Googleの検索エンジンのサジェスト機能と“個人のプライバシー権・ウェブ時代の社会的制裁の強さ”

Googleの検索エンジンには『検索キーワード』を途中まで入力するとそのキーワードの続きを自動で予測して表示したり、そのキーワードと一緒に検索される回数が多い『追加の関連キーワード』を自動で表示してくれる“サジェスト機能”というのがある。 検索キーワードをはっきりと覚えていない時や検索して調べたい内容を絞り込む時には、このサジェス…
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世界最大の企業になったApple。新型iPadとiPhone、AppStoreの売れる仕組みの持続性

東日本大震災や円高、電力不足の影響を受けた2011年は、日本を代表するソニー、パナソニック、シャープといった電機メーカーが軒並み巨額の赤字決算に陥る中、米国のアップル社(Apple社)は過去最高益を更新し続けて、新商品のiPadの売上も好調だったことで株価が初めて600ドル台を越えました。アップル(Apple)といえばスティーブ・ジョブ…
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現代の精神医療と薬物治療の可能性と問題4:生物学的精神医学と医師(精神医療)―患者の信頼関係

精神医療の問題点として、自傷他害の恐れが強かったり現実適応(通常の対話能力)を完全に失っているような重症患者になると、医療機関であっても『行き場所(継続的に受診や入院をさせてくれる病院)』がなくなってきて、患者と患者の家族の立場が弱くなりやすく、医師の治療方針に疑問を感じたり自分には合っていないのではないかと不安に感じても、それを直接質…
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現代の精神医療と薬物治療の可能性と問題3:向精神薬の作用・副作用と抗うつ薬の効果の捉え方の変化

向精神薬によるそれぞれの副作用の症状は別の薬で抑えることができるようになっているが、それでも飲む薬が増えて筋肉・運動の異常反応が増えるというのは、本人にとっては辛くて苦しいことであり、副作用が重くなれば服薬遵守ができなくなるケース(自己判断の減薬)もでてくる。抗精神病薬の副作用は、ドーパミン受容体遮断による『錐体外路症状』と他の抗うつ薬…
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現代の精神医療と薬物治療の可能性と問題2:抗精神病薬の開発と“精神病の寛解”を目指す医療

精神疾患の治療理念はある意味では、完治させられない“慢性疾患(アレルギー性疾患・腎障害・糖尿病・リウマチ・肝障害等)”の治療に当たる内科医が『薬で抑えて症状と上手く付き合っていきましょう』というように、今ある医学的手段によって症状をコントロールしていくことが目的になっているからである。 医師も完全に治癒させられる病気なのであれば『…
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現代の精神医療と薬物治療の可能性と問題1:yomiDrの『医療ルネサンス』の事例を読んで

読売新聞の“yomiDr.(ヨミドクター)”の連載『精神医療ルネサンス』で、現代の精神医療と薬物治療に対する“批判・不満・不信のケース”が多く掲載されていて、近代以降の精神医学の成果と限界、問題について深く考えさせられる内容になっている。 精神疾患に対するトランキライザー(向精神薬)を用いた薬物療法は、現在ではエビデンスベースドな…
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“男女の嫉妬感情の違い・男女の性愛のダブルスタンダード(性的な二重基準)”は何から生まれるか?

男性が女性の身体(セックス)に対する強い独占欲と嫉妬心を持つ生物学的理由は、女性が自分以外の相手ともセックスをすると『自分の子であるという確信』が持てなくなるという事が上げられますが、これは飽くまで生物学的な嫉妬感情の起源であって、実際には『相手から見捨てられる・自分が恋人や浮気相手からバカにされている・裏切られて孤独になってしまい不安…
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脳内のセロトニンによる“精神の安定(安らぎ)・不安定(攻撃性)”と“男女の嫉妬感情の違い”

快楽を追求して不快を避けようとする精神分析でいう『快楽原則』は、脳の機能的には大脳辺縁系の視床下部や海馬(長期記憶中枢)に由来するとも言えますが、サル・ラットの電極を用いた動物実験では、視床下部近くの快感中枢を刺激しつづけると、電極刺激を得ること以外の行動(生きるために必要な行動でさえも)をまるでしなくなることから、ひたすらに刹那的な興…
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S.フロイトの精神分析の“エス”と進化生物学の“生存・生殖本能”が生み出す暴力(争い)の問題

進化心理学では人間の行動と心理は、『突然変異・遺伝子保存・遺伝子頻度(ばらつき)を前提とする自然選択』の結果として段階的に形成されてきたと考えますが、進化論・進化心理学の前提にあるのは、人間も動物(哺乳類)の一種であるという事実認識でしょう。 酸素を吸い食物を食べて排泄をしながら生きるという『生存本能』を持ち、異性の配偶者を見つけ…
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“自然主義の競争原理”と“リアリスト(現実主義)・イデアリスト(理想主義):人は争いをやめないか?

