人間の脳に快感をもたらす『物理的報酬』と『社会的報酬』の関係1:金銭・モノ・他者への欲望

人間が脳の『報酬系』の神経伝達回路を通して快感を感じるプロセスと報酬の内容は大きく分ければ、『感覚的報酬・物理的報酬・社会的報酬・知性的報酬』に分けることができる。

“感覚的報酬”による快感というのは、食欲・性欲・睡眠欲・美的感覚・知覚の心地よさなどを伴う報酬である。人間の生理的欲求(本能)とも密接に関係していて、概ね誰もが自動的に感じている快感である。空腹の時に食べ物を食べれば快感を感じるとか、性的な行為や状況に快感を感じるとか、美しいものや人を見るとそれだけで嬉しくなるとかいうのが感覚的報酬であり、元々人間(動物)の身体に備わっている生理学的特性の裏付けがある。

“物理的報酬”による快感というのは、金銭や欲しい商品(モノ)を手に入れることによる報酬であり、社会生活において有用で影響力(利便性)のあるお金やモノを得ることによって快感を感じる。金銭や商品の自分にとっての希少性や主観的価値が高ければ高いほど快感は高まりやすくなるが、人間の報酬系の複雑さは『物理的報酬と社会的報酬の非意図的な相関関係』にあるとも言える。

ずっと欲しいと思っている服や車であっても、他者のいない社会が成立していない無人島でそれを敢えて手に入れたいという人間はまずいない、そういった商品群は直接的であれ間接的であれ『そのおしゃれな服、似合っているね(その高そうな車、かっこいいね)』という他者からの好ましい評価を期待(想像)することで求められているからである。つまり、『金銭・商品に対する他者のまなざし(欲望)』の自己評価を高めてくれる想像力と自分がお金(モノ)を通して認められるという社会的承認が、物理的報酬の背景にはあるからである。

ステータス性を伴う商品のほぼすべては、表面的には物欲といわれる物理的報酬に支えられているように見えるが、その本質は『なかなか手に入らないモノ・大半の人が買えない高価なモノ(購買力を支える稼得力・資産力)』を持つことによって、自分の社会的・経済的な有能性や価値を他者からより積極的に認めてもらいたい動因(他者から自分の有能性や価値を目に見えるモノによって見えやすくする効果)がある。

“社会的報酬”による快感もまた、古代ギリシアのアリストテレスが人間は『社会的な動物』であると呼んだように、社会生活や他者との関係性の中で生きざるを得ない人間にとって半ば必然的な『承認欲求(ポジティブに評価されたい欲求)』に支えられたものである。

“知性的報酬”というのは、研究や読書、勉強、対話などを介した『知的好奇心を満たす満足(世界を理解する深さや広さの拡大)』であり、他の報酬と比較すると自分ひとりだけの黙々とした精神活動や読み書きだけでもかなりの快感が得られるという内向的な特殊な報酬である。

知性的報酬は生物学的に自然に備わっている快感ではないし、社会的に不可避に求められる人間関係に伴う快感でもないので、知性的報酬がどのくらい得られるのかはそれまでの学習習慣や知的基盤、情報量(情報感度)、世界観(価値観)などによって相当に大きな個人差があると思われる。読書・勉強の習慣がなかったりテキスト・数字(図表)を読み解く面白さが感じられなかったり、研究の知的刺激などに無縁な環境であったりすれば、知性的報酬を得るための静的な一人での活動は、快感というよりはむしろ苦痛や退屈な体験にも成り得るからである。

人間には確かに金銭やモノといった物理的報酬に突き動かされる側面もあるが、それ以上に他者から認められたい好かれたい、尊敬されたい、信用されたいといった『社会的報酬』を得るための欲求を強く持っていて、『どれくらいの数・範囲の人に認められたいかの個人差(極端に範囲が広い人は地位・名声への欲求が強い人にもなる)』はあっても誰からも認められない(好かれない)というのは相当な苦痛となる。

社会的報酬が全く得られないことの苦痛・孤独やストレスは物理的欲求の抑圧以上につらいとも言われるし、脳生理学的な研究では『物理的報酬を得た時に興奮する脳内の部位(ドーパミン濃度が上昇する線条体)』『社会的報酬を得た時に興奮する脳内の部位』がほぼ同じであることがfMRI(機能的核磁気共鳴画像診断)によって確認されている。

日常生活や人間関係の文脈では『愛する人(好きな人)のためにはお金やモノを惜しまずに使うという行動』は珍しいものではないし、『困っている人や地域・国のために寄付やボランティア活動』を自発的にやりたいという人も数多くいるが、これらの表面的には自分のお金・時間を失うように見える行動も、脳科学的には社会的報酬(それは物理的報酬以上の快感をもたらすことも多い)を得るための行動として解釈することができる。

個人差はあるが、感謝されたり認められたりする社会的報酬を得ることは、単純にお金やモノが増える物理的報酬以上の快感をもたらしやすく、明日をも知れない貧困状態で追い詰められていない限りは、人は『他者から認められる行動・他者と関わりを持とうとする行動』を何らかの形で取ることのほうが多い。

人間の脳が『社会的報酬』によって快感を感じる仕組みからしても、お金さえあればいいという徹底的な守銭奴や欲しいモノさえ溢れていればいいという物欲オンリーのような人はそうそういないとも言える。

確かに『金銭・モノ』は『人間(他者)』よりも変わりにくく裏切ることがないという意味では安全な資産(対象)に成り得るから、『他者から裏切られたり傷つけられたりしたトラウマ(自分に対する他者の態度や行為の変化をネガティブにしか受け取れなくなっている過去の体験)』がある人の場合には、感覚的・物理的報酬が自閉的環境の中で自己防衛的に求められ続けることもある。

だが、『金銭・モノ』には主体性や意識がないから、『自分とは異なる自意識を持つ他者から自分の存在や行動を承認されるという快感(他者との共通認識・一人ではない世界のリアリティ)』には及びにくいところがあり、十分な収入やモノがある人でも『信頼できる居心地の良い他者とのコミュニケーションが少ない仕事状況・環境』に物足りなさやストレスを感じる事は多いはずである。

他人からどう思われるかということを気にするな、自分のやりたいことを貫けという処世訓が語られることは多いが、これは自分のやりたいことをゼロから始めようとする場合などには一面の真理、他人に邪魔されない有効性を含む。

しかし、自分に一定以上の影響力や権限が生じた場合には、人の多くは『自己利益の最大化(他者の利益の削減)』だけを行動原理にすることができず、『他者からの承認・評価(権限を持つ自分が他者から公平・正当な人物と見られているかどうか)』にもかなりの配慮をするようになることが幾つかの心理学実験で分かっている。






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