三重県伊勢市の高三女子殺害事件:希死念慮による嘱託殺人・感情伝染か別の動機があるのか

三重県伊勢市の山林で高校3年生の女子生徒(18)が、同じ高校に通う同級生の男子生徒(18)に殺害された事件は、男子生徒の供述では、加害者側の殺意悪意(怨恨・目的)によって殺されたものではなく、女子生徒の側から『殺してほしい』と要求されての犯行だったとされています。

18歳の女子生徒が抱いていたという自殺願望(希死念慮)については複数の友人知人からの証言が出ており、かなり以前から『自分には生きている価値がない・生きていることがつらくて耐えられない・18歳の誕生日までには死にたい』といった“自己否定・将来悲観・生きる苦痛の強さ”の内容を親しい友人に打ち明けていたといいます。

結果として、同級生の親友の男子生徒に自分を殺して欲しいと依頼する『嘱託殺人』を引き起こしてしまったと現時点では推測されていますが、亡くなった女子生徒が自殺するかもしれない兆候というものが少なからずあったために、余計に嘱託殺人が現実味を帯びて見えやすいということもあります。

今のところ、男子生徒の側の供述と状況証拠だけなので、『客観的な犯行の動機と経緯・女子生徒の側からどんな発言や要請があったのか』についてはまだ確実なことは言えないとは思いますが。

この事件が起こる前の7月にも、この女子生徒は加害者の男子生徒とは別の男子生徒と一緒に数日間に及ぶ家出(失踪)をしていたといいます。2014年には、逮捕された男子生徒と共に川に飛び込もうとしていたという報道もあります。発見後に校長が女子生徒と面談をしたのですが、その際に抱いた感想は、『親とコミュニケーションを十分に取りづらい複雑な家庭の事情もあり、女子生徒の自己否定・劣等感は強いと感じた』というものでした。

そのことから、学校側も女子生徒の自殺リスクにつながるかもしれない『強い自己否定感・劣等感・不適応感』の存在については大まかには把握していた(現実的な自殺リスクの深刻さについては想像する他ない部分が多いとしても)と考えられてます。

少なくとも本人と語り合ったことのある友人知人は、女子生徒の自殺願望を『一時の気の迷いや疲れ・ネガティブな自虐やその場限りの冗談』としては受け取っておらず、本当に彼女が死ぬのではないか(彼女の自殺願望はそう簡単に揺らぎそうにない)という不安・心配・懸念を持っていたといいます。

一方で、7月の家出騒動後の最近の彼女は、学校にもきちんと登校していて演劇部の部活に熱心に取り組んだり、体育祭のダンスの練習に積極的に参加するなど、自殺願望をしきりに訴えていた頃の彼女とはかなり変わっているように見えた(学校生活に前向きになり適応が良くなっているように見えた)という話もあります。

亡くなった女子生徒と嘱託殺人を請け負ったと語る男子生徒は、お互いに『親友』と呼び合う関係にあったといい、いつも一緒に昼食を仲良く食べるなどしていて、傍目からはカップルに近いような親密な間柄に見えたようです。

女子生徒にも男子生徒にもそれぞれ『別の恋人』がいて、二人が自分たちで語っていたように(内面におけるお互いについての感情・認識については定かでない部分があるでしょうが)、男女の恋愛関係ではない(親友関係である)という感じで周囲も受け取っていたようです。

一方、女子生徒は愛情・配慮や人間関係に対する飢餓感(見捨てられ不安・承認欲求)が慢性的に強い境界性パーソナリティー的な性格傾向を持っていたようにも見えるので、高校生という年代も踏まえれば、『彼氏(恋人)』と『親友』との境界線そのものが普段から曖昧であったのではないかと思います。

生きていくことがつらいという自分の苦悩に寄り添って共感してくれる人、あるいは自分と一緒に死んでも良いと思ってくれるほどに自分と一体化してくれる人であれば、その相手が『彼氏(恋人)』であるのか『親友』であるのかは彼女にとって大きな違いではなかった可能性があります。

彼女はそういったネガティブな世界観や悲劇的な自意識に親しい周囲の男性を巻き込んでいく、ある種の引き込む話術や人間性の魅力(誘引する力)のようなものを持っていたのかもしれませんが、思春期・青年期の年代では『自分の好きな相手が一生懸命に語る人生観・世界観(それがポジティブなものであってもネガティブなものであっても)』に深く共感してどっぷり感情移入しやすいのは自然といえば自然な反応なのです。

相手を自分の嘱託・承認があるとはいえ間接的な殺人犯にしてしまうような依頼をしてしまうというのは、本当の親友とは言えないのではないかと思いますが、現段階では『本当に嘱託があったのかどうか』については確実な判断はできないものの、『女子生徒が繰り返し明言していた希死念慮』に男子生徒や周囲が感情伝染してしまい、正常な判断能力が低下していた可能性も想定されます。

スーパームーン(中秋の名月)が出ていた夜に犯行の舞台となった虎尾山は、三重県出身の作家・橋本紡(つむぐ)さんのライトノベル『半分の月がのぼる空』に登場する山でファンからは“恋愛の聖地”とも呼ばれているといいます。アニメが好きだった女子生徒と男子生徒も、この作品・土地について何らかの特別な思い入れがあった可能性が取りざたされていました。

犯行の動機・状況の客観的な解明はこれからですが……“愛情飢餓感(孤独感)・人間関係への欲求”が強かったという女子生徒と男子生徒との間で、虎尾山のイコン的な聖地性の影響もあって、何らかの『シンボリックな信頼関係・悲劇的な物語性を巡る激しい心理的葛藤(若さ・未熟さ・のめり込みやすさを前提としてお互いに対する気持ちや覚悟を証明しようとする何らかの決断・衝動)』が生じて、(嘱託があったかなかったかは別にするとしても)男子生徒が相手を殺さざるを得ない異常な切迫した心理状態に追い込まれたのかもしれません。

親友であれば何とか自殺や嘱託殺人を思いとどまるような話し合いや説得ができれば良かったのにという思いはどうしても残りますが……女子生徒の嘱託があったにせよ、男子生徒の側に何らかの感情移入的(あるいは悪意的)な殺意があったにせよ、『二人(多感な子供達)だけの自己陶酔的・悲劇的な世界観』にそういった情趣的な感情・物語に巻き込まれないで済む大人の第三者(親・教師・各種の専門家)が、早い段階でかなり本格的かつ効果的に介入しなければ事前に防ぐことが難しかった事件であるようにも思います。

未熟で多感な子供達だけの間で、生死(希死念慮)を巡る葛藤や恋愛・孤独にまつわる焦燥感についてネガティブな方向で話し合って共感し過ぎてしまうと、集団催眠的な現実検討能力の麻痺あるいは悲観的な状況認識による不適切な決断が思わぬ弊害となって現れてしまうこともあります。

子供に明らかに普段とは違う自己否定的な言動や生死にまつわる深い苦悩が見受けられる時には、できるだけ早い段階でその不安・悲観・自暴自棄の認知や行動に対してさまざまな方法・角度からアプローチしていく必要がありますし、個別の事情はあるでしょうが可能であれば、親(養育者的な位置づけにある大人)ができるだけ親身になってその絶望・苦悩に寄り添って納得するまで傾聴・共感的な支持(受容的なつらさの理解)をしていくことが望ましいのでしょう。


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