名古屋大・女子大生による77歳女性殺害事件:自他の存在のリアリティの希薄化と他害の衝動性

名古屋大学1年生の女子大生(19)が、宗教の勧誘を受けていた77歳の女性を斧で殺害して、『人を殺してみたかった(誰でも良かった)』という不可解な動機を語っている。少し前にも、一人暮らしをしていた長崎県佐世保市の女子高生が、『誰でも良いから人を殺してみたかった』という同じような理由で同級生を殺害する事件が起こっていた。 これらの事件…
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19歳少年による『爪楊枝混入偽装事件』の雑感:現実での孤立感とウェブでの自己顕示

スーパーの箱入りの菓子につまようじを入れる様子やコンビニでペットボトルのジュースを万引きする様子を撮影した動画が、動画投稿サイトYouTubeに投稿された事件で、東京都三鷹市の19歳の少年が逮捕された。 しかし、実際には店頭で販売されている菓子の箱につまようじを入れてはおらず、自分で事前に購入していた菓子をスーパーに持ち込んで、つ…
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イスラム国(IS)による日本人二人の人質事件:集団的自衛権の日米同盟強化と対イスラム国の姿勢

イスラム教スンニ派の過激派組織『イスラム国(ISISまたはIS)』と欧米諸国やシーア派の国(イスラム国の理想に賛同しない中東国家)との戦いが激化しているが、民間軍事会社(PMC)設立を計画していた湯川遥菜氏とジャーナリストの後藤健二氏がイスラム国に拘束されたようである。 イスラム国は、日本の安倍政権が『イスラム国対策(対イスラム国…
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ジャック・ラカンの精神分析における“現実界(トラウマ)の回帰・反復”としての神経症症状

ジャック・ラカンは、フロイト的な原点回帰と言語中心主義の精神分析によって、『それ以外では有り得ない不可能性(各人に固有の運命)』として“現実”を再定義した。 ラカンの現実の定義は、常識的な『現実』のあり方とは正反対のものであり、一般的には『他者と共有・確認が可能なもの=現実』と呼ぶが、ラカンは『他者と共有・確認が不可能なもの=現実…
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アベノミクスと物価上昇・給与水準停滞・原油価格下落・ギリシャ問題:改善しづらい生活実感

異次元の金融緩和と公共投資(公共事業)の強化、株式市場への公的資金投入(GPIF投入)などによって、アベノミクスは官製相場と言われながらも、『株高・円安(輸出利益の増大+貿易収支の改善)』を実現した。 だが、日経平均が17000円を超えても大企業やその正社員、公務員以外には『賃金増加』の恩恵はほとんど及んでおらず、日本の労働者全体…
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マクドナルドの異物混入事件とマスメディアの過熱報道の雑感

ハンバーガーチェーンの日本マクドナルドのフライドポテトに『人間の歯(治療痕のある歯)』が混入していた事件が発端となって、次々と飲食店・スーパーなどの食べ物の商品に、異物が混入していたという報告・報道が相次いでいる。 マクドナルドのサンデー(アイス)にプラスチック片が混入していた原因は、アイスを製造する機械の一部が破損していたことで…
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タブレットはなぜ売れなくなってきたのか?スマホとタブレットとPCの違い:タブレットの出荷台数減

iPadやNexusなどの人気に牽引されて、一時はPCの出荷台数を追い抜くのではないかと見られるほど好調だったタブレットだが、ここに来て販売台数の成長率が大きく鈍化し、逆に減少に転じてきているという。 タブレットの国内出荷台数初のマイナス 大型画面スマホで十分という人が増える 調査会社IDCジャパンが2014年12月25…
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E.エスポジトの語るメディア技術と社会的記憶の関係:ウェブ・技術革新がもたらす次の社会構造

『環節的社会』ではいまだ明確な社会的記憶はないが、象形・表音の文字のメディアが発明されて階層分化(身分制の確立)が進む『成層的社会』では『預言的記憶(蜜蝋モデル)』の社会的記憶が作られる。 更に、成層的社会では『修辞的記憶(倉庫モデル)』の社会的記憶も生まれる。蜜蝋モデルというのは宗教的・神話的なエピソードに基づく社会的記憶のモデ…
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二クラス・ルーマンの社会システム論(社会進化論)とE.エスポジトの社会的記憶(メディア論)

社会学・経済学をはじめとする社会科学では『社会(society)』を観察と研究の対象にするが、社会は直接的あるいは客観的に観察することができないという意味では、『抽象的・統計的な認識の対象』になりやすい特徴を持っている。日本では明治期の文明開化によって西欧の文物・学問が輸入されてくるまで、『社会』という抽象的で包括的な概念は存在せず、『…
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