宮部みゆき『ソロモンの偽証 第Ⅰ部 事件,上下』の感想

宮部みゆき『ソロモンの偽証』のハードカバーが出版された時に気になっていたが、あまりに分厚くて読むのに相当な時間がかかりそうだったので読まずにいた。文庫版が全6巻で完結したので、一冊一冊マイペースで読み進めていきたいと思っている。

1ページずつストーリーを楽しむために、敢えてウェブの書評などの前提知識を入れずに読んでいるので、『第Ⅰ部の事件の上下巻』まで読み終えてもまだ『物語全体の構造(佳境から結末への流れ)』は把握できない感じである。あらゆる題材や時代を的確に調理して、読み手を作品世界に引き込むストーリテラーとしての宮部ゆみきの筆力があるので、ページ数と比較しての物語が進むスピードの遅さはさほど気にならない。

『ソロモンの偽証 事件』の上下巻だけで1000ページに迫る分量だが、この二冊の本では『城東第三中学校で起こった連鎖的な事件』のアウトラインとその具体的な人間関係、登場人物の内面心理と生活状況が描かれていて、そこから先の展開はいよいよこれからという所で終わる。

現代の学校教育で発生する恐れがある『いじめ・不登校・自殺・モンスターペアレンツ(子の教育放棄)などの問題』を扱いながら、膨大な数に上る登場人物(生徒・先生保護者・警察)の心理・人間関係・家庭環境を入念かつ興味深い筆致で書き綴っている。

『ソロモンの偽証』は将来的に映像化される可能性もあるが、小説でしか味わえない想像力・感情移入をかきたてる『活字表現の魅力』に富んだ作品になっている。

文庫全6巻のページ数と冊数に圧倒されて、時間がない人は特に読むことを敬遠してしまいがちな作品だと思うが、文体は平易でテーマにしている内容も一般向けで分かりやすいので、通勤通学の途中に10分ずつちょこちょこ読み進めていくような読書スタイルにも向いている。

ただ登場人物がかなり多いので、それぞれの人物の名前とイメージが合致するまで少し時間がかかるかもしれないが、文庫の冒頭には『人物相関図』が置かれているので、この人はどんな人だったのか思い浮かびにくい時は図を参照すれば良い。

城東第三中学校で発生した初めの事件は、雪の積もった冬の早朝に、不登校の生徒だった2年生の柏木卓也が中学校の裏庭で雪に半ば埋もれた恰好で発見されたことだった。第一発見者は同級生の目立たずおとなしいタイプの野田健一で、警察の調べでは柏木卓也は校舎の屋上から飛び降りた自殺と判断された。

だが、柏木卓也の不登校の間接的な原因となったのが、大手俊次が率いる札付きの不良三人組との喧嘩騒動だったため、大手俊次らが屋上に柏木を呼び出して突き落としたのではないかという噂話も飛び交った。普段は静かで控えめなタイプの柏木卓也だったが、その日は大手俊次たちに椅子を振り上げて殴ろうとするほどの激情を見せており、喧嘩騒ぎが起こった次の日から柏木は学校に登校しなくなっていたからだった。

そこまで柏木が不良グループに怒った原因は何だったのかも一つの謎として提示されているわけだが、柏木卓也という生徒も単なる弱々しいいじめられっ子という設定ではなく、世の中や他者を冷笑的・虚無的に見下すようなメタ視点を持って生きているところがある。柏木卓也はどこか厭世的というか浮世離れした感覚を持っていて、人生や常識(同級生・周囲が一生懸命にやっていること)に対しても斜に構えた冷めた人物として描かれている。

母親の柏木功子は病弱な卓也ばかりを庇護・溺愛して、兄の宏之をほとんど無視するかのような極端な差のある育児をしてきた。当初は『兄としての責任』を自覚して我慢してきた宏之だったが、ある日、人を完全に馬鹿にした薄ら笑いを浮かべた卓也の本性に気づいて殴りかかってしまい、母親から一方的に痛烈に叱責される。

『家族(母親)をコントロールするための弱さ・健気さの演技』とそれに気づく兆候さえもない母親の異常な溺愛(弟だけ肯定する依怙贔屓)に背筋が凍るような思いをした兄の宏之は、実家に自分の居場所が既に無いことに気づいて、高校進学を機に全寮制の学校に進学して家を出てしまっていた。

こういった家庭環境や親子関係の描写が各登場人物にわたってそれぞれ丁寧かつ興味を惹きつける文体で書き込まれている。学校教育の趣旨や先生の生活・学業の指導を完全に無視して、『学校のルールなんか守らなくてもいい・勉強もしなくていい・俺は学校なんか行かなくても立派に社長になって稼いでいる・俺の息子』と吠え立てるようにして先生たちを怒鳴りつける大手俊次の父親(学業コンプレックス・拝金主義が反映された学校否定のモンスターペアレント)も印象的な人物として登場する。

