“意識領域の大人の自分”と“無意識領域の子供の自分”との葛藤が生み出す対人ストレス

意識領域の大人としての自分と無意識領域の子供としての自分の葛藤が深くなると、『他人との表面的な付き合い』は出来ても『他人との親密な付き合い』はできなくなりやすい。なぜでしょうか。

他人の話題や出来事について積極的に興味関心を持とうとする共感しようとするのが『成熟した大人としての付き合い方』ですが、大人と子供の心理の間で葛藤が続いているアダルトチルドレンの人などは、『自分が初めに興味を持っていない話題・世界』に耳を傾けるほどの成熟がしづらいし、反対に『他の話題に勝手に切り替える(その話題を途中で打ち切ってしまう)わがまま』を切り出すような子供っぽさ(甘えのコミュニケーション)を意識領域では拒絶しているからです。

無意識的には『もっと自分の話をしっかり聴いて共感してよ。あなたの話よりも私の話をもっとさせて欲しいのに』といった幼児的願望を強く持っているにも関わらず、意識的に他人に提示する姿は『他人の話に機嫌よく耳を傾ける大人な自分』なので、その矛盾と葛藤によって他人と過ごす時間が苦痛・退屈になりやすいのです。

自分自身の甘えや依存、共感などの欲求を満たされた経験が殆どないことによって、『他人の話題・感情・人生に対する興味関心』を持つような余裕のある心理状態を整えにくいという問題がそこにはあります。

その結果として、他者との人間関係を楽しめなかったり、他人との距離感が分からずにトラブルを起こしやすかったり、他人と一緒にいるととにかく疲れてしまうことになるのですが、うつ病や適応障害といった精神疾患を予防する上でも、毎日の日常生活を楽しむ上でも、『自分と気持ちを通い合わせられると感じられる他者の存在(一緒にいて疲れることがなくて会話を楽しめるような他者の存在)』はやはり無いよりもあったほうが良いのです。

なぜなら、健康な精神状態にある人でさえも、抑制された幼児的願望の影響をゼロにまですることはできないし、人間が他人に興味を持ったり話したいと思ったり、他人から承認(好意)を得たいと思ったりすることはほとんど不可避な『本質的な親和欲求・承認欲求』だからです。

他人と一切話をしなくても良いとか(誰とも関わりがなくても良いとか)、他人に甘えることは許されないことだとか、他人や社会から何も認められなくても良いとかいう感情(厭世感・一人になりたい気持ち)は一時的・気分的なものとしては有り得ますが、『持続的な状況・決定的な運命』として大多数の人間は他者と関わらずに話をせずに生きていくということは概ね不可能であるか、そういった状況に長期間にわたって置かれるとメンタルヘルスのバランスを崩したり性格・価値観が偏ってしまいやすくなります。

適度なレベルであれば孤独の感覚や一人で過ごす時間というのは、精神の健康を維持する役に立ったり、対人ストレスを避けるための心の休養になったりもしますが、ずっと誰とも話さずにいる孤独だったり誰とも感情的な交流をしない生活だったりというのは、殆どの人にとっては精神的につらかったり自分が世界から取り残されたような不安感・空虚感を味わったりするものになります。

甘えや依存、助け合い、冗談などの幼児的願望から続いている欲求は、『自分と他者との親しみやすさ・リラックス・信頼感の現れ』として機能することも多く、『自分が甘えられる感覚+他者を甘えさせてあげる感覚』を何度も経験することによって、『新たな他者の出来事・話題への興味関心』も刺激されやすくなり人間関係に対しても前向きになってきます。

きちんとした他人の助けを借りなくても良い『立派な大人』としての外観・体裁だけにこだわり過ぎることによって、『他者との人間関係や打ち解けやすさ』が障害されてしまうこともあるわけで、『立派な大人』『未熟な子供』との間にある『お互い様の支え合い(甘え合い)・何でも話せる気安い関係・それぞれの弱みに対するフォロー・笑いと冗談のあるユーモア』なども心の健康を維持する上で大切な要素なのです。






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