児童虐待の疑いが過去最多の3万7千件に:親の虐待・施設保護を訴えていた相模原市の男子中学生の自殺

子供・高齢者の虐待事件や配偶者・恋人間のDV事件(殺傷事件)などの暗いニュースが続いている。家族(世帯)の少人数化や無縁化(孤独不安)による対人関係への執着を受けて、『親密な人間関係(強い期待や依存の感情)の中で起こり得る虐待事件』というものがクローズアップされやすくなっていることもある。中学生の自殺件数が2007年からの統計では過去最多になったという報道もあった。

児童虐待の通報件数が過去最多(2015年は3万7020人)を更新しているが、『児童虐待の発生件数』そのものが直線的に増えたとか虐待をするような子育てに適性のない親が増えたとかいう要因よりも、『児童虐待に対する世間・周囲の目(判定基準)』が厳しくなって通報されない(しつけの体罰として看過される)暗数が減少したことがかなり影響しているのではないかと思う。

児童相談所への通報件数の急激な増加は、『児童虐待の啓発教育と社会的関心の高まり』の結果として肯定的に評価することもできるが、通報を受けた児童相談所や地方自治体が適切な対応を十分に取れていないようなケースも少なからず見られるのは残念である。

現状では児童相談所の権限や意識は、深刻な児童虐待が行われている可能性が強いケースでも、『親との引き離し・親権の停止を伴う強制的な保護措置』を即座に行えるほど強まっているわけではなく、『親からの虐待ではないとの申し立て・事情の釈明や謝罪』によって対応が及び腰になって後手に回りやすいところがある。

親子関係をベースにした家庭での子育ては最大限尊重しなければならないが、子供の心身の健康に明らかな危険性(日常的な暴行の痕跡・精神的虐待や性的虐待に関する複数の証拠証言など)があったり、子供本人が『親から離れたい・守ってほしい・児童養護施設に避難させてほしい』という訴えをしているのであれば、児童相談所はとりあえず『しばらく親の虐待行為を免れられる物理的隔離の措置』が取れるように迅速に動くべきだろう。

危険な家庭環境や親子関係に放置されている子供を保護するための法的根拠が弱いというのであれば、児童相談所の裁量範囲を広げるような児童福祉関連(虐待状況下での保護措置)の法改正も検討したほうが良い。

通報はされたが虐待などしていない(体罰・暴言はしたがそれには合理的根拠がある,怖がっている子供は親の意図や気持ちをちゃんと理解していない)と主張する親との話し合いをすること、親の言い分もきちんと聞いていくことは確かに大切なことで疎かにはできないし、中には近隣住民の勘違いや親子間の一時的な言い争いのようなケースも多くあるだろう。

だが、子供が親を明らかに怖がっていたり、家庭に戻りたくない(自分を施設などで保護して助けてほしい)と訴えていたりするのであれば、いったん子供を安全な場所で保護する措置を講じた上で、段階的な親子関係改善や育児指導の話し合いの場を改めて設定するという流れにしたほうが良いと思う。

『子育てが困難な貧困世帯の増加(再婚・連れ子で血縁のない父親との関係が上手くいかない等も含め)』や『子育てしている世帯の人数の減少(母親あるいは父親だけで育児をしている世帯の増加と育児ストレスや育児負担の強まり)』も関係しているだろう。

戦後日本で一貫して続いてきた『夫婦と子だけの核家族化』だが、更に『離婚家庭(ひとり親世帯)の増加』や『親からの育児支援を受けられない子育て世帯の増加』などもあって、『育児環境の孤立化・経済難と物心両面の余裕のなさによる精神的ストレス』は深刻化しているように感じられる。

育児・介護・家計維持などに必要な『経済面・精神面・労力面の余裕』がない家庭(世帯)ほど、家族間での扶養や互助に対する不仲・不満・虐待などのリスクは高くなってしまう。自分の成長や幸福のために努力するという現代的な個人主義・自由主義が通用しづらい領域の問題として、他者のために自分の多くのリソースを費やし続ける『育児・介護・教育・対人支援(血縁者の互助義務)』などがネガティブな反作用をもたらしやすくなっているのかもしれない。

