新田次郎『栄光の岩壁 上下』の書評2:“山を歩く登山”から“岩を登攀する登山”への転換

同級生の誰よりも優れた体力があり、長距離を歩いても疲れないだけのスタミナを持っていた岳彦だったが、足を失ってからは『山道を歩くこと』が途轍もない苦痛となり、歩くことに対する苦手意識にも囚われるようになった。

山から離れられない岳彦が見出した活路は、『山道を歩く登山』ではなく『岩壁を登攀する登山(腕力で岩に取り付いてよじのぼる登山)』であり、天井から下げたザイルにつかまる歩行訓練を重ねている岳彦は、歩くのは苦手でも自分の身体を引き上げる腕力には以前よりも自信を深めていたのである。垂直に近いような危険な岩壁を、腕の力を用いて登攀するようなロッククライミングであれば、足のない足で登山をしている自分でも一流の登山家になれる道があるのではないかという微かな希望が岳彦を奮い立たせていく。

岳彦の実家は、父親の竹井玄蔵が省庁勤めの官僚だったこともあり、経済的には比較的余裕があったが、父も母の菊子も元々高校では成績が優秀だった岳彦に、大学を卒業して普通に就職して欲しいと願っていたが、岳彦は戦争が終わってからいっそう過熱し始めた『受験競争・大学の講義・就職活動(戦後のオーソドックスな立身出世の道筋)』には自分の生きるべき道を見いだせない。父の玄蔵はひたすら山に生きようとする岳彦の将来を危ぶみながらも、激しい苦痛に耐えて足のない足を甦らせてしまうほどの岳彦の『山に対する熱意・登山に寄せる生き甲斐』に心を動かされて、いつまでも山に登ってばかりいるわけにもいかなくなるだろうと岳彦の山行の資金援助をする。

父親の玄蔵と兄の一郎の理解・資金援助があればこそ、岳彦は登山家としてのキャリアを積み重ねていくことができたのだが、岳彦は次第に『趣味の登山』『仕事としての登山(山小屋や執筆の仕事)』を一体化させていき、山を通した経済面の自立に対しても目処をつけていく。学校にも行かず就職もせずに岩壁登攀のみに取り付かれている岳彦の姿は、時代こそ戦後の昭和30年代の昔なのだが、『現代的なモラトリアム(社会的選択の猶予期間)』とも重なってくるものであり、“敗戦による極端な価値観の転換”と“遭難による両足の喪失”が、まだ高校生だった岳彦に『自分はいったい何者であり、何を信じて生きていけば良いのか?』という自己アイデンティティの苦悩を植えつけたのである。

父親の玄蔵は岳彦の登山への傾倒を支援しながらも、『お前はこの先、どうして生きていくつもりなのか?(そんな趣味のような山だけで食えるのか?)』という現実原則を突きつけ、岳彦はその誰もが回避できない生きていくために稼がなければならないという現実原則を乗り越えるために、『遊びの山』を越えた『生きる山(自分が自立できて社会生活とも両立可能な山との向き合い方)』を模索していく。

山で知り合った辰村昭平に誘われて『榛山岳会(はしばみさんがくかい)』に加入した岳彦は、本格的に岩壁登攀のザイル捌きやハーケンの打ち方、カラビナの使用法などを学んでいき、辰村と一緒に前穂高岳北尾根第四峰の正面岩壁明大ルートを登攀するのだが、ハーケンを打ち込んでいた岩がわずかに欠けていた事を確認せずに体重をかけた辰村は、岳彦が制止する間もなく岩山から滑落して死んでしまう。高校時代の親友だった河本峯吉に続いて、岳彦はまたもや親しくなった山のパートナーである辰村昭平を失ってしまい、自分が友人達を助けることができず死なせてしまったというような罪悪感・自責感に囚われてしまう。

『栄光の岩壁』には津沼春雄という他人の迷惑を顧みず、やりたい放題に生きている悪人の同級生が度々登場するのだが、この春雄は『戦後の貧困・無知・混乱・物資欠乏』などを象徴するような人物であり、常々自分がダメな人間であることを半ば自覚しつつも、泥棒をしたり詐欺をしたり無謀な行動を取ったりしてしまう。涸沢小屋でガイドとして働いている岳彦が、ベテランの谷村弥市を前穂高岳に案内しようとしている時に、岩山の未経験者であるにも関わらず勝手についてきた春雄が、谷村の目の前で今にも転落しそうな危ない独断行動を取ったため、春雄に手を伸ばして支えようとした谷村がバランスを崩して転落死してしまう。

この記事は、「新田次郎『栄光の岩壁 上下』の書評1:敗戦による社会・人心の変化と冬の八ヶ岳での遭難」の続きの内容になっています。






■書籍紹介

栄光の岩壁〈下〉 (新潮文庫)
新潮社
新田 次郎

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by 栄光の岩壁〈下〉 (新潮文庫) の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル


この記事へのトラックバック