新田次郎『アラスカ物語』の書評3:“アラスカのモーゼ”と呼ばれたフランク安田の生涯

アラスカの旧支配者だったロシア人とゴールドラッシュでアラスカに進出してきた荒くれの白人による“鯨・海獣・カリブー”の行き過ぎた資源濫獲によって、エスキモーの食糧になっていた獲物が激減してしまい、エスキモーたちは長年続けてきた『伝統的な狩猟採集の生活様式』を維持していく事が困難になっていく。自然の再生産能力を超えた海洋資源の乱獲は、現代でも『クロマグロ・ホンマグロの乱獲+マグロ資源維持のための漁獲量制限』などが問題になったりするように、文明社会における『嗜好的な食品・毛皮・皮革の大量消費』は資源利用の持続可能性を危うくしてしまう。

数百年以上も鯨や海獣、カリブーの食料資源を安定的に維持してきたエスキモーの多くを望まない(望めない)素朴なライフスタイルや狩猟・移住の文化は、先進文明国の側からは『野蛮・不潔・無知』で原始的なものだとして蔑まれる事も多かったが、『自然や野生動物との共生の可能性,寒冷な氷原におけるサバイバル能力(熱源を必要としない肉の生食文化・吹雪でも方向感覚が狂わない定位能力・イグルーでの移住生活)』においては抜きん出たものがあった。

ゴールドラッシュでアラスカ内陸部に深く入り込んできた白人による伝染病(梅毒)の持ち込みで、海岸エスキモーは食糧不足に加えて、免疫を持たない種類の病気にも罹ってバタバタ死んでゆく。フランク安田は絶滅の危機に瀕していた海岸エスキモーを救出して、内陸部へ大移動させるという『数奇な運命』に導かれるようにして90歳まで生き、『アラスカのモーゼ』とまで称される事になったという。

フランクはエスキモーの伝統的な文化様式や生活習慣に対して、ある面では適応してある面では拒絶したのだが、特に強い拒絶反応を示したのが、『大切な客人(自分が認めた男)に自分の妻を提供してもてなすという習慣』であり、フランクは飽くまで恋愛感情や一夫一婦制の原則を踏み外さずに、欧米的な価値観や知識に興味を持っていたエスキモーのネビロとお互いの愛情・意思に基づいて結婚した。

それまでのエスキモーの婚姻制度は恋愛や自由意思(相手の選択)とは無縁であり、子どもがまだ幼い頃に親同士が決めた相手と義務的に結婚し、妻をそれぞれの部族や仲間で交換することによって、『血縁関係の連帯感・共同感』を高めることで厳しい環境を生き延びてきた。

フランクと妻のネビロは『女性の権利と尊厳(自由意思)・婚姻関係の純潔性』を無視するかのようなエスキモーの部族の旧習に抵抗して、キリシタン的な一夫一婦制の倫理を持ち込もうとしたが、こういった旧習・伝統の変化の持ち込みは、『変化しなければ生き残れないエスキモーが直面した現実』の象徴としても機能している。

かつての日本が明治維新の近代化で直面した『性的道徳観の変化(農村部の夜這いの禁止・公家や大名の一夫多妻制の否定)』ともパラレルな構造を持っており、近代化と西欧化(性や婚姻にまつわる男女の倫理観・個人主義的な排他的な独占欲)との間には切り離すことができない要素が介在している。

エスキモーは同じ部族の他者と争ったり奪ったりする事をほとんどせず、自らの妻でさえも仲間に貸し与えて対立的な独占欲を見せないという『平和・温厚な民族』としての側面があるが、それは『個人としての意識(自我)の弱さ』の現れでもあるだろう。

その一方で、慢性的な食糧不足(飢餓)の環境と過酷なツンドラ・寒帯の気候に適応するために、自力で食料を獲得する生産能力を失った『高齢者・病者』が、自らの意思で吹雪が吹きすさぶ屋外に出ていって口減らしをする(部族・家族のために自分自身を雪景色の中へと消し去る)という風習も根強く残っていた。そういったエスキモー文化の持つ光と闇、明るさと暗さ、快活さと陰鬱さ、優しさと冷たさの二面性についても余さず書き付けており、人間集団の持つ文化や歴史、価値観の『多面性・相対性・善悪の分別』について想像力を刺激される。

挑戦的な登山家や登山の歴史を題材にした小説を多く書いている新田次郎だが、この『アラスカ物語』では、過酷な極地の気候に適応したエスキモーの文化や習俗、価値観を生き生きと描きながら、白人社会とエスキモー社会の軋轢(衝突)を緩和するかのように出現した異色の日本人・安田恭輔が、『海岸エスキモー絶滅の危機』を救うプロセスをヒューマニスティックな筆致で再現している。

日本人とエスキモー、白人、インディアンの民族的な文化・生活・価値観の違いと対立を色鮮やかなパレットのように切り取りながら、19世紀から現代まで続いている『人種差別の問題・異質性の嫌悪(軽蔑)』のテーマについても考えさせられる場面を多く盛り込んだ作品である。

この記事は、「新田次郎『アラスカ物語』の書評2:日本人とエスキモーの異文化コミュニケーション」の続きになっています。






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