刑事の父親を持つ藤野涼子は、文武両道の才女であり容姿も端麗な美少女であるが、この藤野涼子が人物相関図においても主役的な位置づけに置かれている。若くて美人の女性教師として2-A担任の森内恵美子も登場するが、『女性の美貌・若さを巡る優劣コンプレックス』も事件の発端の一つになっている。

藤野涼子も、表面的な愛想は良くて如才なく親切だが、相手に応じて露骨に態度を切り替えるところもあると感じている担任の森内恵美子を余り好きではない。同級生の三宅樹里は、ニキビの多い顔や冴えない容姿に劣等コンプレックスを抱えており、容姿の美しさ・華やかさに恵まれている担任の森内恵美子を嫌い、才色兼備で優等生の藤野涼子のことも鼻につく存在として嫌っている。

ここでは、いかにもありそうな内面に鬱積する嫉妬や憎悪の描写は絶妙だが、ここでは『女性の美貌と自意識を巡る好悪の複層構造』が興味深いものになっている。

人並み以上の美しい容姿である藤野涼子は、担任の森内恵美子のことを『容姿の良さをどこか鼻にかけたり利用したりしている(ぶりっ子したり媚びたり相手による態度の使い分けが目立つ)』という感覚によって、余り好きになれないでいるのだが、その藤野涼子自身が三宅樹里からは同じように『容姿の良さをどこか鼻にかけた傲慢な人間(優等生で公平ぶってはいるが容姿の劣る自分を心の中では見下しているいけすかない奴)』として一方的に嫌われているのである。

若手担任教師の森内恵美子は『嫌われ者役の美人(自分自身の容貌・若さに対する高い自己評価やそれによる周囲の好印象の期待を隠しきれていない美人)』という損な役回りの役割設定になってしまっているのだが、彼女が受ける最大の不気味な悪意というか一方的な怨念(ストーカー行為)は、同じマンションのフラウコーポ江戸川の隣に住む垣内美奈絵からのものであった。

証券会社のエリートサラリーマンの夫と結婚して、順風満帆の人も羨む人生を歩めるはずだった垣内美奈絵は、夫の一方的な不倫と自分(妻)の切り捨てによって天国から地獄へと突き落とされ、『(慰謝料・損害賠償を覚悟して)離婚を申し出る夫』に自尊心や存在意義をズタボロにされていた。

お金をいくら支払ってでも新たにできた愛人の女と一緒に暮らしたいから離婚して欲しいという夫の申し出に抵抗して、わずかばかりの家賃と生活費を送付させることが唯一の美奈絵の抵抗だったが、元々『夫の人間性・人生観』をしっかり確認するような交際をせずに、企業のブランド・年収の高さの魅力に惹かれて決めた結婚が裏目に出てしまったのだ。

そんな絶望状況の縁にある時に、若い女教師の森内恵美子が隣の部屋に引っ越してきた。自分にはない若さと美貌、職業(キャリア)、自立力(収入)を持っていると感じる森内恵美子に、妄想的なまでの嫉妬心・憎悪の感情を燃え立たせる垣内美奈絵は、夫が選んだキャリアウーマン(デザイナー)の愛人と森内を重ね合わせて、更に怒り・恨み・悲しみの感情を掻き立てられる。

自分が大学を卒業した当時は、女が専門職や総合職としてがっちり就職して生涯働き続けるというのは勝ち組ではなかったのに、自分のように将来性のありそうな夫を見つけて専業主婦・パートで暮らせる方がみんなに憧れられる勝ち組だったのに、どうして自分だけがこんなに惨めで情けない思いをさせられなければならないのか(夫の好みや価値観が急に変わってしまったのか)という憤慨が理不尽な形で教師の森内に向けられていく。

被害妄想・関連妄想のとめどない肥大によって、森内の私生活や人間関係への興味関心を抑えられなくなり、郵便物まで抜き取って開封するようなストーカーへと転じていった美奈絵は、ある日『金釘文字で書かれた奇怪な告発文(柏木卓也の自殺に関する告発文)』を見つけて、それを使って森内の教員としてのキャリアや評価に大きな傷をつけてやろうと画策する。

『ソロモンの偽証 事件』では、不良の大手俊次らから酷い暴力的ないじめを受けていた三宅樹里が、大手たちを『柏木卓也の殺人犯』として逮捕させるための『虚偽の告発文(大手たちが突き落とした場面を見たとの告発文)』を、学校や警察、担任に送りつけるところから事件がどんどん深刻な形で進展していくことになる。

『ソロモンの偽証』は“決意”と“訴訟”がそれぞれ2冊ずつあるので、まだまだ終盤まで先は長いが、久しぶりにこういった長編小説を読んでいる感じがする。どのような意外な形で事件が更なる展開を見せていくのか、それぞれの登場人物の人生や信念、人間関係にどのような影響や変化が及ばされるのか、起承転結を経てどういった物語の結末が待ち構えているのかが楽しみな読書となった。






■書籍紹介

ソロモンの偽証: 第I部 事件 上巻 (新潮文庫)
新潮社
2014-08-28
宮部 みゆき

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