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zoom RSS 『昭和天皇独白録』の書評2:なぜ日米開戦は防げなかったのか?天皇と政治家・軍人・国民

<<   作成日時 : 2015/04/28 19:20   >>

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昭和天皇が臣下の首相・軍人に対して例外的に自分の意思を示して命令や指示、賛否表明をした事例としては、『張作霖爆殺事件(1928年)に対する軍法会議の処分を怠った田中義一内閣の総辞職』『上海事件(1932年)における白川義則大将に対する停戦・戦線不拡大の指示』『ポツダム宣言受諾と終戦決定の御前会議における御聖断(1945年)』などがある。

天皇は『満州事変』を拡大して日中全面戦争に突入する契機になりかねなかった『上海事件(上海占領)』において、軍部上層の命令には従わず自分の私的な停戦命令(勝っていても軍を進めない戦線不拡大の命令)を忠実に履行した白川義則大将を忠臣として賞賛する歌を贈っているが、当時は天皇が中国進出の戦争に否定的であるという誤解が広まってはならないとして、この歌の存在は侍従武官によって隠匿されることになった。

『昭和天皇独白録』の書評1:アジア太平洋戦争と“立憲君主”としての天皇の役割

天皇は『満州事変の拡大+日中戦争の広域化』を非常に警戒して陸軍(関東軍)を何とか牽制したいとも思っていたが、その理由は中国大陸の懐の深さもあるが、それ以上に満州という北部の田舎だけへの進軍に留まるならまだしも、北京・南京・天津といった中国主要都市への進出を強引に進めれば必ず英米の強力な干渉を招いて、中国だけでなく英米も敵に回した泥沼にはまる(そういった日本の大陸進出・占領拡大を英米は戦争の大義名分として逆に手ぐすね引いて待ち受けている可能性がある)との警戒であった。

満州事変を主導した石原莞爾は、事変の拡大による日中戦争への突入に反対していたが、陸軍省・軍務課長だった武藤章は石原に対して『かつて閣下が行った事変と同じことをしているのです』と嘯いて、事変を南京攻略・漢口攻略へと段階的に拡大していってしまった。

この辺りの日中戦争泥沼化につながっていく歴史の転換点において、昭和天皇は一貫して蒋介石政権との早期講和を希望していてドイツのトラウトマン工作による『日本有利な日中講和』に期待をかけていたが、松井石根(まついいわね)軍司令官の強硬論に陸軍・参謀本部はのっかってしまい、引き返すことのできない『南京攻略』へと更に中国進出の度合いを深めてしまったのである。

この時点で、トラウトマン仲介における日中講和が実現していれば、蒋介石も乗り気であったと伝えられる所から、現在日中関係の歴史認識の対立の原因になっている『南京虐殺』も起こらなかったといえる。その意味においても後付けにはなるが、松井石根司令官の勢い・好機を逸せずに南京を攻略すべしの意見具申は、中国人の抗日戦争のナショナリズムに着火して、戦線の収拾を困難にする正に歴史の転換点となった。

東条内閣における日米戦争の決定については、アメリカ主導のABCD包囲網による石油輸出禁止の締め上げが日本を戦争に駆り立てる主な誘因となったが、『陸軍の主戦論+東条英機・杉山元・永野修身の戦争論』は当時の日本の圧倒的なマジョリティの世論と国粋主義の後押しを受けていたもので、対米戦争に抑制的であった近衛文麿や豊田貞次郎、米内光政などはその意見を大々的に述べることも困難であった。

昭和天皇は東条英機という陸軍に影響を振るい得る主戦派の人物に対して、『天皇に対する忠誠心』を過大に評価したところもあるが、ポスト近衛文麿の首相となった東条に対して『時局は極めて重大なる事態に直面せるものと思ふということ=戦争やむなしに傾いた9月6日の御前会議の決定を白紙に還して、平和になるように極力尽力せよ・陸海軍の協調体制を築いて日米開戦を回避せよ』という大命を含ませていたという。

だが結局、東条は元々が主戦派でもあり天皇の内意に従うことはできず、陸軍の圧力もあったが日米開戦不可避の政局に流されて真珠湾攻撃で戦端を開くのである。

戦前の日本の政治体制の問題点としての『シビリアンコントロール(文民統制)の機能不全・議会の前線への影響力低下・大本営の独断専行と報道統制・極端に敵愾心や滅私奉公を煽った国民教育(国民精神総動員)』なども合わせて考える必要がある。

また議会政治が軍部によって実質的にのっとられてしまったような恰好になった原因の一つが『現役武官制(陸軍省・海軍省の大臣には今で言う制服組の現役武官しかなれないルール)』における陸海軍の大臣の出し渋り(軍の意向に従わないのであれば内閣を構成する大臣を出さずに議院内閣制を停滞させるという脅し)にあったことも留意しておきたい点である。