特に長期的な育児・介護において虐待問題が起こりやすくなっているが、『閉鎖的な生活環境で思い通りにならない他者(言語が未熟な乳幼児・認知症の高齢者など)の面倒を見るストレス・不自由感』というのは、誰か一人だけ(夫婦・配偶者だけ)が背負い込むにはやはり重すぎるところはある。更に、育児・しつけなどにおいても『個人の価値観・生き方の偏り(自分の家・子供の扱いに他人は口出しするなという閉鎖性から行き過ぎた体罰・指導になってしまう要因)』を修正することが困難にもなる。

かつてのような地縁血縁(大家族や親戚関係)・近隣住民を自然に巻き込むコミュニティ的な相互扶助、自立できない子供・高齢者(広義の弱者)を社会全体で緩やかに見守ったりその世話を手伝ったりする機能が大きく衰退してしまっていることもある。自分の人生を自由に選べるがその結果には自己責任を負わなければならない、他人とのつながりが薄まる無縁化(個人化)する現代の反動として、『少人数(単身)での育児・介護の難しさ』が浮上しやすくなっている。

神奈川県相模原市で児童相談所に『両親からの身体的・精神的な虐待』を訴えていた14歳の男子中学生が祖父宅で自殺する事件が起こったが、この事件では『虐待を受けていて児童養護施設で保護してほしいという男子中学生』と『親子関係でトラブルがあっただけで虐待をしていたわけではない(昔ながらの教育方法で叩いたことはあるが話をすれば分かってくれる人は分かってくれる・児童相談所の対応が信用できなかったので保護措置を拒否した)という両親』との言い分が真っ向から対立している。

男子中学生は弟がいる二人兄弟だが、現在の父親とは血縁関係はなく、二人の子は母親の連れ子で再婚したと報じられているが、男子中学生は2014年5月に深夜のコンビニに『親から暴力を振るわれている』として助けを求め、児童相談所が親子関係の調整の対応を始めたのだという。

家庭での居心地の悪さや児童虐待の恐怖感については友達にもいろいろと話していたようだが、殴られるとかリモコンを投げつけられるとか暴言を吐かれるとかの精神的虐待だけではなく、『弟だけを可愛がって自分のことは可愛がってくれないという兄弟間の差別待遇の不満』についても述べていたという。

複数の連れ子に対する『きょうだい間の差別待遇(一方は優しく可愛がって他方には冷たく厳しく当たる)』というのは児童虐待事件では少なからず見られる問題であるが、この虐待問題について両親は『約束を守れないなど厳しく怒らなければならない理由があった・昔ながらの体罰を伴う教育をしてしまった・親子関係が上手くいっていなかっただけ(児童相談所の対応は信用できなかった)』として、自殺した男子中学生の虐待被害・差別待遇の認識とはかなり認識が異なっているようである。

しかし、結果として男子中学生が実際に自殺を断行してしまうほどに『家庭での居心地の悪さ・居場所の無さ(体罰や暴力暴言への不満・恐れ)』を感じていたことは事実としてあり、児童相談所の話し合いの場でも『養護施設で保護してほしい』と訴えていたことから、児童相談所は『両親からの保護措置の拒否の申し出』があっても本人のSOSの声を真摯に受け止めた迅速な対応ができなかったものかと悔やまれるところはある。

虐待や差別待遇をしたかしないか(暴力暴言に愛情があったかなかったか)の親子間の言い合いは、それぞれの状況・関係・体罰の受け止め方のギャップもあるので、どうしても水掛け論になりやすく収拾がつかないもの(客観的な単一の真実のようなものを確定することはできないもの)である。

だが、『家にいられないほど悩んでいる・親と一緒に暮らすことが耐えられないほどつらい』という訴えが本気で為されていると判断できた場合には、児童相談所の一定の裁量と権限によって一時的・暫時的にではあっても児童(未成年者)を保護して、その後で『双方の言い分を折り合わせていく(親子間の感情・解釈のすれ違いを埋めていきお互いに対する接し方を変えていく)話し合いの場』を持てなかったのだろうかと思う。


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