東京都渋谷区で同性婚を認めるパートナーシップ条例成立2:リベラルな多様性・寛容性と保守的な秩序感覚

同性婚に反対する保守派や道徳主義者の中には、『同性婚を認めれば男女が夫婦として結びつく伝統的な結婚制度(家族制度)が衰退する恐れ・法的に認められた同性愛者(子供を産まないカップル)が増加する可能性がある』といった反対の理由を語る人たちもいる。

東京都渋谷区で同性婚を認めるパートナーシップ条例成立1:“女性・若年・都市”の賛成傾向

だが、同性婚というのは飽くまで性的マイノリティ(性的少数者)とされて権利を認められてこなかった同性カップルの人たちに、『結婚する権利(パートナー・家族として扱ってもらえる権利)』を認めるというものであり、同性愛を強制したり同性婚だけを優遇したりするものではない点に注意が必要だろう。元々、日本では同性愛者の比率が極めて低く同性婚を希望する人も少ないので、同性婚が認められたとしてもそうそう同性婚をする人たちが急増するとは考えにくい。

中長期的には『潜在的な同性愛者としての志向・感覚・性自認』などを持っていた人たちが、同性婚が認められて社会的な偏見・差別・不利益がなくなっていけば、異性愛者から同性愛者へと転換しやすくなるのではないかという可能性はゼロではないだろうが、潜在的なセクシャリティや性自認の表面化そのものが悪(間違い)だと一方的に断罪できる性質の問題ではない。

『性の歴史』を書いた哲学者で同性愛者のミシェル・フーコーは、同性愛が近代社会において差別され迫害されてきた理由として、キリスト教の教義的な禁忌以外に、『マジョリティによる異質性の排除圧力(多数派の異性愛者による少数派の同性愛者の排除と同一化の圧力)』『生産性・生殖性を重視する共同体主義(国家主義)からの生物学的な子を設けられない同性愛者の差別と迫害』を上げている。

渋谷区の『パートナーシップ条例』には法的強制力はなく、同性婚の自治体による公認とはいっても、法律婚と同等の効力があるものではない。

しかし、渋谷区長・桑原敏武氏が通称パートナーシップ条例と呼ばれている『渋谷区男女平等及び多様性を尊重する社会を推進する条例』について、『渋谷区の文化は他者を思いやり尊重し、互いに助け合って生活する伝統と多様な文化を受け入れ発展してきた歴史があります』と語っているように、この条例の本質は『個人の自由・平等・多様性の承認と思いやり(少数派に分類されるセクシャリティや生物学的性差と異なる性自認だからといって社会的・法的に不利益を蒙ることはおかしい)』ということにあるように思う。

実際、今まで同性愛のカップルは生計を一にするような家族同等のどんなに密接な関係があっても、『正式な結婚をしておらず家族ではない・男女ではないので事実婚に相当する親密な相手ではない』と認識されて、賃貸物件(マンション・アパート)で同居する契約を断られたり、入院した場合にも病院での面会を断られたりするケースが多かったという。

一方で、今までも同性同士が同居する場合であっても、職業・収入・家賃の支払実績などに問題がなければ賃貸物件を貸していたという不動産会社・家主の人もいて、同性愛者だから賃貸物件を貸さないという差別的対応は限定的だとする意見もあるようだ。

渋谷区のパートナーシップ証明書は、地方自治体が発行主体になることによって、不動産会社・病院・企業などに対して、ある程度まで『この同性の二人を結婚に相当する関係にある二人として認めてください』という説得力を増すことになる。

反対する保守派からは『賃貸物件の契約・病院での面会の拒否』などを理由に同性婚まで踏み込むのは行き過ぎであり、個別に『同性・家族でなくても親密な関係にある相手であることが確認できれば、賃貸物件を通常審査で契約できるようにしなさい・本人の事前確認を取れていれば、家族以外でも病院での面会を認めてあげなさい』といった指導をすれば良いという意見もある。

同性婚を認めるか認めないかのパートナーシップ証明書の問題は、証明書を求める人たちにとってはやはり『男女の異性のカップルと同様に社会的にその関係性を認められて結婚できるような制度が欲しい』というのがあり、賃貸が契約できないとか病院で面会できないとかいう社会生活上の不利益・不都合はどちらかといえば二次的問題なのかもしれないという気はする。

だから個別対応で、賃貸・病院などでの同性カップルの不利益がほとんどなくなったとしても、『同性である限りは好きな相手であっても結婚は絶対にできないという制限』に不満や傷つきが残ってしまうのであり、将来の同性婚を見据えたパートナーシップ条例にしても『公的機関である地方自治体が、同性カップルの二人を結婚・夫婦と同等の関係にある二人として認めること』そのものに大きな価値があるということになるのだろう。

性的マイノリティの基本的人権やリベラリストが保護する多様性にとって根本的な問題というのは、『好きな人が異性であれば結婚できる・好きな人が同性であれば結婚できないという歴史的に自明視されてきた差異』そのものである。

LGBTの解放運動にせよ人種差別・性差別是正の社会運動にせよ、その根本にあるのは『歴史的に自明視されてきた差異・差別とその社会的強制(マジョリティの直接間接の圧力)』に対して、個人の基本的人権や生き方・意識の多様性を承認して欲しいという思いだろう。

つまり、保守派や道徳主義者がこれからも守るべきだと主張する『社会全体の秩序感覚・共同体主義的な生産性と生殖性(経済成長と人口増加の価値基準)・伝統的な家族像(保守的な価値観)・男女のジェンダー的な役割分担』に対して、そういった集団的・規範的なものを理由にして個人のセクシャリティや性自認、ライフスタイルが差別的かつ排除的に扱われるのはおかしいという異議申し立ての現れの一つが同性婚・パートナーシップ証明書であると解釈できるように思う。

個人の価値観やセクシャリティの多様性、個人の多様性を受け容れて差別・排除しない寛容性、すべての人が暮らしやすいと感じる(犯罪をしない限りは)異質な他者を否定しない国・自治体、ダイバーシティ(多様性)を有効活用する都市設計や価値観の変容などが、パートナーシップ証明書にも反映されるリベラルなイデオロギーの理念になっているが、同性婚に反対する保守的・道徳的なイデオロギーの中軸にあるのは『社会全体の秩序や均衡の崩壊・次世代を生み出す男女の結びつきの衰退(国家共同体の生産力・人口規模の衰退)・伝統的な家族像や男女のジェンダーの喪失』などの懸念だろう。






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