貴志祐介『悪の教典 上・下』の書評

生徒や同僚の教師から信頼されて好かれている爽やかな英語教師が、他人の苦痛や恐怖に共感できず合理的な損得計算だけをする『サイコパス(精神病質)』だったらという前提で書かれたサイコサスペンスのホラー小説。小説全体の雰囲気や流れからすると、同じ学校内での殺戮を題材にした高見広春の『バトルロワイヤル』にもどこか似ているが、貴志祐介の今までの作品と比べると同じ恐怖感やサイコパス(ソシオパス)を描くにしても、物語の重厚感や理解不能な人間の恐ろしさというものの記述がやや軽過ぎるように感じる。

合理的かつ無感情に、他人を自分のために利用する道具のように見立てて殺人を繰り返すサイコパス教師の異常な心理(内言)と行為を書いているのだが、その恐ろしさや生々しさがいまいち迫真性を持って伝わってこないという意味では、ホラー小説としての評価は微妙である。私はただ残酷さや異常性、神霊現象(幽霊や怨霊・祟り・呪いの類)だけを書いたようなホラー小説は元々好んで読むことはないのだが、この『悪の教典』はサイコホラー小説として以外の切り口で読んだり評価したりすることが難しい小説だと思う。

だが個人的には『悪の教典』の主人公である高校の英語教師の蓮実聖司(はすみせいじ)は『先天的・遺伝的な異常気質のサイコパス』で大勢の人を殺しても痛痒・自責を感じない特殊な人格ではあるが、それほど小説のプロットや物語の展開の上で怖さを感じない。確かに、実際にこんな異常性格のサイコパスの先生がいて、計画殺人を楽しみながらされると恐ろしいに違いないだろうが、蓮実聖司の行動原理は『学校内の美人の生徒や好みの女性教師に好き放題に手を出したい・学校の人気者になって慕われてチヤホヤされたい・自分の願望の障害になる邪魔者を排除したい』という日本のどこかにいるだろう好色なエロ教師や不適格教員と大差がないものであり、人物として測り知れない精神の構造を抱えているわけでもない。

同じ貴志祐介が書いた自傷・殺人をも辞さない狂気的な保険金詐欺をテーマにした『黒い家』はじわじわと恐怖の正体が暴かれるサイコホラーとして突出した出来栄えだし、『天使の囀り』も脳に太古的な未知の寄生虫が巣くうという生物学的な恐怖を巧みに利用したミステリーになっているのだが、『悪の教典』では生得的に良心や共感性が欠如したモンスターとしての蓮実聖司が高校で謀略・殺戮を繰り返す以上の恐怖の深まりがなく、前半から蓮実の精神的・人格的な異常性が分かり易すぎるというのも逆効果になっているのかもしれない。

蓮実はモリタート(殺人大道歌)というサイコパスらしき男性を題材にした口笛を吹きながら、淡々と自分の仕事や恋愛、人気者の立場の邪魔になる他人を謀略的に何のためらいもなく消していく。ハンサムで明るくて楽しく分かりやすい授業をしてくれる理想の先生が、良心と共感能力、善悪の分別が欠落したエゴイスティックな殺人鬼だったらという設定の意外性を狙った作品ではあるが、蓮実がそういった良心欠如の殺人嗜癖的な人格構造を持つようになった理由は特に無く、ただ生まれながらの“ナチュラルボーン・マーダラー”というだけなので、原因論的な奥行きも無いのである。

『悪の教典』では何の理由も過去のエピソードもなくただ遺伝的・生得的に共感能力と思いやりが欠落している人間の恐怖を主軸にしていて、『表向きの教育熱心で生徒思いの人格者としての蓮実』『殺人をしても良心の呵責も後悔も感じないサイコパスとしての蓮実』の対照性によって蓮実聖司の狡猾で計算高い異常人格を浮き立たせようとしている。蓮実には取り巻きの女子生徒の親衛隊がいたり、酒井教頭や他の先生からも信頼されていたりして、大多数の人には好印象を持たれて高く評価されているのだが、片桐怜花のように生徒思いの良い先生に見せかけている蓮実の冷酷無情な本性に何となく気づいている人もいる。

