スマートフォンに機種変更するメリットとデメリット2:ウェブ・アプリ・エンタメの使用頻度

スマートフォンはモバイルテクノロジーとウェブアクティビティが進歩した成果として生まれたものですが、それでも流行や店員の勧めに乗ってスマホに機種変更したものの、以前のフューチャーフォン(折りたたみ式の携帯)のほうが使いやすかったという不満や苦情が寄せられることも少なくないようです。使い勝手が良くなかったり、自分が使いたいアプリや機能がある…
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スマートフォンに機種変更するメリットとデメリット1:画面サイズとiPhone5の需要変化

Apple社の“iPhone”の登場によって、急速にスマートフォン(スマホ)と呼ばれるウェブ利用に最適化された高機能携帯電話が普及してきました。スマホは普段から頻繁にモバイルでウェブやアプリを利用する人にとっては非常に便利な携帯電話でありコンピューターなのですが、それでも月額料金やタッチパネルのインタフェースを考えると、全ての人の用途に…
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なぜ“家庭・学校・企業”の閉鎖的環境で心理的問題(関係性の被害)は起こりやすいか?:2

家庭の虐待も学校のいじめも会社のパワハラ(労基法違反の過労)も、自分ひとりだけでは上手く解決することが難しいので、『内部の利害関係・独自のルール』に左右されない外部の第三者の理解や支援を受けるほうが大きな被害を軽減しやすくなるというメリットはあると思われます。 閉鎖的環境における固定された人間関係(親子・友人・教師・上司などとの関…
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なぜ“家庭・学校・企業”の閉鎖的環境で心理的問題(関係性の被害)は起こりやすいのか?:1

家族療法では、家族のメンバーがそれぞれの役割の中で相互に影響を及ぼし合っている『家族システム』を前提として、その家族システムを正常化させるための働きかけを考えます。家族システムの影響力にはもちろん、“愛情・喜び・安心・励まし・支え・癒し・居場所”を他の家族メンバーに与えるような正(プラス)の好ましい影響もあり、通常はそういった『正の影響…
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カミュやサルトルの実存主義では、“人間の自由と苦悩・人生の価値”をどう考えるか?

カミュのエッセイ『反抗的人間』では、明晰な理性で世界や人生を観察する時に出現する非合理的な説明のつかない不条理に対して、迷信(神の信仰)で目を背けたり自殺で逃げたりすることを批判し、その運命的とも言える人の世の不条理さを見つめ続けて“抵抗(レジスタンス)”することが『人間の尊厳』につながると説きました。 抵抗とは具体的な他者にせよ…
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人は運命的な理不尽にどう抵抗すべきか?2:理不尽さと文明社会との終わりなき戦い

自然の摂理にせよ不可避の宿命にせよ、実現主義が示すように人間がいつか死ぬべき存在であることは『現状の倫理の前提』になっている部分はあります。それでも現代の平和で豊かな時代で生きる私たち人間は、『理不尽の究極としての死』を何とか遠ざけて回避しようとする知識的・制度的(法律的)な努力を続けていると言えるでしょう。 必然的な死である『老…
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人は運命的な理不尽にどう抵抗すべきか?1:アルベール・カミュの『シシュポスの神話』

『異邦人』『シシュポスの神話』で知られるフランスの文学者アルベール・カミュ(Albert Camus,1913-1960)も、ニーチェと同じく神が死んだ近代に生きる個人をテーマにしましたが、カミュはニーチェのような超人の理想を掲げるのではなく『運命的・反復的な理不尽』をテーマにしました。アルベール・カミュは小説という表現媒体によって、自…
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フリードリヒ・ニーチェのアンチキリストと“自我・自己愛・孤独”に悩む人間の増加

欧米のキリスト教的な世界観では、東洋の儒教・仏教・道教では余り重要視されない『正義(異文化に対する優越性)』の観念の影響力が見られましたが、この正義と悪の二元論は、キリスト教以前の古代ギリシア哲学でも“アレテー(徳)”として尊重されました。プラトンの哲学思想でも、魂は『各部分のイデア(理想の範型)』を目指しており、魂の各部分が完全性に到…
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キリスト教の“原罪‐贖罪”と仏教の“煩悩‐解脱”の人間観:親鸞の一切皆苦の受容戦略

西欧文明の『罪』を背負った人間は、キリスト教の贖罪や精神分析による内面(無意識)の分析によって癒されますが、東洋文明の『苦』を背負った人間は、仏教の涅槃寂静(煩悩消尽の悟り)や極楽往生、あるいは俗世(俗物)に適応した欲求の充足によって癒されることになります。 日本文化の『恥』の概念と影響については、ルース・ベネディクトの著書である…
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うつ病の罪悪感・自責感を“世間体(恥)の日本文化”から考えてみる

日本人は生身の人間ではない『神(宗教)・倫理・聖典』といった普遍的(絶対的)な規範と個人で向き合うという歴史をほとんど持っていません。そのため、『世間(社会)の中で自分はどういった役割を果たしているか』や『他人から自分の生き方や状態をどう見られているか』という一般的に“世間体・体裁”と呼ばれるものとその喪失が『罪悪感(自分が病気であるこ…
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自然を支配(利用)しようとした西欧物質文明の限界と精神症状としての罪悪感:4

