二クラス・ルーマンの社会システム論(社会進化論)とE.エスポジトの社会的記憶(メディア論)
社会学・経済学をはじめとする社会科学では『社会(society)』を観察と研究の対象にするが、社会は直接的あるいは客観的に観察することができないという意味では、『抽象的・統計的な認識の対象』になりやすい特徴を持っている。日本では明治期の文明開化によって西欧の文物・学問が輸入されてくるまで、『社会』という抽象的で包括的な概念は存在せず、『世間』という周辺の実際的な人付き合いに基づく概念が用いられていたともいう。
社会(ソサイエティ)は、複数の人間の抽象的な集合体であると同時に、複数の人間が『立場・身分・役割・能力・財力』に応じて様々な相互作用を繰り返すダイナミズム(動態)でもある。社会を構成する成員にはさまざまな人たちがいて、その成員間には立場・能力・財力・影響力の格差が生じるため、社会は必然的に『部分と全体・差異と同一性・分裂と再統合』といった二項対立的な特性の結合(相互作用)という特徴を示すことになる。
社会学では社会(特に現代社会)を、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマン(1927-1998)を典型として『社会システム論・メディア論』の文脈で語ろうとする姿勢が主流になっているが、社会システム論では『人間個人の身体・意識・尊厳』といったものが問題にされていないために、社会に生身の人間がいないような感じの無機的なイメージも強い。
コミュニケーションの連鎖によるオートポイエーシス(自己生成)によって、社会が形成・維持・変化するといった捉え方をシステム論ではするが、二クラス・ルーマンは過去から現代に至るまで社会構造が進化してきたという『社会進化論』の視点も持っている。
『環節的社会→成層的社会→機能分化的社会』という社会進化が想定されているわけだが、『環節的社会』というのは小規模で身分・役割による階層分化が進んでいない血縁関係を中核とする原始部族的な社会、『成層的社会』というのは地域や国など比較的規模が大きくなった社会で身分・役割・財力による階層分化(身分制の分化)が進んでいる中世的・封建主義的な社会のことである。
近代以降の現代まで続く『機能分化的社会』というのは、F.テンニース(F.テンニエス)のいう経済的共同体の“ゲゼルシャフト”に相当する部分もあるが、地縁血縁・相互扶助の義務の影響力が低下して身分制(強制・世襲の階層)も否定された機能分化(個人単位の労働・関係に基づく人生が主流)の社会のことである。
機能分化的社会では、身分制や集合権力、伝統文化・慣習による強制性は衰えて、個人は自由になり各人の能力・意思・運に基づいた人生を生きることになるが、『社会の実在的感覚・所与の立場に守られている感覚』も弱るので、人によっては孤独感や不安感、無力感に駆られやすくなる。
近年の社会学では、二クラス・ルーマンの社会進化論・社会構造論をメディア技術の進歩との関連性から読み解こうとする、エレーナ・エスポジトの『社会的忘却(社会的記憶)』のような興味深い試みもあるようである。エレーナ・エスポジトは各種のメディア技術によって形成される『社会的記憶』が、N.ルーマンが定義した『環節的社会→成層的社会→機能分化的社会』の社会構造を背後において維持しているという認識を持っている。
社会の構成員がコミュニケーションするメディア技術については、『声→象形文字→表音文字→活字(印刷物)→マスメディア→インターネット』という進化を遂げてきたとする。そのメディア技術の進化・変化に対応する形で、社会的記憶も『預言的記憶→修辞的記憶→文化的記憶→自己記述的記憶(オートポイエーシス的記憶)』という進化を遂げていったというのが社会的記憶理論の枠組みである。
E.エスポジトの社会的記憶は『コミュニケーションの量的・質的な複雑性』と相関して形成されるものだが、『個人の記憶・思い出・感情』とは全く関係のないシステム論的な記憶概念(ヒューマニスティックな心理主義・意識重視を否定する記憶概念)である。エスポジトの社会的記憶は、N.ルーマンの『一貫性検査』という特定の方向性を持ったパターン認識を踏まえたものであり、『過去のパターン認識の記憶』として過去を現在のリソースとして利用するための形式と機能(機制)を備えているとされる。