チンピラのように生徒を脅迫したり殴ったりするろくでもない体育の柴原先生、プロの格闘家のように空手の武術に精通していて生徒から恐れられているストイックな体育の園田先生、大人しくていつも生徒から馬鹿にされているが校長の弱みを握り底知れない不気味さを漂わせる数学の釣井先生、生物標本を作ることが趣味でいつも動物の死骸に触れている生物の猫山先生
フェミニズムの思想に凝り固まっていてネチネチと嫌味を言い続ける国語の堂島先生など、トラブルを起こしやすい複数の問題教師の書き分けはさすがに上手い。

生徒思いで授業も工夫して頑張っている数学の真田先生、若くて清楚な雰囲気のある女性で生徒の悩みを解消しようとやる気のあるスクールカウンセラー(蓮実が興味を持っている)の水落聡子、女性の色気を振りまきながら蓮実や生徒とも関係を持っている保健教諭の田浦潤子なども主要な登場人物として脇を固めているが、サイコパスの蓮実に早い段階から勘付いて対抗する中心的な生徒は、片桐怜花、夏越雄一郎、早水圭介という仲の良い3人である。

蓮実聖司は幼少期から並外れた知能を持ち、京都大学を数ヶ月で自主退学した後にハーバード大学でMBAを取得して投資銀行に就職したという華やかな経歴を持っているが、サイコパスとしての冷酷無比な計算と陰謀が祟って投資銀行を追われることになり、次の標的に学校を定めたという構成になっている。

蓮実は自分の仕事の失脚や犯罪・淫行の発覚を防いだり、職務上の評価を落とすようなライバル・問題児を排除するための合理的で簡単な選択として殺人をするという説明がされており、『無目的な快楽殺人』ではなく『目的遂行のための計画殺人(他人を犯人に仕立て上げる偽装工作・証拠捏造)』を淡々とこなすということになっているのだが、実際にはリスクの高い殺人・放火などを敢えてしなくても、通常の手段・方法で回避できる種類の問題(トラブル)が多いように感じるのだが。

少なくとも、圧倒的に知能が高い人物の『合理的選択の結果』とは思えない流れであり、自分の犯行発覚を防ぐために学校に宿泊している生徒全員をターゲットにするという最後の展開は有り得ないのではないかと思うが、精神病質・社会病質の教師が暴走するサイコホラーのクライマックスという意味では、大きなカタストロフィ(全滅の危機)の場面を書かざるを得なかったのかもしれない。

中学生時代に親しかった女子生徒との回想シーンや現在の生徒で性的関係を持っている安原美弥とのやり取りでは、蓮実の身体感覚として相手の痛み・恐怖への共感性や後悔の念が蘇りかけそうな場面も描かれているのだが、『良心の呵責・共感性の芽生え』といった道徳的・心理的葛藤の記述を多くしなかったのは、純粋なホラー小説に徹したかったからなのだろうか。サイコパスの教師が利己的かつ陽気に人の生命を奪うという内容自体は残酷さや背徳性、反社会性に満ちた作品になっているが、『恐怖の核心への接近感覚・理解が及ばない人格の解像度』が弱いので、読み進むにつれてじわじわと怖さが差し迫ってくるタイプのホラーではない。

本そのものは分厚いのだがライトノベル的な会話・述懐の部分が多い小説なので、それほど時間を掛けずに読めると思う。同じ著者の作品ではだいぶ前に読んだ謎解きのようなファンタジー要素がある『新世界より』のほうがテーマとして好みでもあり面白かったのだが、周辺的な問題意識や興味を駆り立てられずに、その作品内の出来事だけに集中して読めるという点では『悪の教典』は分かりやすいサイコホラー小説ではある。






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