのだが、女の子があっけなく炎の中に投げ入れられて焼かれてしまう結末はあまりに残酷で理不尽である。親が行ってはいけないと止めているにも関わらず、興味本位で不思議な女性のトルーデさんのところへ出かけていき、体がガタガタと震えるほどの恐ろしい経験をして、最後には魔法で木の棒に変えられて焼き殺されてしまうのだが、トルーデさんは少女が炎で焼かれている様子を眺めながら、『やあれ、あかるいことあかるいこと!』と言って冷酷に無邪気に喜んでいるのである。

魔女のトルーデさんには、道徳的な善悪や人道的な倫理観などは通用しないのであり、女の子が命乞いをする暇も与えず、ただ寒かったからなのか機嫌が悪かったからなのか、特別な理由もなく木の棒に変えた女の子を炎の中に投げ入れて喜んでいるのである。

グリム童話の『トルーデさん』は、思い通りにならない理不尽で非合理的な人生のリアルを切り取った物語であると同時に、グレートマザーの恐ろしい悪母(魔女)のイメージを示しながら、更にトルーデさんの家を訪ねるという女の子の軽率な行動を描くことで『女の子らしい好奇心・知りたい欲求』が潜在的に持つ危険性(好奇心によって危険な人・場に誘われてしまう)についても知らせている。

少女時代には特に、何でもかんでも知れば良い(気になるものに近づけば良い)というわけではない、好奇心が行き過ぎて思わぬ危険・死に近づくことがあるといったトルーデさんの元型から導かれる『女の子の人生に生じる好奇心・誘惑の危険』というのは実際の女の子の人生にもありがちなものではあるのだ。

端的には、未成年の少女が知らない男性からドライブや食事(カラオケ)に誘われて、ちょっと面白そうだからと付いていってしまい思わぬ事件に巻き込まれたり最悪殺されてしまうということは『典型的なパターン』として私たちの脳裏を過ぎることがあるものだ。

だから、小さな子供の頃から女の子には口を酸っぱくして『知らない人に付いていってはいけない』と教え込んでいるのだが、河合隼雄氏はこの少女が『好奇心・知りたい気持ち』に負けて誘われる形で巻き込まれる典型的な事件の構造にも、トルーデさんのようなある種の『人為・意識では抵抗できない集合無意識の力+受け入れがたい理不尽で残酷な結末の引き寄せ』が働くことがあるといった指摘をしている。

現代人は『科学技術・医療制度・法治国家・教育された知性』などに手厚く守られることによって、『死の現実・悪意の恐怖』と直面しなくても済むようになっているが、究極的・運命的にはトルーデさんのイメージに表象される『生々しい人生のすさまじさ・恐ろしさ・理不尽さ』から逃れきって生き抜くことは不可能である。グレートマザー(太母)の恐ろしくて暗い一面として現れる『悪母・魔女』のイメージというのは、そういった生々しい人生のプロセスにおいて『疑似的・現実的な死』や『理不尽な運命(道徳や論理など通用しない悪意・加害など)』を象徴してもたらすものでもある。

母なるものは子供を妊娠して生み出して育てる(現代では男性・父親も同等の育児参加を規範的に求められるとはいえ)という意味で『生命の源泉』であるが、童話・神話などの伝承では母なるものに『生命を呑み込む支配性』のイメージが付与されることも多い。また原始的な部族社会では、植物・作物を育む『土・大地』が神秘的・生命生産の母性のメタファーとして想起されることが多かったと推測され、『地母神の偶像崇拝』が盛んに行われていた。

キリスト教に代表される一神教的な父なるものの天空神が生み出されたのは、地母神の崇拝よりも数千年以上は遅れてのことだったと考えられている。グレートマザーが善母(産み育てるもの)と悪母(呑み込んで支配するもの)の二面性を持つように、原始的な生命・生殖を賛美する地母神崇拝もまた、日本神話の『イザナミ(国生みの女神+腐敗した黄泉の国の神)』に象徴されるように生と死の神の二面性を持っているのである。

母性のアンビバレンツな二面性というのは、『産み育てる愛情・保護の明るい部分』『呑み込んで甘やかして自立を阻害して支配してしまう暗い部分』に典型的に現されるのだが、日本の昔話における妖怪化した老母(老女)の『山姥(やまんば)』というのもグレートマザーの恐ろしくて暗い側面を象徴している。

昔話の『牛方と山姥(うしかたとやまんば)』に出てくる山姥は正に『何でも呑み込んで食いつくしてしまう貪欲な母性性・女性性』を表現したものであり、牛方の男が運んでいる塩鮭・タラを食べてさらに牛まで丸呑みにしてしまい、危うく牛方の男まで食われそうな恐怖に追いやられたのである。

仏教神話においても小さな子供を捕まえて食べてしまう恐ろしい悪鬼のような『鬼子母神(きしもじん)』は、仏教の菩提心の教えを受け入れることによて子供を慈しんで優しく守る女神の『訶梨帝母(かりていも)』へと変化するのであり、これもまた人類に概ね共通するところのあるグレートマザー(太母)の元型の明るさと暗さの二面性をダイナミックに示した物語だと言えるだろう。

母性は一般的には『愛情・保護・安心・優しさ・生命』などの肯定的なイメージで語られることが多く、原始的な地母神から始まってキリスト教のマリアや仏教の観音菩薩といったポジティブな女神(宗教的な崇拝対象)のモチーフにもなってきた。

しかし、ユング心理学の昔話・童話・神話の研究において、グレートマザー(太母)の元型で表象される母なるものには『呑み込む・支配する・ダメにする・主体性を奪って一体化する・死』といったネガティブな女神性・母性性がメタファーで示されていることが多く、一般社会・倫理観において忘却されやすい『母性・女性の裏面の補償(生に対する死の側面の呈示)』が行われているのである。

自分の能力・限界を超えて他者を抱え込んで守ろうとするのだが、それが現実的に不可能と分かった時に、抱きかかえて守っていたものを途端に手放して捨て去り無視してしまうといった無責任な残酷性・加害性にもグレートマザーの暗くて恐ろしい一面が表出している。ストーカーやDV、監禁・殺傷の事件などの男女関係に潜むリスクについても、グレートマザーは『土・肉・血への還元(自然・本能の抗いがたさ)』のイメージで影響を与えているとされる。

河合隼雄氏は常識的な法律・社会における個人の責任論とは異なる位相から、『グレートマザーの生み出す犠牲・悲劇(倫理的には問題のある考え方だが、加害者の男さえも悪母に呑み込まれたある種の犠牲者となる)』を語り、グレートマザーを『否定できない自然のルール』になぞらえている。

知ることの限度や相手への警戒のない『むきだしの好奇心(ひたすらにどんどん知りたい欲求)の持つ危うさ』を指摘しているが、昔話・童話でほのめかされる『見てはならない真実』のタブーがなくなっている何でもありの現代であればこそ、近づくべき場所・人なのか近づいてはならない場所・人なのかを慎重に見極めなければならないのだろう。


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