経験主義の哲学者や社会科学者、フェミニストには、人間の行動や欲求を規定するソフトウェアは『社会・環境・教育』といった外部要因の総体が作り上げていると仮定する人が多く、どちらかというと『自然・本能』の影響を軽視しています。更に、それら自然・進化に由来する本能には『野蛮で利己的な悪徳・暴力』が多く含まれるので、積極的に改善していくべきだとす…
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“男らしさ・女らしさ”のジェンダーは環境・教育で決まるのか2:性差を巡る生物学と社会科学

平均的に見る限り、女性は男性のように『身体的な闘争』に適した頑健な身体構造を持っておらず(それが近代の法治主義国家ではそれほど役に立たない強さだとしても)、やはり腕力・体力では男性のほうが優位にあって、『戦争・暴力・競争』においては女性よりも攻撃的になりやすい傾向は顕著なものがあります。男性とは何々である、女性とは何々であるという『一般…
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“男らしさ・女らしさ”のジェンダーは環境・教育で決まるのか1:自然の摂理の模範化と人の幸せ

人間社会も中世・近世までは現在と比べれば、より『自然界の摂理』に近い冷徹な仕組みや上下関係の秩序を持っており、弱者(身分的・経済的・健康的な劣位者)であることの不利益や被害は相当に大きなものでしたが、前述したように近代化の進展や倫理感覚(共感性)の向上は『自然選択の淘汰圧・優位者による劣位者の搾取や虐待』をかなり緩めることに成功しました…
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“自然・本能”と“人為・文化”によって規定される人の行動2:福祉国家と自然界、優生学の誘惑

1929年の世界恐慌(大恐慌)の『暗黒の木曜日』の後には、各国の経済が行き詰まりを見せて悲惨な第二次世界大戦も勃発しましたが、戦後は冷戦構造と順調な経済成長によって先進国の人類はかつてないほどに『人権(個人の権利・自由)』を尊重するようになり、(特に国内・自民族の)できるだけ多くの人が生存と幸福を享受できるようにという『倫理的な理想』を…
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“自然・本能”と“人為・文化”によって規定される人の行動1:強者と弱者の倫理的な相対化

人間の行動や感情が何によって規定されるのかについて、19~20世紀には遺伝要因と環境要因のどちらが優位かを巡って『氏か育ちか論争』が展開されましたが、現在では生得的な遺伝要因と学習的な環境要因との輻輳説(積上げ説)や相互作用説が通説になっています。人間の性格行動パターンは生まれながらの遺伝要因だけで決まるわけではないですが、ヒトと類人猿…
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新田次郎『孤高の人 上・下』の書評4:“不死身の加藤”の槍ヶ岳・北鎌尾根での最期

小説『孤高の人』では、園子と花子という二人の女性を巡る加藤文太郎の恋愛も描かれ、そこに加藤のことを尊敬して慕って弟子のように加藤の登山を真似ていく宮村健(みやむらたけし)が加わってくる。洗練された知的なお嬢様のような雰囲気を持つ園子に、加藤は『別世界の理想的女性』としてのイデアを見て憧れて惚れる。 園子は外山三郎の親戚筋に当たる女…
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新田次郎『孤高の人 上・下』の書評3:“冬山の自然の厳しさ”と“世俗の人間関係の難しさ”

小説内の加藤文太郎の登山は一流の域に達してはいくが、徹頭徹尾、誰にも学ばず誰とも一緒に登らない登山であり、その単独行は『山では自分以外の何ものをも頼ることはできない。自分独りであればどんな状況でも死ぬことはない』というストイックなまでの他者の存在を拒絶する信念であった。遂には外山三郎も藤沢久造も加藤を正規の登山界に組み入れることを諦め、…
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新田次郎『孤高の人 上・下』の書評2:社会人登山家の嚆矢となった加藤の友人関係と孤独感

漁師町の兵庫県美方郡浜坂町で産まれた加藤文太郎は、元々は海・泳ぎに親しみを持っていたが、18歳から独自に山登りを実践しはじめ、20歳の段階で和田岬の寮を朝早くでて、横尾山、高取山、菊水山、再度山、摩耶山、六甲山、石の宝殿、大平山、岩原山、岩倉山、宝塚までの片道50キロを縦走し、その日の夜までに17時間で和田岬に帰ってくるという『六甲全山…
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新田次郎『孤高の人 上・下』の書評1:驚異的な脚力と精神力で登山に臨む“単独行の加藤文太郎”

登山小説(山岳小説)を多く書いている新田次郎の作品では、『槍ヶ岳開山』の書評を書いたが、『孤高の人』もまた加藤文太郎(かとうぶんたろう,1905-1936)という実在の登山家をモデルにして書かれた小説である。 加藤文太郎は弱冠31歳という年齢で、厳冬期の槍ヶ岳・北鎌尾根へという難所に強行軍で登って命を落とすのだが、『不死身の加藤・…
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