昭和天皇は日本人の国内世論について、『多年にわたって錬磨してきた精鋭なる日本軍を持ちながら、米国の強硬な要求(近代日本の戦争成果の多くの放棄の要求)に対して戦わずしてむざむざと不利な妥協(国民には屈服と映る妥協)をしたほうが良いという平和論を唱えたならば、国内のナショナルな与論が沸騰して必ずクーデター(政権転覆ないし天皇暗殺)が起こっただろう』と述べている。

この日米開戦と天皇の本音のエピソードについては、ジョン・ガンサー『マッカーサーの謎』に以下のような記述があるのだという。

「天皇は今度の戦争に遺憾の意を表し、自分は『これを防止したいと思った』といった。するとマッカーサーは相手の顔をじっと見つめながら、『もしそれが本当とするならば、なぜその希望を実行に移すことができなかったか』とたずねた。裕仁の答は大体次のようなものだった。

『わたしの国民はわたしが非常に好きである。わたしを好いているからこそ、もしわたしが戦争に反対したり、平和の努力をやったりしたならば、国民はわたしを精神病院か何かにいれて、戦争が終わるまで、そこに押しこめておいたにちがいない。また、国民がわたしを愛していなかったならば、彼らは簡単にわたしの首をちょんぎったでしょう』と」

似た内容になるが、なぜ昭和天皇が基本的には『戦争反対+三国同盟反対の英米協調主義(交渉戦略重視の平和主義)』の理念を内心に抱えながらも、アメリカとの太平洋戦争の開戦に際して明確に“ノー”と言わなかったのかの理由について、本書では天皇自らが“ベトー(天皇大権に依拠した絶対拒否権)”という概念を用いて以下のように述べている。

今から回顧すると、最初の私の考は正しかった。陸海軍の兵力の極度に弱った終戦の時に於てすら無条件降伏に対し『クーデター』様のもの(=注記。終戦反対・玉音放送阻止・録音盤強奪のための陸軍の徹底抗戦派による宮城襲撃事件)が起こった位だから、若し開戦の閣議決定に対し私が『ベトー(拒否)』を行ったとしたならば、一体どうなったであろうか。

日本が多年錬成を積んだ陸海軍の精鋭を持ち乍ら愈々(いよいよ)と云ふ時に蹶起(けっき)を許さぬとしたらば、時のたつにつれて、段々石油は無くなって、艦隊は動けなくなる、人造石油を作って之に補給しよーとすれば、日本の産業を殆ど、全部その犠牲とせねばならぬ、それでは国は亡びる、かくなってから、無理注文をつけられては、それでは国が亡びる、かくなってからは、無理注文をつけられて無条件降伏となる。

開戦当時に於る日本の将来の見透しは、斯くの如き有様であったのだから、私が若し開戦の決定に対して『ベトー』したとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の生命も保証出来ない、それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、果ては終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びる事になったであらうと思ふ。

反米から親米へと価値観が180度転換してゆく戦後において昭和天皇の口から語られたことであるので、『昭和天皇独白録』に記録された内容がすべて客観的な史実や中立的な人物評価であるという保証もないとは言えるが、立憲君主制下における天皇(君主)の影響力・役割の限界と葛藤・苦悩が伝わってくる内容である。

近年は自公政権下(安倍政権下)において、集団的自衛権・積極的平和主義(自衛隊の海外派遣による国際支援活動・武器使用要件・機雷撤去要件の緩和)を中核とした『安保法制の大改革』が進められており、実質的な改憲と言っても良いほどの安全保障体制の急転換が起こっている。

昭和の戦争の歴史や軍部の振るった政治への影響力を、昭和天皇の言行録を下に振り返ってみた時に思うのは、“専守防衛・災害救助・国際協力(平和維持活動)”に徹してきた戦後日本の自衛隊のあゆみは理念としても国民の安全保護においても概ね正しかったということであり、“日米安保条約による抑止力”の恩恵を受けていた側面はあっても日本自身が『敵対国に定めた国の人々を殺傷する軍事作戦』に直接的に関与しなかったことの国際的信用は大きいということである。

自衛隊を軍隊(国防軍・日本軍)に変更したい、自衛隊は国際的には軍隊として認識されているのだから自衛隊という名称にこだわる必要はないという論調は、安倍政権の安保法制に関心の強い議員に多く見られるが、自衛隊と軍隊との違いは『国際的・法律的な他律の定義』にあるというよりも、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)を経験した日本が『武力による問題解決(武力で外国人を威圧・殺傷することによる問題解決)』を放棄して国際協力を進めるという決意・意識の転換にあったと見るべきではないだろうか。

外国に合わせて自衛隊から軍隊への名称変更を進めたり、自衛隊の武器使用要件を弱めたり戦闘に参加しやすくしたりして戦場の前線(形式的には後方支援とされるが)に出ることよりも、戦後日本が外国に対する威圧・殺傷を一切してこなかった自衛隊のような『軍隊の持つ役割・使命の平和化』を国際的に広めていくことのほうが本質的に価値のあることだろうと思うのだが。


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