このことから社会的記憶は、『過去の社会的な出来事の情報を記憶しているもの』であるだけではなく『過去のパターン認識から初めての出来事にパニックにならずに対処できるもの』でもあるということになる。システム論における社会的記憶というのは、『未来の合理的期待+過去のパターンからの予測によるより良い対応』といった機能的構造を持っているものであり、個人の感動や感情に連結したヒューマンな心理主義とはかなり趣きが異なるものになっている。
■書籍紹介
社会(ソサイエティ)は、複数の人間の抽象的な集合体であると同時に、複数の人間が『立場・身分・役割・能力・財力』に応じて様々な相互作用を繰り返すダイナミズム(動態)でもある。社会を構成する成員にはさまざまな人たちがいて、その成員間には立場・能力・財力・影響力の格差が生じるため、社会は必然的に『部分と全体・差異と同一性・分裂と再統合』といった二項対立的な特性の結合(相互作用)という特徴を示すことになる。
社会学では社会(特に現代社会)を、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマン(1927-1998)を典型として『社会システム論・メディア論』の文脈で語ろうとする姿勢が主流になっているが、社会システム論では『人間個人の身体・意識・尊厳』といったものが問題にされていないために、社会に生身の人間がいないような感じの無機的なイメージも強い。
コミュニケーションの連鎖によるオートポイエーシス(自己生成)によって、社会が形成・維持・変化するといった捉え方をシステム論ではするが、二クラス・ルーマンは過去から現代に至るまで社会構造が進化してきたという『社会進化論』の視点も持っている。
『環節的社会→成層的社会→機能分化的社会』という社会進化が想定されているわけだが、『環節的社会』というのは小規模で身分・役割による階層分化が進んでいない血縁関係を中核とする原始部族的な社会、『成層的社会』というのは地域や国など比較的規模が大きくなった社会で身分・役割・財力による階層分化(身分制の分化)が進んでいる中世的・封建主義的な社会のことである。
近代以降の現代まで続く『機能分化的社会』というのは、F.テンニース(F.テンニエス)のいう経済的共同体の“ゲゼルシャフト”に相当する部分もあるが、地縁血縁・相互扶助の義務の影響力が低下して身分制(強制・世襲の階層)も否定された機能分化(個人単位の労働・関係に基づく人生が主流)の社会のことである。
機能分化的社会では、身分制や集合権力、伝統文化・慣習による強制性は衰えて、個人は自由になり各人の能力・意思・運に基づいた人生を生きることになるが、『社会の実在的感覚・所与の立場に守られている感覚』も弱るので、人によっては孤独感や不安感、無力感に駆られやすくなる。
近年の社会学では、二クラス・ルーマンの社会進化論・社会構造論をメディア技術の進歩との関連性から読み解こうとする、エレーナ・エスポジトの『社会的忘却(社会的記憶)』のような興味深い試みもあるようである。エレーナ・エスポジトは各種のメディア技術によって形成される『社会的記憶』が、N.ルーマンが定義した『環節的社会→成層的社会→機能分化的社会』の社会構造を背後において維持しているという認識を持っている。
社会の構成員がコミュニケーションするメディア技術については、『声→象形文字→表音文字→活字(印刷物)→マスメディア→インターネット』という進化を遂げてきたとする。そのメディア技術の進化・変化に対応する形で、社会的記憶も『預言的記憶→修辞的記憶→文化的記憶→自己記述的記憶(オートポイエーシス的記憶)』という進化を遂げていったというのが社会的記憶理論の枠組みである。
E.エスポジトの社会的記憶は『コミュニケーションの量的・質的な複雑性』と相関して形成されるものだが、『個人の記憶・思い出・感情』とは全く関係のないシステム論的な記憶概念(ヒューマニスティックな心理主義・意識重視を否定する記憶概念)である。エスポジトの社会的記憶は、N.ルーマンの『一貫性検査』という特定の方向性を持ったパターン認識を踏まえたものであり、『過去のパターン認識の記憶』として過去を現在のリソースとして利用するための形式と機能(機制)を備えているとされる。
このことから社会的記憶は、『過去の社会的な出来事の情報を記憶しているもの』であるだけではなく『過去のパターン認識から初めての出来事にパニックにならずに対処できるもの』でもあるということになる。システム論における社会的記憶というのは、『未来の合理的期待+過去のパターンからの予測によるより良い対応』といった機能的構造を持っているものであり、個人の感動や感情に連結したヒューマンな心理主義とはかなり趣きが異なるものになっている。
■書籍紹介