自然科学の進歩や発展は、人間の文明的・道具的な暮らしを豊かにするのに役立ちましたが、行き過ぎた資源開発や海洋資源(マグロ・ウナギなど)の乱獲などによって『公害の健康被害・生態系への悪影響』だけではなく、『資源枯渇の危険性』や『自然環境・住環境の破壊』なども生じてきました。 西欧社会の科学技術や文明向上の原動力になってきた『自然世界…
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阿闍世コンプレックスと“申し訳なさ”としての罪悪感3:西欧文明の自然世界との対立

古澤平作(こざわへいさく)や小此木啓吾(おこのぎけいご)が提唱した日本的(仏教的)な『阿闍世コンプレックス(あじゃせコンプレックス)』も、権威的な父親と抵抗する子どもの性的発達の関係を問題にしたエディプス・コンプレックスとは違って、庇護する母親とそれに逆らう子どもとの発達的な関係をテーマにしたものです。 阿闍世コンプレックスを精神…
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精神分析のエディプス・コンプレックスとキリスト教の罪悪感2:権威・抑圧に対する葛藤

人類の始祖であるアダムとイブ(エバ)が原罪を犯したことに対する神の処分は、まずエデンの園という楽園からの追放であり、永遠の生命の剥奪でした。人間は神の言いつけに逆らうという罪を犯した事で、何の苦しみも迷いもない豊かな楽園から追い出される事になり、『死の不安・老化の恐怖』を味わわなくても済む不老不死の永遠の生命を失ったというのが、旧約聖書…
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精神分析のエディプス・コンプレックスと西欧文明の罪悪感1:父性原理と超自我

ジークムント・フロイトの精神分析の中心理論の一つである“エディプス・コンプレックス(Oedipus complex)”は、家族ファンタジーに基づいて『思い通りにならない社会的現実』と『超自我の罪悪感』を強調します。 男児のエディプス・コンプレックスや女児のエレクトラ・コンプレックス(Erectra complex)は、リビドー発達…
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佐藤賢一『小説フランス革命Ⅷ 共和政の樹立』の書評2:革命の理想精神と現実の悲劇

1792年の陰惨な『9月虐殺』を正当化したのは、『民衆の旧体制に対する鬱積した怒り』と『戦時における裏切り者(反革命者)の出現への恐怖』である。反革命のプロイセン軍がパリに近づいている状況下で、『国内の反革命勢力(王党派寄りの勢力)』が内部からプロイセンと共謀して、自分たちフランス市民を攻撃してくるのではないか、再び封建主義的な体制を復…
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佐藤賢一『小説フランス革命Ⅷ 共和政の樹立』の書評1:デムーランとルイ16世の視点

世界史には、国王や貴族が人々を専制的に支配する政治体制を打ち倒す『市民革命』が幾度か起こったが、フランス革命は『立憲君主制』に落ち着くイギリスの清教徒革命や名誉革命とは異なり、最終的にはフランス王家(ブルボン朝)の君主制(王政・帝政)を廃絶することになった。 王政廃止の革命に先鞭をつけたのが、ラディカルな共和政を主張するマクシミリ…
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新田次郎『アラスカ物語』の書評3:“アラスカのモーゼ”と呼ばれたフランク安田の生涯

アラスカの旧支配者だったロシア人とゴールドラッシュでアラスカに進出してきた荒くれの白人による“鯨・海獣・カリブー”の行き過ぎた資源濫獲によって、エスキモーの食糧になっていた獲物が激減してしまい、エスキモーたちは長年続けてきた『伝統的な狩猟採集の生活様式』を維持していく事が困難になっていく。自然の再生産能力を超えた海洋資源の乱獲は、現代で…
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新田次郎『アラスカ物語』の書評2:日本人とエスキモーの異文化コミュニケーション

冒頭の『第一章 北極光』では、オーロラの妖艶な美しさと不気味さ、冷気で水蒸気が氷の粒となるダイヤモンドダストの清冽な輝き、静かで寒い星明かりの夜、全てを剥ぎ取って凍りつかせるような暴風雪などが精緻に描かれており、凍りついた北極海から厳寒のアラスカへと歩いていく過酷な冒険小説の臨場感を高めている。 氷原と陸地との境界線を見分ける事が…
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新田次郎『アラスカ物語』の書評1:人生の閉塞感からアラスカに向かった日本人

明治時代の日本に、北アメリカ大陸の酷寒のアラスカへ、孤独な外国航路の見習い船員として乗り込んだ少年がいた。地域の名望家だった一族の零落と医師の進路の喪失、心を寄せていた女性・千代との別離によって、日本に己の居場所を見いだせなくなった安田恭輔は、三菱汽船のアラスカ航路の船員として弱冠19歳で名乗りを上げる。 安田恭輔(やすだきょうす…
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